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第37話

 街には志津真(しづま)が思うようなカフェは無く、小さな食堂のようなところで、2人は夏の名残のスイカジュースを飲みながら、先ほど買った種を食べ始めた。  ジュースを運んできた店員にも一掴みほど「お裾分け」すると、若いというより幼い男性店員は、器用に前歯だけで種の殻を割り、中の種子だけを舌で取り出すという技を披露してくれた。  好奇心豊かな志津真も、何度か挑戦してみるが、殻が割れずに手を使ったり、中の種子ごと割ってしまったり、と(うま)くいかず、最後は威軍が割ってくれたものを、1つ1つ摘まんでは情けない顔をして口に運んだ。  そんな不器用な日本人に、ドヤ顔をした店員は、サービスなのか、小さくて硬い干し柿を5個ほど皿に持って来た。 「(カタ)っ!…でも、甘いな~」  まるで顎を鍛えるためのような歯ごたえのある干し柿を、必死で噛みながら、志津真はスイカジュースを飲んだが、甘味が相殺されてせっかくのジュースが味気ない。  それを察した威軍が、温かい烏龍茶を注文した。こんな田舎では、冷たい烏龍茶はペットボトルの微糖くらいしか売っていない。だったら、茶葉とお湯を注文した方が日本人の口に合うのだ。  滅多に烏龍茶など注文する地元の人間はいないので、店員は喜んで店の奥に引っ込んだ。茶葉はペットボトル飲料の10倍以上の値段だが、それがちょうど日本のカフェの飲物と同じくらいの値段だった。  上海のような残暑も無く、程よい気候の中、中国らしいお茶うけと温かい烏龍茶で、思わぬ伝統的なお茶の時間を楽しんだ2人は、店員にたっぷりのチップを上乗せして料金を払い、店を後にした。  フラフラと歩いて病院の前まで来ると、ちょうど後ろから威軍の両親の乗った車がやって来た。 「あれ、うちの両親です」  足を止め、緊張した声で耳打ちした威軍に、それ以上に緊張した志津真は返事が出来ずに唾を飲み込んだ。 「わ、分かってる…北京出張のついでに見舞いに来た上司…やな」  自分に与えられた役柄を反芻して、志津真は頷いた。 「威軍(ウェイジュン)!」  当然に両親は息子の姿に気付いて、車を停め、声を掛けた。 「爸(父さん)!妈(母さん)!」  (いぶか)しそうに息子の隣に立つ日本人を見る両親に、威軍は真面目な顔をして車内に呼びかけた。 「是谁(どなた)?」  母親の方は、心配そうな顔をしているが、父親は加瀬部長の高級なスーツや身なりに予想はついているのか、泰然としている。 〈職場の上司の加瀬部長です。北京へ出張に来たので、おばあちゃんのお見舞いに来てくれたんです〉  予定通りの紹介をして、威軍は少し胸を痛めた。 「初めまして」  そんな部下の心情を知ってか知らずか、加瀬部長は人懐っこい明るい笑顔で挨拶をして見せる。 〈まあ、わざわざ?〉  驚いている母を余所(よそ)に、父が普段と変わらない様子で言った。 〈車を停めて来るから、先に病室へ〉  それだけを言い、息子の上司へは軽く会釈をして、威軍の父は車を病院の駐車場の方へ向かわせた。 ***  病室へ戻った志津真と威軍は、祖母がまだ眠っていることに気付き、そっと狭いキッチンへ入った。そこで手を洗い、両親のためにお茶の用意をしようとしたのだが、その前に、どちらがということも無く、腕が伸び、しっかりと抱き合った。 「大丈夫。何とかなる」 「はい」  志津真が励ますように言うと、威軍も安心したように微笑んだ。そのままソッと唇を重ねる。 「ウェイを困らせるようなことは、絶対にせえへんしな」  自分の胸に手を当てて、誓うように志津真が言った。 「何があっても、私が選ぶのはあなたです」  威軍も力強くそう言って、2人はもう一度軽いキスをした。  その時、廊下の方で気配がし、加瀬部長は急いで病室のソファに向かった。 