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第38話

〈哎呀!大家看啊(ほら、ご覧よ)!〉  ベッドの上に居た祖母が、窓の外を見て声を上げた。  病院の裏の広場では、小規模ながら夜市が立ち、その先では子供たちによる提灯コンテストも行われているようだ。  伝統的な行事が、小さいながらも例年通りに開催されている様子を、祖母は嬉しそうに眺めている。  ちょうど威軍の母が、大きな月餅(げっぺい)を切り分けるところだった。子供が一抱えするほどの、クリスマスケーキよりも大きな月餅だ。  いつもは個包装の、(てのひら)に乗る程度の月餅しか食べたことが無い加瀬部長は、珍しそうに、大きな月餅の断面を見ていたのだが、祖母の声に顔を上げた。 「外で、中秋節の祭りをしているんですよ」  威軍が説明すると、興味を示した加瀬部長は、いそいそと祖母の横に近寄り窓の外を見た。 〈ほら、子供たちが自分で作った提灯を比べているのよ。キレイでしょう?〉 「手作りの提灯みたいですね。カワイイなあ~」  相変わらず、言葉が通じていないはずなのに、なぜか意思の疎通はある。  そんな祖母と上司を微笑ましく見ていた威軍だったが、ハッと我に返った。月餅を切るのに夢中な母はともかく、父の視線に気づいたのだ。  動揺を見透かされないように、何事もなかったように威軍は祖母に寄り添った。 〈ねえ、2人で見てきたらどう?上海では見られないだろうし、日本人には珍しいんじゃないかい?〉  祖母は、訳知り顔で威軍を見やり、そして志津真に微笑みかけた。 「見に行きますか?」 「エエの?」  威軍に言われて、志津真の顔が明るくなった。その笑顔に、祖母も目を細める。 〈行きなさい。2人で、ね〉  祖母にそう言われ、威軍は幸せな気持ちになった。 〈ちょっと、夜市を見せてくるから〉  部長の背を押し、威軍は両親に告げた。 〈すぐ戻るんでしょう?月餅、切ったのに…〉  不満そうに母は言うが、威軍は黙って頷いた。  言葉が分からないはずの部長は、またも分かっているように紳士的な笑顔を添えて、会釈をした。  それを硬い表情で受け止めたのは威軍の父だった。それが威軍の心に引っ掛かったが、気付かない振りをして上司と2人で病室を後にした。 *** 「お父さん、なんか気付いてはったんちゃうん?」  広場に向かって歩きながら、志津真はちょっと心配そうに威軍に問いかけた。 「ごめんなさい。気を悪くしましたか?」  足を止めて、俯いて答えた威軍に、志津真は慌てて振り返った。 「なんでウェイウェイが謝るんや。そんなつもりで言うたんやないって」  さすがに人目を気にして抱き寄せることは出来なかったが、暗がりに乗じて、志津真は威軍の手を握った。 「むしろ、お父さんが気を悪くしはったん違うんか?そうしたら…、俺のウェイウェイが苦しい思いをするやろ。俺は、それが心配なんや…」  相手の顔もよく見えないような暗い場所で、それでもいつものように志津真の声は誠実で、優しく、甘く、威軍の心を穏やかにした。 「お父さんに叱られたとしても、俺が土下座でもなんでもするからな」  冗談めかして言う志津真だが、それが本気であることを威軍は知っている。 「その時は、すぐに2人で上海に逃げ帰りましょう」  威軍も、そんな風に軽い口調で言うが、例え両親との関係がこじれようと、志津真との生活を選ぶことに決めている。  祖母だけでも認めてくれた今、その選択に迷いは無かった。 「今すぐにでも、せめて北京飯店に連れ去ってしまいたいな~。昨日の続き、したいし…」  ニヤリと、好色な笑みを浮かべて志津真が言うと、威軍も笑いながらも、その破廉恥な考えを窘めるように、繋いだ手を振り払った。 「夜市で何か、祖母へのお土産を買いますね」  そう言って、楽しそうな威軍はスタスタと先に行ってしまう。その後ろ姿を満足そうに見つめ、志津真もゆっくりと後を追った。  田舎町のささやかな祭りの様子に、志津真は好奇心も顕わにして、あれこれと見て回った。スマホを取り出し、写真を撮ったりもして楽しんでいる。  一方で、こんな祭りに外国人がいることが珍しいのか、周囲の人間はジロジロと無遠慮に志津真を舐めるように見て来る。 〈日本人か?〉 「え?あ…、そうです。日本人です」 〈そうか。ウチの村の伝統的な祭りだ。見学に来るのはいいことだ〉 「あ、どうも。謝謝」  ここでもまた、持ち前の人懐っこさで地元の人間の懐に入り、言葉も通じないくせにそれなりに意思疎通を果たしている。  こんな「愛されキャラ」の恋人を、威軍は内心、誇らしく思っていた。 「アカン!限界や!何言うてはるか、分からへん」  さすがの志津真もたくさんの人に囲まれてしまい、口々に何かを言われると、混乱したのか()を上げた。 「郎く~ん、助けて~」  少し離れて見ていた威軍は、苦笑しながら近付いた。  どうやら彼らは、なぜ日本人がこんな田舎の祭りに居るのか、日本のどこから来たのか、日本でも月餅を食べるのか、など、子供のように素朴な疑問を次々とぶつけてくるようで、通訳だと分かると、今度は威軍に対して喧しく訊いてくる。  そんなやりとりも、賢明な威軍はテキパキとこなして、上司を満足させた。 「さすがは郎くんやな」  騒ぎが落ち着くと、2人は顔を見合わせて苦笑した。  そして、どこかから、 〈子供たちの手作り提灯コンテストの審査員を、あの日本人に頼んだらどうだ〉 と、いう声が聞こえ、威軍は見つかる前に慌てて志津真の手を取って、人が少ない方へと逃げ出したのだった。

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