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第41話
9時の面会時間終了に会わせて、郎 一家も病院から帰ることになった。
〈おばあちゃん、私は明日、上海に帰るから、またしばらく会えないよ〉
威軍 がそう言うと、祖母は少し寂しそうに笑ったが、威軍の後ろに立つ志津真 をチラリと見てから孫に話しかけた。
〈志津真がいるから、もうお前の心配はしなくていいね。次に来る時も、ぜひ2人揃って帰っておいで〉
〈ありがとう、おばあちゃん〉
威軍が祖母を抱き締めると、その肩越しに祖母は志津真にも声を掛ける。
〈威軍を、よろしくお願いします〉
「ご心配はいりません。また、来ます…」
やはり言葉は通じていないのに、気持ちだけは深く通じている祖母と志津真は、ニッコリと微笑み合った。
〈じゃあ、そろそろ帰りましょうか〉
後片付けを終えて病室に戻ってきた両親に、改めて威軍が言った。
〈今夜、一度家に帰るけど、その後、今夜のうちに何夏 兄さんの車で北京まで戻ります。…明日、上海に戻るので〉
〈ええっ、そんなに急に?〉
母は驚いて声を上げるが、やはり父は冷静だった。
〈威軍にも仕事があるんだ。困らせるな〉
〈そうかもしれないけど…〉
やはり母親というものは、息子を手元に置きたがる。普段は離れて暮らしていても、たまに会えば別れがたい。
〈じゃあ、母さん。私は次の日曜までこっちにいるから、また明日にも来るよ〉
威軍の父は穏やかにそう言って、車を駐車場から病院の玄関まで回すために、先に出て行った。
〈そんな毎日来なくてもいいのに…〉
祖母が苦笑して言うが、その実、嬉しくてならない様子だった。
〈検査の事もあるから、明日は必ず来ますよ。検査をして、何も無ければすぐに帰れるんだし。私も、日曜まで残りますよ〉
〈無理しなくていいからね〉
仲の良い祖母と母の姿を、眩しそうに眼を細めて見ている威軍に、志津真が小さく囁いた。
「お前も、残ってエエんやで」
両親との会話まで察していたのか、と威軍は思ったが、何も言わずに首を横に振るだけだった。
病室の祖母と別れを告げ、威軍と志津真は、父の運転する車に乗った。
〈部長に、色々とお気遣いありがとうと伝えてくれ〉
自宅に戻る途中、父親が威軍に通訳を頼んだ。
それを伝えると、加瀬部長は嬉しそうに笑い、こちらこそお世話になったと御礼を述べた。
〈部長も、喜んでいます。お世話になったとお礼を言っています〉
威軍が両親に伝えると、母は嬉しそうに笑い、祖母へのプレゼントであるカシミアのストールを褒めちぎった。
「なんだか、あのストールが羨ましいみたいですよ」
「エエよ。今度は…クリスマスに、お母さんにも贈るって言うといて」
「ダメです。息子の立場が無くなる」
笑いながら威軍が言った冗談を、志津真は真剣な顔で受け止めた。
「2人からってことにすればエエんやろ?」
「…それは…」
両親の目を気にして、威軍は引きつった笑顔を浮かべていた。
そして、車は威軍の自宅前に停まった。
〈楊任 の家まで車を返しに行って来る〉
母と威軍、部長を下ろすと、父は下車することも無く、車を貸してくれた友人・楊任 の家までそのまま走り去った。
「ここが、郎くんの生まれ育った家なんやな」
感慨深そうに、志津真は周囲を見まわしながら言った。
「そうですよ。私の部屋も見ますか?」
威軍はソッと微笑んで、志津真を促した。
母の代わりに、病室から持ち帰った荷物を両手に持って、威軍は恋人を先導して自宅へと入った。
祖母の部屋に荷物を置き、威軍は、生れて初めて恋人を自室に招き入れた。
「どうぞ。…もちろん、この部屋に入った『恋人』は、あなたが初めてですよ」
「光栄やな。ここで、ウェイが『大人』になったんやろ」
悪戯っぽくそう言い、志津真は威軍の腰に手を回そうとして、ハッとして止めた。その腕からスルリと身をかわし、威軍は窘 めた。
「なんだか、卑猥な言い方ですね」
「すんません、自重します」
両手を上げて、志津真はおどけたように言う。それを見て笑いながらも、威軍はどこか思い詰めた目をしていた。
「行きましょう。寄りたい場所があるんです」
簡単な荷造りをして、志津真と共に居間に戻った威軍は、両親に迎えられた。
〈もう行くの?またしばらく会えなくなるのね〉
寂しそうな母に、威軍は静かに微笑んだ。
〈また、2人で会いに来るよ〉
〈2人で?〉
威軍の一言を、父は聞き咎めた。
〈どうしてお前の上司までが来るんだ〉
父親は、不気味なまでに冷静な声で問い質した。
〈…それは〉
勇気を振り絞るために、威軍は一度、後ろに立つ上司を振り返った。そして、凛とした強い視線で頷くと、今度は両親の方へ向き直り、敢然とした態度で口を開いた。
〈彼が、私の恋人だからです〉
〈っ!…な、何を言ってるの…?〉
突然の息子の告白に、母親の動転は明らかだった。それに対する父親の落ち着きが不安になるほどだ。
〈どういうことなの!〉
怒りに任せて立ち上がった母は、感情的な様子で加瀬部長に詰め寄ろうとした。
〈どういうつもり!うちの息子に何を言わせるのよ!なんで威軍が、そんな嘘を言う必要が!〉
〈よしなさい〉
掴みかかろうとする母親を、父親は腕を掴んで引き留めた。
「な、何?何を言うたんや、ウェイ?」
慌てる志津真が、思わず言った一言が、母親の感情に、火に油を注ぐようなことになった。
〈うちの威軍 を、『威 』と呼んだ?え?あなた何様のつもりなの?上司だからって、うちの息子に不適切な関係を迫ったってことなの!〉
母親は、感情が昂り過ぎて、ヒステリックに泣き喚いた。
〈やめて下さい、母さん!〉〈やめなさい!〉
威軍と父親が彼女を必死で抱き留め、上司を守ろうとした。
〈出て行け、威軍!今すぐに、その男とこの家を出て行きなさい!〉
〈…父さ、ん…〉
温厚な父が、見たことも無いほど厳しい態度で声を荒らげたことに、威軍はドキリとしてその場に固まってしまった。
「郎くん…」
志津真が威軍を庇うように、後ろから肩を抱いた。
〈やめて!息子に触らないで!〉
泣き叫ぶ母に、威軍は沈痛な表情になって動けずにいた。
〈母さんの心配はいいから。お前たちは、もう帰りなさい〉
父親の冷ややかさに、絶望を感じた威軍は、目を潤ませて実家から出て行くしかなかった。
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