〈ああ、お待たせしました〉  たくさんの荷物を抱えて、威軍の両親が病室に入って来た。思わず加瀬部長も駆け寄って荷物運びを手伝う。 〈すみません。上司の方にこんなことを…〉  威軍の母が恐縮するのを、加瀬部長は無言でにこやかに受け止める。 〈威軍。お前の上司は、中国語は話せないのか?〉  その様子を見た、冷静な父親が気付いて息子に訊ねた。 〈ええ。日本語と英語は話せるんですけど〉 〈そうか…〉  困惑したように、父親も部長に頭を下げた。 〈良かった、まだいてくれたのね〉  祖母が目を覚まし、部長を目に止めると一番に声を掛けた。 〈お義母(かあ)さん?〉  いつの間にか親しげな様子の2人に驚いて、威軍の母は目を白黒させている。 〈おばあちゃんは、部長のことがお気に入りなんです。ステキなお見舞い品もいただいたし…〉  威軍が説明すると、祖母は嬉しそうに貰ったばかりのカシミアのストールを取り出した。 〈まあ、とっても素敵!これ、さぞ高級なんでしょう?〉  祖母以上にカシミアの高級感に驚いて、威軍の母は祖母の隣に座ってストールを撫で始めた。 〈部長を、今夜の中秋節の夕食にお誘いしたのよ。私のお客様なんだから、ちゃんとおもてなししてちょうだいね〉  祖母がそう言うと、威軍が部長の傍に寄り、笑いをこらえながら通訳した。 「厚かましいですけど、ご馳走になります」  加瀬部長お得意の、感じのいい愛嬌のある笑顔に、ついつい女性陣は簡単に丸め込まれてしまいがちだ。 〈多めに用意して来て良かったわ。でも、それならそうと連絡してくれたらいいじゃないの、威軍〉 〈大丈夫。足りてるから〉  父がそう言って、荷物を解き始めた。それに気付いて手伝おうとした部長を、威軍は思わず腕を掴んで引き留めてしまった。 「あ…あ、の。あなたはゲストなので、座っていて下さい。支度は私手伝います」 「うん…なんか…、ゴメン」  気恥ずかしそうに笑った志津真に、威軍も笑顔で首を横に振った。 〈威軍。部長は、酒を飲むのかい?〉  父が仕事先の青島(チンタオ)のビールを取り出しながら言った。 〈ええ。上海でも青島(チンタオ)ビールを飲みますよ〉 〈何を言ってるの!北京に来たんでしょう?白酒(バイジュウ)を出しなさい。驚かせてあげるといいわよ〉  威勢のいい祖母に言われて、父と威軍は顔を見合わせる。北京の白酒(バイジュウ)はアルコール50%以上の物が有名だったが、近年では高アルコール度は敬遠されるようになり、アルコール度数30%程度の物が一般的だ。だが、こんな田舎の伝統行事の時には、どこからともなく昔ながらの高アルコールの白酒(バイジュウ)が出回ることもある。 〈日本人は、黄酒(ホアンジュウ)が好きなのよ〉  日本人が多い大連(ダーリェン)で働く母は、日本人の好みの事も少しは詳しい。 〈ああ、上海だからな。大闸蟹(ダージャーハイ)(上海蟹)と紹興酒(しょうこうしゅ)か…〉 〈そうだね。彼はそのどちらも好きだけど、青島ビールは喜ぶと思います〉  両親にそう言って、すぐに威軍は振り返り上司に翻訳する 「祖母がふざけて白酒(バイジュウ)を出せと言っていますが、青島ビールでいいですか?父が青島から直送したゴールドラベルですよ」 「俺は、何でもエエよ」  それから病室とは思えぬような賑やかさで、テーブルに溢れんばかりの料理が並び、いくつもの月餅が飾られ、お菓子や果物などもたっぷり用意された。  病院内の人間であれば、仕事を終えた事務職や手の空いた看護師や医師も顔を出した。それぞれが料理を摘まみ、家族円満を寿ぎ、長寿を祈り、月餅や菓子などを貰っては中秋節を楽しんだ。  人の出入りも華やいで、それは賑やかで楽しい中秋節の宴だった。

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