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第3話
俺は脳内に精密な人体図を描く。
身体の欠損部を細胞レベルで再生させ、破損部位をやはり細胞レベルで修復するためだ。皮膚や筋肉、筋だけじゃなくもちろん外から見えない内臓もで、この機能を少しでも損なえば肉体は機能しない。
頭の中に細胞核を想像し、それが細胞壁によって区切られ、また新しく生まれ変わる様までも想像しながら魔力を込める。
この段階になってようやく俺が修復術にだけ集中出来るよう、傷口保護の魔法を代わってくれる者が現れた。横に並んで魔法陣を掲げて貰うと負担がフッと軽くなるのを感じて、一つ息を吐き出しながら相手と視線で頷き合う。
人体再生と復元は良くても、もしも患者が死んでいた場合、死者の甦り魔法は禁忌とされている。再生と復元をやり過ぎると甦らせてしまう事もあって、そうなったら禁忌魔術の使用者として術者の方が罰せられる。
万が一ガイ少将が既に死んでいたら、死体を蘇生させてしまったら……。
手助けしてくれるのは生きている方に賭けた仲間で、胸に熱い物が込み上げて来る。
「集中しろよ。お前にかかってる。来たぞ」
声をかけられて、俺は黙って頷いた。
何が来たのかなんて、エリアAの責任者に決まってる。本来ならば患者の生死を確かめてから生きている場合にのみ掛ける術で、それだって人体について詳細な知識が有り、終わりまで集中力と魔力を維持し続けられる者にしか出来ない賭け。特に魔力の方が問題で、大量の魔力を消費するからそれなりの実力者じゃないと。
だけど上が判断するのを待ってたら日が暮れるどころか患者が死ぬ。
「何をやっている!」
後ろで響いた怒鳴り声を無視した。
「誰が指示した!こんなの知れたら大事だぞ!」
周囲で他の者の治療に当たっている職員達は忙しなく動きながら、こちらの様子を伺っている。
イライラした怒鳴り声に意識を持って行かれないように集中する俺の額には、じわりと汗が滲んでいた。
「ああ!くそっどうしてくれるんだっ!」
始まってしまっている大魔術を止める訳にもいかず、責任者のハゲは大問題だと地団駄を踏んだ。
「すまない。魔力切れだ」
その間にも保護魔法を掛けてくれている仲間が青い顔で膝を折って、すかさず別の人が代わりに傷口の保護に入ってくれてと、休む事なく続いて行く。魔力切れを起こした職員は倒れ込んで床の上を引きずられて行った。
「応援なんかしなくていい!お前らは他の者の治癒を優先しろ!」
応援が無いと魔力を維持出来ないのでそれこそ大問題なんだけど……いや、アホに気を取られる事の方が大問題だ。
そんな事が何人分か続いて、最初から治癒に当たっていた俺自身もクラクラと目眩を覚えてきた。
だけど俺が倒れたら少将は死ぬ。
乾いた唇を舐めて、集中力を維持するために必死だ。
「こいつの階級はなんだ!?軍曹!?そんな底辺が……失敗するに決まってる!!」
「今はそんな場合じゃ有りません。次の応援を要請して下さい、人手が必要です」
「こっち、重傷者の治癒が終わりました。運んで下さい」
「誰かセレスに魔力を分けてやってくれ」
こうしている間にも周囲では怪我人の治癒が行われていて、そちらにも人員を取られるのだ。こっちに回せる治癒者を他から集めて貰わないと……。
チラリと思ってしまって、腸の絨毛を何個再生させたのか危うく忘れそうになる。えぇと……。
一瞬フラつき足がもつれて、転びそうになった所でトンっと背中を誰かの胸板に抱き止められた。
「大丈夫だ、良くやった」
低い声と同時にふわっと温かな魔力に包み込まれて、それが身体に満ちて来る。この声は……振り仰ぐと、無精髭の生えた顎のラインが斜め上に見えた。
「クライル大佐」
人使いの荒いクライル大佐だ。
視線が合うとクライル大佐が薄い唇を片方だけ引き上げてにっと笑った。
「支援を連れて来た。あっちは俺が何とかするから、頑張れよ」
そう言って大佐は怒鳴り散らしているこの場の責任者に向かって行った。大佐と入れ違いに病棟メンバーの見知った顔ぶれが俺に魔力を分け与えてくれて、死ぬ程心強くなる。
「セレス、踏ん張れよ」
「終わったら大佐が死ぬほど飯食わせてくれるってよ」
くそぅ。
いつもは人使いが荒くて自分は動かないくせに、応援を連れて駆けつけるなんてやってくれる。その上邪魔な責任者を黙らせてくれるなんて、こういう時だけは本当頼りになる。
心強い励ましと援軍を得て治癒に集中し直すと、しばらくして一人また一人と魔力切れを起こした職員が倒れて行き、いったい何人が魔力を枯渇するまで注ぎ込んだのかもう分からない。
修復はあと少しという所まで来ていた。俺も制服の中に着ているインナーが汗で肌に張り付き、いつの間にか自分の額もびっしょりと濡れて髪が張り付いている。
切断されていたガイ少将の上半身と下半身は違和感無くぴったりとくっついて、中の神経も毛細血管の一つも残らず元通りになっているはずだ。
もう少し、あと少し。
「……終わった」
ガクンと膝が折れた所で、後ろから大佐にがっしりと支えられた。
「よし。良くやった」
「患者は……」
術を掛け終えて、俺はようやくガイ少将の傷口では無くて顔を見た。
少将なんて上級職ならてっきり年配者だと思っていたのに、二十歳半ばだろうか、予想外に若い。おまけに超絶イケメン。血の気を失って真っ白な顔色をしているし、上品に小さく厚めの唇はチアノーゼで紫になってるけど、向けられた横顔はどんな彫刻よりも美しく整っている。
黒の髪が白い輪郭に散ったその姿は、上半身と下半身がくっ付けば大柄のスラリとした男だった。
しかし、生きているのか?
成功したのか?俺は禁忌の黒魔術使い手として軍事裁判にかけられるのか?
分からない、分からない、何も分からない。少将を見ているのに視界がどんどん暗くなって来て、自分が何を考えているのかも分からなくなる。
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