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第32話

 男らしい眉根を寄せた志津真(しづま)の色香を堪能しながら、仰臥する恋人の上で、威軍(ウェイジュン)は妖艶な腰つきで、うっとりとしながら全身で官能を味わっていた。 「あぁ、ん…」  耐え切れず、甘い声を上げてしまい、恥じらった威軍が自身の指を噛んで声を抑えた。  片膝を立て、自身の悦びが先端から溢れる欲望さえ志津真に見せつけ、グッと深く恋人の欲望を体内に呑み込んだ威軍は、まるで官能に忠実な神聖な存在のように見える。  それほど高潔な麗容を持つ威軍を愛することを許された現実(いま)に、志津真は昂然とした気持ちを味わった。  肉体の全て、官能の全て、それを取り払ってなお、観念的な高揚感が支配する幸せに、2人は満たされた。  体の交わりだけでない、心からの結びつきを感じて、志津真と威軍は唯一無二の相手と出会い、愛し合うことが出来た幸運に感謝していた。 「…っ!」  これまでに感じ事がないほどの最奥に志津真を感じ、威軍は大きく背を反らせ、息を呑んだ。 「不行(ダメ)!…、こんな…、こ、怖い…」  震えながら涙する威軍に、堪らず志津真は繋がったまま上体を起こし、しっかりと抱き留めた。  威軍の中が、痙攣をおこしたように震え、怯えて締め付けて来る。今まで知らなかったほどの快感の波を予感して、威軍はすっかり怖がっていた。 「大丈夫。俺がいる。俺が、ここにいるから、何にも怖くない…」  優しく囁き、抱き締めた手で背中を撫で、それでも初めてのように不安がる威軍に手加減することなく志津真は攻め込む。 「あ、…はぁ…あ」 「ウェイ?」  いつもは聡明で冷ややかな威軍の瞳が、濡れて虚ろになり、荒い息をするためだけに赤い唇を開き、見たことも無いほど恍惚とした表情で、威軍は腰を振り始めた。  快感が降り切れてしまい、忘我の境地にまで達してしまったのだ。  人としての理性を失った威軍の妖艶さは、志津真を呑み込むほど凄まじい。先ほどまでの清冽な聖なる美しさとは違う、人の心を喰らいつくすような禍々しささえ感じさせる。まさに魔性の色香だった。  恋人の新たな一面を見つけたような気がして、志津真も貪欲な感情が昂った。 「っ…!」「あっ…ん…」  深く求め、熱く与え、何もかもが満たされた。  まるでスイッチが切れたように、終焉を迎えた2人は抱き合ったまま、パタリとベッドの上に倒れ込み、そのまま静かに眠りについた。 ***  志津真が目覚めると、隣には最愛の恋人がいた。  その寝顔が、ただ美しいだけでなく、幸せそうに満たされた表情であることに気付き、志津真もまた幸せだった。  愛しくて、決して手放したくない、もはや自分の命の一部…そんな風に大事なものが、今この手の中にあると実感して、志津真は感動すら覚え、自然に視界が歪むのを止められなかった。 「どうして…泣くのですか?」  目覚めた威軍が、不思議そうに志津真を見詰めて訊ねた。 「ん…あんまりウェイのことが好きすぎて、嬉し泣きやねん」  ふざけたようでいて、本当の気持ちを志津真は威軍に伝えた。 「それなら…、私はいくら泣いても足りないくらい…あなたが好きですけどね、志津真」  威軍の口調も軽かったが、それもまた本心だった。 「今日は中秋節ですよ」  思い出したように、威軍はポツリと言った。 「そやな。あ、大阪のオカンにスタバの月餅贈ってくれて、ありがとうな」  威軍が上海を離れたすぐ後に、大阪に住む志津真の母親から、月餅が届いたことを知らせてきたことを思い出し、志津真は礼を言う。 「無事に着いて良かったですね。私も、同じものを実家に送りました」 「そうなんや」  口にこそ出さなかったが、同じものを送るなら、大阪へ送る分と一緒に同じカードで決済すればいいのに、と、公私を分けたがる威軍の他人行儀な態度を、志津真はほんのちょっと寂しく思った。 「帰ったら、オフィスのデスクに余った月餅が置いてあるかな」 「今年は、どこのでしょうね」  気が付くと、志津真は威軍の肩を抱き寄せ、威軍は志津真の胸に手を回していた。ごく自然に2人は寄り添い、抱き合い、温もりを分け与え合った。 「もし…」  威軍が、ぼんやりと口を開いた。 「ん?なんや?」  朝食の話でもするのかと、志津真も気軽に応える。 「もしよければ、今夜、うちの家族と一緒に食事をしませんか?」 「えっ!」  いきなりの事に、志津真は驚いて一瞬、言葉を失う。 「俺は…、エエけど…」  威軍が、家族に自分の恋人が同性であることを打ち明けられずにいることを、志津真はよく知っている。そのことを思い悩み、葛藤していることも分かっているからこそ、今回も威軍の家族に知られぬよう、北京までしか来られなかったのだ。  いきなり威軍の実家を訪問して、繊細な恋人を悩ませたくは無かった。  それなのに、自分の方から家族に会わせたいと言い出すとは。どんな心境の変化なのか、嬉しい反面、心配にもなる志津真だった。  おもむろに身を起こし、時計を見ると、朝の7時。  結局、毎日出勤するウィークデーに起きる時間と変わらない。社会人には体に刻まれたリズムというものがあり、そう簡単には抜けないものらしい。 「この部屋に、朝食は付いているんですか?」  同じく起き出した威軍が、床に落ちた自分が脱いだものや脱がされた物を、目で追いながら訊ねた。 「あ?一応クラブラウンジみたいなんは使えるらしいけど?」 「じゃあ、外で食べましょう。北京の朝食は、上海のお粥とはまた少し違いますよ」  そう言って威軍は、昨夜、自分がどれほど淫らに、扇情的に脱いだかを思い出し、頬を赤らめながら、例の黒い下着を拾い上げた。  そして、素知らぬ振りをして、ベッドから抜け出し、バスルームへ向かおうとした。 「ちょっと待って。ソレ、どうするつもりや?」  志津真が身を乗り出し、威軍の手首を掴んで引き留めた。 「ど、どうって…」  もちろん、どさくさに紛れて捨ててしまう気だった威軍は動揺してしまう。 「捨てるんやったら、バレんように、上手に捨てや」  ニッと悪戯っぽく笑って志津真は手を放した。 「捨てて、いいんですか?」  腑に落ちない様子で威軍が聞き返す。 「ああ。もっと俺好みのを、今度プレゼントするし」 「!」  不埒なことを考えている恋人に、責める言葉もなく、威軍はドギマギとした態度で、自分の服を拾い上げ、さっさとバスルームに消えて行った。

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