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第10話

その朝は唐突にやって来た。 適当な時間になってから寝ている少将の手を取って魔力を注ぎ、揺り起こす。 この時俺は、瞼を開けたガイ少将の瞳の強さがいつもと若干違うなと思った。 すると少将は部屋の中を回して、自分の身体を見下ろして、次に俺を見て、そして言ったのだ。人体再生の魔術書を持って来いと。 「自分の状態は何となく分かってる。あぁ、それから晒しも持って来い」 それらを要求するのは覚醒した証拠で、ストンと落ち着いたのだろう。このような回復の仕方をこれまでに何例も見て来たから、少将はもう大丈夫。 「すみません……」 小さくなって謝る俺に、何に対しての謝罪なのか汲み取った少将は笑ってくれた。 「よくやってくれたよ。助けてくれた事も、それからも。ありがとう」 真っ直ぐに目を見てゆったりと微笑む、自信に満ちた人。 あぁ……これが本当のガイ少将なんだ。 おっぱいを着けた事を理解したら殺されると思っていたけど、穏やかに微笑む顔には怒った様子が無い。 そのかわり表情からぽーっとしたあどけなさが消えて、覚醒したガイ少将は利発な顔をした人だった。薄い頬も切れ上がった目元もスッキリと聡明。 意外に短い日々だったけど、回復が早くて良かった。 少将はベッドに腰掛けたまま、両手を握ったり開いたりして自身の身体を確かめている。そして言う。 「少しの間なら離れても自分の魔力を保っていられる気がする。その間に本と晒しを持って来い」 もう離れても平気なんですか? 枯渇した魔力が戻ったんですか? 「どれだけの時間離れていられるか試す、行け」 それは実験をするって事で、離れられないかも知れないって事じゃないか。 しかし命令することに慣れた口調に逆らう余地は無くて、彼は俺のガイちゃんでは無い、もうガイ少将なのだ。 言われた通りに図書館で魔術書を借りて備品庫から晒しを持って戻ると、少将は病室でちゃんと意識を保っていた。どこかに連絡をしていたらしく、応接セットのテーブルに走り書きのメモが何枚か投げ出してある。 「セレスを対魔団に異動させたい」 「え?」 俺から晒しを受け取った少将はくるりと背中を向けて、胸に晒しを巻き始めた。おっぱいを潰す気だ、隠すなんて残念。 「あの無精髭の大佐に先手を打たれてたよ。飽くまで応援で、貸してもいいが手放したくは無いらしい」 机に散らばってるメモ用紙はそれか。 「あぁ……クラクラするな、セレス来い」 来いと呼ばれて近付けば、襟首を掴まれて乱暴に引き寄せられ、トン……と、少将は俺の胸に掌を突いた。 魔力切れだ。 俯いた頬が白くて、唇が少し震えている。 って事はまだ離れられないって事じゃないかな。 頭は覚醒したけど魔力枯渇が治ってない。 「……三十分か」 「クラクラする前に補充しないと動けないので、二十五分と思って下さい」 そう言うと俺を見上げて鼻で笑う。 「やっぱりセレスの魔力は心地良いな。で、お前の希望は?」 「え?」 「私の側とあの無精髭の側」 そりゃおっぱいの方が全然いいけど、対魔で戦場に付き合わされた日には命が幾つあっても足りない。 「治癒が希望です」 言った瞬間、乱暴に突き放された。 「来い、まず飯だ。本を忘れるな」 颯爽と黒の軍服を着込んだ少将に連れられて、病室を出る事になった。 やって来たのは治癒棟内にある一般人も利用できるカフェだった。ウッドデッキが中庭に面しているので人口的ではあるが自然も楽しめる憩いの場。 少将はデッキの丸テーブルを一つ陣取って魔術書を広げた。黒の軍服姿で長い足を組む様は腹が立つほど様になっていてかっこいい。 俺は隣の椅子に座って膝の上に投げ出されている少将の手をテーブルの下に隠して握る。 「好きなのを頼め。私はコーヒー」 俺はコーヒーとサンドイッチにして、店内の様子を眺める。ウェイトレスや客がチラチラとこちらを見ていて、やっぱり目立つ人だなと思った。 そりゃ目立つだろう、黒の軍服は軍の中でも花形の対魔団で、しかも左肩には将校を示す勲章が輝いている。 「気に入らないな」 「何がです?」 「視線。お前は目立つ」 めっそうない。目立っているのは貴方です。 その顔とか顔とか超絶美形顔とか。 そんな人がテーブルの下で男と手を繋いでいるのだ。この国は同性婚を認めてもいるし町を歩けば同性カップルも多いので、相手が男だって事が問題なんじゃ無い。そんな可愛らしくて初々しい熱々ぶりをこの堂々とした人が披露している事が注目を集めるのだと思う。 「私は男にはモテ無いよ」 ページをめくりながら呑気に言う横顔に、分かって無いなと思う。 男でも惚れるだろ、この格好良さは。 木漏れ日が少将の黒髪を柔らかく透かして、俺はしばらく時を止めるようなその横顔に見入った。 しばらくしてパタンと魔術書を閉じた少将は、長いため息を吐く。 「治癒は苦手なので詳しく学ぼうと思った事は無かったが、とんだ大技だな」 そうして繁々と俺の顔を眺めている。 「問題なのは魔力の量で、みんなから協力して貰いました。あの場に居た全員の力です」 「そうだな、全員に感謝しないと。そして人体を正確に描ける知識と想像力のおかげで助かった、ありがとう。お前のような優秀な者が軍曹か……」 言い方を変えて来た。 「俺は平民なのでこう見えて出世コース走ってますよ。優秀かどうかは別問題ですが」 貴族は下の方の階級をすっ飛ばして少尉から始まるけれど、平民は当然一番下の二等兵から始まる。つまりスタート地点から違うのだから、少将と同じに考えられちゃ困る。そりゃ二十歳半ばで少将なのはいくら貴族でも恐るべし爆速ぶりだけれど。 ちなみにあのクライル大佐は少将のすぐ下の階級になる。平民からの三十路そこそこで大佐では、クライル大佐の方が出世街道爆走しているけれど、治癒は専門職なので人数が少なくて出世し易いという事が有り、別枠扱い。 やはり花形の対魔を率いるガイ少将は特別だ。

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