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第42話
涙を浮かべる威軍 の肩を抱いて、志津真 は威軍の実家を後にした。
「言うたんか…。俺たちのこと…」
薄暗い外灯しかない、舗装もされていない田舎道を、威軍と志津真はしっかりと手を繋いで、トボトボと歩き出した。
「言うべきだと、思ったんです。祖母も知っていることを、両親が知らないというのはフェアじゃないと思いました」
こんな時までも、生真面目で誠実であろうとする威軍が、志津真には痛々しくさえ思えた。
「もう、嘘をつきたくないと、思ったから…」
突然足を止め、威軍はその頬に涙を一筋流した。
「母を…傷つけ、父を怒らせてしまった…」
泣き出した恋人を、悲痛な顔をしたまま、志津真は何も言わずに抱き締めた。
「両親を、失望させた…」
2人はしっかりと抱き合い、威軍は唯一安らげる恋人の胸で泣いた。その苦痛を分かち合うように、志津真はしっかりと受け止めた。
まるで何時間もそうしていたような気がしたが、実は1分も経っていなかった。
「…行きましょう。見せたいものがあるんです」
おもむろに顔を上げ、どこか悩ましい赤い目で、威軍は志津真を真っ直ぐに見つめて言った。
その申し出に逆らう理由のない志津真は、威軍に手を引かれてゆっくりと歩き出した。
***
「わあ、スゴイな…」
そのまま目の前の光景に、志津真は言葉を失った。
そこは、威軍が昨夜、何夏と来た溜池だった。
拓けた溜池の上には、日本では「仲秋の名月」と呼ばれる、中秋節の満月が大きく輝き、そのまま鏡写しに池の中にもあった。これ以上はないと思われる完璧な2つの満月の美しさに、志津真は感動を覚えた。
「これが、ウェイウェイが俺に見せたかった景色なんやな」
「ええ。この美しい場所で私は生まれ、育ち、そして…、あなたと出会いました」
2人は微笑み、2つの月に見守られながら親密に抱き合い、キスをした。
「こんなに穢れの無い、高貴で、優美な月見は生まれて初めてや。まるで、ウェイそのものやって思う」
志津真が手放しで褒めると、威軍はちょっと困ったように笑った。
「この景色を見て、育ちました。この景色を、美しいと思って育ったんです」
大きな月を見上げながら、威軍が続ける。
「私が心から美しいと思うものを、あなたにも知っておいて欲しかったんです」
「うん。ありがとうな」
2人は見つめ合い、寄り添い、この先の苦難と幸福について考えていた。
***
威軍と志津真が、何夏の家の前に到着したのは10時15分のことだった。
「あれ?メール?」
志津真に言われて威軍がスマホを取り出すと、それは意外な人物からのチャットの着信だった。
「父からです」
厳しい表情で威軍が応えた。
「何て?」
「これって…」
そこに並ぶ文面に、威軍は呆然とした。
「どうした、悪い知らせか?」
恋人の様子に気が付いて、志津真がスマホを覗き込む。当然のことながらそこに並ぶのは中国語で、志津真は口惜しそうに唇を歪めて、威軍の顔を見ることしか出来ない。
≪不要担心妈妈≫(母さんのことは心配いらない)
≪你的人生由你自己决定≫(自分の人生は自分で決めなさい)
≪我支持你选择的人生≫(私は、お前の選んだ人生を応援する)
≪要幸福≫(幸せになりなさい)
威軍はその場に立ち尽くし、ギュッと目を閉じた。
複雑な感情が駆け巡っていた。
受け入れてくれた父の気持ちが嬉しい。母を苦しめた自分が悔しい。家族に迷惑をかけてしまって哀しい…。
それでも、これからも今の恋人と一緒にいてもいいのだと思えたことが、威軍は幸せだった。
父の最後の1文を、威軍はもう一度見直した。
—要幸福(幸せになりなさい)。
今、自分は十分に幸せだと威軍は思った。
***
何夏の運転する車で北京へ戻ることになり、張麗麗は何夏の隣の助手席に、威軍と志津真は後部座席に座った。
何夏の両親に手を振って車がスタートすると、しばらくして張麗麗がさっそく口を開いた。
〈で、部長は独身なんでしょう?年齢は?ずっと上海に?〉
次々と繰り出される質問に、威軍は淡々と通訳をする。
「なんでそんなこと聞かれんならんねん。どうでもエエやん。知らんがな」
張麗麗が日本語を解さないと分かっていて、志津真は愛想だけは良く、ふざけたように適当に答えるのだが、正確な情報を持つ威軍は真面目な顔をして答える。
〈結婚はしていませんが相手は決まっています。こう見えても41歳です。上海にもいつまでいるか分かりません〉
〈決まった相手って、婚約者ってこと?〉
張麗麗が妙な顔つきで聞き返してきた。
〈郎威軍と同じ?〉
すると今度は、郎威軍は通訳をせず、自分の意思で答えた。
〈ええ、同じですよ。彼が私の婚約者ですから〉
〈なんですって~!〉
「な、なんなん?」
平然と答えた威軍に、仰天した張麗麗は車内であることも忘れて大声で叫んだ。それに驚いた志津真も思わず声を上げる。
〈ちょ、ちょっと…運転中なんだから大声出すなよ〉
必死でハンドルを握る何夏さえも無視して、張麗麗は振り返り、後部座席に身を乗り出すようにして聞き直した。目を丸くして、噛付いて来そうな勢いだ。
〈この日本人の部長が、郎威軍の婚約者、ですって?〉
〈そうですよ。だから、今回、家族に紹介するために一緒に帰って来たんです〉
シレっとした顔で言う威軍に、張麗麗と何夏は呆気に取られていた。
「言うたんか、また…」
2人の反応から察した志津真は苦笑している。
「ええ。あなたの事を、婚約者だと言いました」
「チャレンジャーやな」
「失うモノはありませんから」
しゃあしゃあと答える威軍が、志津真には頼もしくて、嬉しくなった。
「なるほど、ね」
そう言うと、狭い後部座席の部長が急に身を起こし、威軍の首に腕を回して引き寄せた。
〈真的吗、唔~(マジか、おい)!〉〈诶~、怎么回事(え~、どういうこと)?〉
まるでドラマのような2人の美しい口づけを見せつけられ、張麗麗も何夏も愕然として、何も言えなくなった。
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