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― 王都への道 ④

 そこは、これまで立ち寄った宿場町のどこよりも小さな里だった。周囲は山林に囲まれ、長閑な雰囲気だが里は活気づいていた。祭りでもあるのか、人は忙しなく動き、薄紅色の大振りの花が至るところに飾られている。  到着したのは昼前だったが、今日はこれ以上進まず、この里で夜を明かす予定だ。明朝、日が昇る前に立てば、最後の街に野宿せずに着ける。  シモンは早速、宿屋で手続きをしており、イリアスと海人は宿の外で待っていた。すると、籠に花を詰めた若い女の人がやってきた。 「外から来たですね。今日は花鎮めのお祭りなんですよ。お花、どうぞ」  フリルのスカートにくるくるした長い栗毛の女の人は、にこりとしながら、海人に花を差し出した。 (かわいい……)  海人はちょっとドキドキしながら、蓮華(れんげ)を大きくしたような花を受け取った。 「騎士様もおひとつ、どうぞ」  頬を赤らめながら、イリアスにも花を渡す。イリアスが受け取ると、恥ずかしそうに上目遣いをしながら、片耳に髪をかけた。色っぽい所作だった。  海人は自分のときとの態度の違いに、そうですよね、本命はそっちですよね、といじけた気分になる。  イリアスは受け取った花を見て、これは何に使うんだ、と訊いた。  美貌の騎士に話しかけられた彼女は、頬を上気させて答えた。 「お祭りの最後に、このお花を里の裏手にある川に流すんです。花鎮めの祭りは亡くなった方への鎮魂の祭りなんですよ」 灯籠流しみたいなものか、と海人は思った。お盆の季節に灯籠に火を灯して海や川に流す。それは幻想的な光景だった。 「あの、騎士様。よかったら……」  女の人が何かを言いかけたところでシモンが宿から出てきた。宿屋でもらったのか、同じように花を持っている。 「お待たせしました。今日はお祭りみたいですね」  シモンは花籠を持った彼女に目を向け、笑いかけた。 「ありがとう。もう行っていいですよ」  体よく追い払う。有無を言わさぬ笑顔に、彼女は慌てたように駆け出した。  走って行った後ろ姿を見て、シモンがため息交じりに言った。 「だめじゃないですかー。若い子と話し込んだりしちゃ。惚れたりしたら、かわいそうですよ」 「里の祭りだ。無下にもできないだろう」 「そうですけどー。カイトも、ああいうときは追い払わないとダメだぞ。かわいい子だからって相手しちゃダメなんだからな!」 「お、おれは別に、なんとも……」  ちょっとかわいいと思ってしまったのは本当なので、あまり説得力はない。  シモンはきょろきょろと周辺を見て、広場の向こうを指さした。 「あっちにうまい店があるそうですよ。昼飯にしましょう」  里の広場では幟旗が立ち、出店もあった。すでに祭りの準備は整っているようで、子供たちもはしゃいでいる。  広場を通過し、宿屋で紹介された定食屋に入る。テーブル席が六つ程の、あまり広くない店だ。先客がいつものように不躾に見てきたが、気にせず入口に近い、四人掛けのテーブル席に座った。  シモンが里のおすすめ料理を注文して待っていると、店の奥にいた男が一人、遠慮がちに近づいてきた。 「シモン……だよな?」  呼ばれたシモンは顔を上げ、彼を見て勢いよく立ち上がった。 「ラダ⁉ どうして、ここに!」  ラダ、と呼ばれた赤茶けた髪をした青年は破顔した。 「そりゃこっちのセリフだよ! おまえこそ、何してんだよ!」  どうやら知り合いらしい。偶然の再会に二人は喜び合っている。  シモンが振り返り、青年を紹介する。 「隊長、こいつは俺が近衛騎士団にいたときの同期なんです。歳はラダの方が上ですけど、騎士団では一番、仲が良かった奴です」  ラダは隊長と呼ばれたイリアスに向かって背筋を伸ばした。 「サラディール隊長、お初にお目にかかります。近衛騎士団第二中隊所属、ラダ=ガルダと申します。お会いできて光栄です」  ラダはイリアスのことを知っていたようだ。イリアスも立ち上がって、名乗った。 「イリアス=ウィル=サラディールだ。貴殿は非番のようでもあるし、堅苦しいのはなしにしよう」  イリアスは同席を促した。シモンの隣に座っていたカイトは、イリアスの横に移動した。  シモンがおまえはここで何してんの、とラダに訊く。気安く話すシモンとは対照に、イリアスがいることを踏まえているのか、ラダは丁寧な言葉を使った。 「僕はこの里の生まれでして。花鎮めの祭りがあるので、休暇をもらって里帰りしていたところなんです」  ラダは麻の生地の村人らしい服を着ていた。剣ももちろん、下げていない。 「皆様はなぜこの里に?」  当然の疑問である。  シモンが「あー……」と答えに詰まったところで、イリアスが口を開いた。 