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第40話
病室に戻ろうと、病院の入口のロビーを歩き出した威軍 のスマホが鳴った。
威軍は相手を確認すると、フッと少し意地の悪い顔をした。
〈もしもし?〉
〈あ、郎威軍?俺、何夏だけど〉
電話の相手は、先ほどの幼馴染だった。先ほどの威軍の「婚約者」発言が気になって掛けてきたのだろうか。
〈あ、俺と張麗麗は、今夜、北京まで帰るけど、お前どうする?〉
そう言えば、と威軍は気が付いた。
あまりにも家族としての居心地が良くて忘れていたが、志津真は北京飯店の部屋に戻らねばならないのだ。
それに、自分もまた明日には上海に戻るのだ。今夜のうちに北京にまで出ても問題はない。
〈うん。さっきの上司と一緒に、明日上海に戻るから、北京まで送ってもらえると助かります〉
〈さっきの上司も一緒?ああ、俺は別にいいけど…。張麗麗は、穏やかじゃないみたいだぜ〉
張麗麗が、結婚相手としてではなくとも、裕福な日本人と親しくなりたいという野望を抱いているのは、見ていて分かる。車中でどんなことになるのか想像はつくが、恋人の気持ちが揺らぐ心配も無い威軍は、むしろその状況を楽しめるかもしれないと思った。
〈何時に帰るんですか?〉
〈今からみんなで食事して、張麗麗を実家に送って、荷物をまとめて、俺ん家に戻るのは…多分10時過ぎくらいかな~?〉
〈じゃあ、10時半に何夏兄さんの家で〉
〈分かった。じゃあ、後でな!〉
電話を切った威軍は、まず自分の腕時計を見た。
時刻は8時前。これから家族そろって月餅を食べ、おそらくは両親も9時過ぎには病院を出るだろう。10時半に実家同士がすぐ近くの何夏兄さんの家には余裕で間に合うはずだ。
電話を切り、少し離れたところで待っていた志津真に駆け寄ると、威軍は病室へ急いだ。
***
病室では祖母と両親が、中秋節の特番をテレビで観ながら、楽しそうにお茶を飲んでいた。
〈遅かったわね〉
待ちかねたように、母が立ち上がり、月餅を食べる支度を始めた。
〈おばあちゃん、お土産だよ〉
威軍が「糖葫芦 」を手渡すと、祖母は相好を崩す。
〈まあ、懐かしい。昔はこんな物しかなかったから、たまに手に入ると嬉しくてね〉
祖母はそう言うと、志津真を手招きし、何事かと近づいた志津真に串から飴に包まれた赤いサンザシの実を1つ抜き取り、差し出した。
直 に手で触れた飴など、清潔好きな日本人には嫌がられるのにと、心配した威軍だったが、何の気負いもなく、志津真はそれを受け取った。
「このまま食べてエエの?」
なぜか威軍ではなく祖母に聞いた志津真に、祖母も丁寧に答えてやる。
〈そう、そのまま口に入れていいよ。あ、一口で食べるんじゃなくて、齧 って…。そうそう。中に種があるからね、気を付けて…〉
「あ、思ったより飴が硬いやん…ん、ん…。うん、なんか甘酸っぱくて、日本のリンゴ飴思い出すなあ」
〈美味しいかい?〉
「意外に美味しいなあ」
それぞれ別の言語を使いながら、何故か会話が成立している祖母と志津真は、仲良く並んでサンザシの飴がけを楽しんでいた。
〈随分と仲がいいね。私に、新しいおじいちゃんが出来るのかと思った〉
威軍がそう言ってからかうと、祖母はいかにも嬉しそうに笑った。
〈聞いたかい?お前たちに新しい父親が出来るかもしれないよ〉
切り分けた月餅を運んできた威軍の母は、笑いながら皿を祖母と部長に手渡した。
〈イヤだわ、お義母 さんったら〉
後ろから飲物を運んできた父親が、淡々とした表情のままボソリと言った。
〈日本人と結婚したら、日本に行かなきゃならないんだぞ〉
どこか不愉快そうな父の言葉に、威軍は息を呑んで立ちすくんだ。
〈あら、せいぜい上海まででしょ〉
祖母はあっけらかんとして、わざと部長に寄り添い、月餅を食べ始めた。
〈あなたも、何を本気にしてるのよ〉
夫を窘 めるように言いながら、母は威軍に月餅を渡し、ソファに並ぶと一緒に食べ始める。
〈ちょっと、あなたも座って食べなさいよ〉
妻に言われて、それ以上は何も言わず、威軍の父は少し離れた椅子に座って、豊富な具材の、昔ながらの餡の月餅を口にする。
〈若い人はこんなものを美味しいとは思わないだろうけど、やっぱり昔ながらの味はこういうもんなんだよ〉
祖母は独り言 ち、頷きながら、ラードの入ったクセのある月餅を味わった。
〈味じゃないんだよ。家族揃って食べることが大事なんだ〉
急に威軍の父はそんなことを言った。そして、じっと加瀬部長の方を見る。
「?」
なんとなく居心地の悪さを感じた、部長は、月餅を食べる手を止めた。
〈この部長だって…。志津真 だって、うちの家族だよ〉
〈おばあちゃん!〉
祖母の意外な一言に、威軍は驚いて声を上げた。
〈いいんだよ、ウェイウェイ。私が志津真を家族と認めたんだから。ただ、それだけのこと〉
〈やあねえ、お義母さんったら、部長さんのこと、そんなに気に入った、だなんて〉
威軍の母はクスクス笑いながら、自分が切り分けた月餅を食べ続けた。
「俺…、なんかマズイことした?」
不安になった加瀬部長が、堪りかねて威軍に声を掛ける。
「いえ、祖母が…。あなたを自分の『家族』だと…」
「あはは…!」
なんだ、と安心したのか、部長は明るく笑って祖母の顔を覗き込むと、彼女は笑って頷くばかりだ。
「あなたが家族と言ってくれるなら、俺にとってもあなたは家族です。これからは孝行しますね」
部長の言葉を威軍が通訳すると、祖母と母は楽しそうに笑い、威軍の父親だけが難しい顔をして、不味そうに月餅を食べていた。
〈ああ、でも、威軍が送ってくれた上海の月餅はもういらないからね。色はキレイだけど、ちっとも美味しく無かったから〉
〈おばあちゃん~〉
どうやら若者に人気のスタバの洋菓子風の月餅は、祖母の口には会わなかったらしい。
「来年は、日本の月見団子を贈りますね」
部長の言葉を、威軍がそのまま伝えた。
「他说、明年、给你送日本的赏月团子」
「啊,真期待啊(まあ、それは楽しみ)!」
祖母の笑顔に、来年もまた、こうして志津真と共に家族として中秋節を祝いたい。威軍は心からそう思った。
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