「我々は護衛の任務で、王都に向かっているところだ」  護衛と聞いて、ラダがちらりと海人を見、軽く頭を下げた。海人もつられて頭を下げる。  イリアスは海人を紹介しなかったし、シモンも海人のことには触れなかった。それだけでラダは深入りしてはならないと察したのか、海人から視線を外し、話題を変えた。 「シモンが騎士団辞めて、リンデの辺境警備隊に入るって聞いたときは、みんなびっくりしたんですよ。あの時は気でも狂ったのかと思いました」  ラダが可笑しそうに笑う。ひでえ、とシモンが顔を顰めた。 「理由を訊いたら、サラディール隊長に命を救ってもらったから、あの人に一生ついていくんだって言いましてね。俺の命はあの人のものだって言って。上官も辺境警備隊なんてふざけんなって言ってましたけど、周囲の反対押し切って出て行っちゃったんですよ」  途端、シモンが頭を抱えてテーブルに突っ伏した。 「ラダあああ……なんで言うんだよ……」  イリアスに憧れてリンデに来たことは公言していたが、周囲になんと言って辞めてきたかまでは話していないようだ。仲の良かった同期に暴露されてしまい、シモンは恥ずかしさで今にも転げ回りそうだった。  シモンがふくれっ面をしていると、食事が運ばれてきた。せっかくだから、とラダも自席から皿を持って移ってきた。  海人はシモンにイリアスに助けてもらった話をせがむと、不承不承、話してくれた。  シモンがイリアスに助けられたのは、二年半前。  当時、王都魔獣討伐にシモンは初めて参加していた。入団一年で魔獣討伐に参加できるのは、かなりの実力がないと無理なのだそうだ。残念なことにラダはその討伐部隊には選ばれなかったという。  王都の近くにある森は深い。ゆえに、危険な魔獣が多く生息している。  魔獣討伐部隊は四つの州の警備隊と近衛騎士団の五つの部隊がそれぞれ、決められた範囲を索敵、討伐していく。どの州の警備隊も、近衛騎士団すらも魔法を使えない者がほとんどである。ゆえに魔法を専門にする魔導士が魔獣討伐のときに派遣されてくる。今回も各部隊ひとりずつ、王都にある魔法院から魔導士が派遣されていたが、リンデの辺境警備隊は魔導士派遣を断っていると知り、シモンは驚いた。彼らは剣と魔法を駆使するという、各々の潜在能力が高い。王宮の要人を守る任に就いている近衛騎士団の実力を遥かに凌いでいると噂されており、その筆頭が隊長のイリアスだった。ちなみにシモンも剣ではなく、防御魔法を重視されての参加だった。  一隊が十数人いても、魔獣との戦いで命を落とすことはままあるという。シモンはそのとき、十五人の騎士団組にいて、窮地に立たされていた。  彼らは運悪く、狼型魔獣ドーターの縄張り奥深くに入り、住処の近くに足を踏み入れてしまったのだ。ドーターの怒りは激しかった。あのとき何頭いたのか、思い出せないくらいの数に囲まれた。こういうときは人間が撤退するに限るが、ドーターは住処を脅かした人間を許す気はなかったようで、逃げる隙を作らせなかった。仲間がしだいにやられていき、絶体絶命だったときに、たまたま近くにいたイリアスが異変に気付き、駆け付けた。  彼らリンデ組はわずか五人しかいないのに、強かった。中でもイリアスの戦いぶりは圧倒的だった。   魔法院の魔導士が目を見張るほどの強力な魔法が放たれ、ドーターが数頭やられた。それを見たドーターが怯んだところを剣で叩いていく。あれだけの数のいたドーターだが、勝ち目がないと思ったのか、散り散りに森の奥へと逃げていった。リンデ組はあっという間に蹴散らしてしまった。あわや全滅となりかけた近衛騎士団の魔獣討伐部隊は、彼らの救援で九死に一生を得た。 「あんな助けられ方したら、惚れちゃうだろ⁉」  シモンは助けた本人を前に、鼻息荒く海人に語った。 「う、うん……」  ちょっと引いた海人に、ラダが笑った。 「そのシモンが、今こうして憧れの隊長と一緒に任務にあたってるんだもんな。感慨深いよ」  ラダは興奮を治めさせようと、ポンとシモンの肩を叩いたとき―  里から甲高い悲鳴が上がった。店内の全員が一斉に顔を上げた。 「フロータービーストだ!」  外から聞こえた声に、海人以外の三人が同時に立ち上がった。  シモンが真っ先に外に出て、ラダも店を飛び出していった。イリアスの後ろを追って海人も外に出ると、皆、空を見上げていた。  里の上空を黒い、蝙蝠のような羽をした大きな魔獣が旋回していた。 「隊長! ドーターもいます!」  シモンが鋭い声を上げた。 外に出ていた里の人たちは近くの家や建物に転がり込んでいく。ドーターが里の中に何頭か入ってきていた。ゆっくり歩みを進めていた一頭が海人を見つけ、赤い瞳をたぎらせて、向かってくる。イリアスが風の魔法を放ったようで、鋭い風刃がドーターを引き裂いた。 「カイトは中に入っていろ!」  イリアスが叫ぶが、海人は足が震えて動けなかった。  これは、自分が引き寄せたのか―  硬直した海人にシモンが駆け寄り、腕を掴まれ、店に放りこまれた。扉が閉められる。  店内には怯えた人たちが、窓から離れたところに固まっていた。海人はガクガクする膝を握り、力を込めて、震えを抑えた。くずおれてはだめだ。  戦ってくれている人たちがいる。  海人は顔を上げた。閉じられた扉を見つめ、両手を握り、祈った。  ―どうか、無事でありますように。  今の海人には、イリアスたちの無事を祈ることしかできなかった。  ***  店の扉を閉めたシモンはイリアスの横に立ち、剣を抜いた。  狼型魔獣ドーターはまだいる。 里の人々は家に入って身を潜めた。人の匂いを嗅ぎ取ったドーターが住居に体当たりをしていたが、入れないとわかるとすぐに諦めた。代わりにもっと『気になるもの』に向かってやってくるだろう。 イリアスはドーターには目をくれず、上空を見ていた。 様子を窺うように、里を見下ろしながら旋回を続ける黒い羽根。 鳥獣型魔獣フロータービースト。 「あれが下りてきたらまずい」  人間の五倍ほどの大きさがある。獲物を見つけたら降下し、鋭い足で掴み、連れ去っていく。羽ばたきでかまいたちのような風の魔法を発動することもあり、カイトを狙って上空から魔法を放ってくる危険もあった。イリアスは店の前から動くことができない。  ぐるぐると見定めるように旋回していた鳥獣型魔獣に言語があったとしたら、こんな感じだろう。  ―なんだかよくわからないが、なにか気になって、来てみた。そして、なぜか、あのあたりが気になる。あそこになにかある。あれが、欲しい―  イリアスは第五の霊脈に魅かれて出て来る魔獣の気持ちは、こんなものではないかと思っている。人間ほどの知能はないため、食欲優先のようだが、知能の高い魔獣になれば、カイトを狙うことを重視するかもしれない。  姿が見えなかったラダが剣を携えてやってきた。ラダが合流し、戦力が増える。遠目でドーターがこちらを見つけて駆け寄ってきた。二人が連携し、危なげなくドーターを仕留める。  空中を飛んでいるので仕留めにくいが、フロータービースト一匹くらいなら退治できるだろう。だが、山間にあるこの里は、奴らの根城が近いのかもしれない。あの一匹だけを退治しても、カイトに魅かれ、魔獣がまた出てくる可能性は大いにある。  イリアスは決断した。 「里に結界を張る。時間を稼いでくれ」  シモンとラダが短く返事をし、イリアスの前に出た。向かってくるドーターを二人で応酬する。彼らに援護してもらっている間に、イリアスは胸の前で指先を合わし、集中した。  普段は難なく魔法を発動できても、結界ともなると時間が必要だった。  里全体を覆う、広い結界。  結界は防御魔法の一つではあるが、通常の防御魔法とは比べ物にならないほど強力な魔法障壁だ。結界は壊されるか、時を経て徐々に効力を失い、自然消滅するかのどちらかである。そのため通常の防御魔法より多くの魔力を使う。そもそも魔力の少ない者には結界は作れないうえに、顕現するための干渉方法もまた複雑だった。  フロータービーストは羽ばたきながらしばらく旋回していたが、いよいよ狙いを定め、カイトのいる店を目指して急降下した瞬間―  バチンッと強い力で弾かれた。  間一髪で、イリアスの広域結界が完成した。  大きな鳥獣が弾かれた音を聞いて、ラダが空を見上げた。 「すごい……」  シモンも同じように見ていた。  フロータービーストは何が起こったのかわからないのか、再度降下しようとして、再び弾かれる。そこには降下したくてもできない魔法の障壁があるのだ。  大きく息を吐き、イリアスが二人に指示を出す。 「里の中のドーターを一掃しろ。結界の内に入っているものは、どうにもならん」  二人は共に、里に残っているドーターを仕留めに行った。  里が静かになってくると、家の中にいた者が様子を見にそろりと出てきた。 「まだ危険だ! 中にいろ!」  イリアスが声を張り上げると、里の者たちは慌てて家に引っ込んだ。  しばらくして、剣を片手に二人が戻ってくる。 「隊長、里の中は大丈夫です」  シモンが報告してくれたが、イリアスは険しい顔で空を見上げていた。  鳥獣型魔獣フロータービーストは頭が良い。故に無理だと思ったものは、すぐに諦めて去る傾向がある。しかし、今回は諦めていなかった。余程カイトの第五の霊脈が気になるのだろう。知能が高い魔獣ほど厄介かもしれないと思ったが、その通りだった。  体当たりしても破れない、魔力を伴った障壁だと理解したフロータービーストは、結界を破ろうと、羽ばたきで風の魔法をぶつけはじめた。  イリアスは内心、舌打ちした。  結界を破るには、魔法でしか破れない。属性は関係ないので、何かしら魔法をぶつけ続ければ、いずれは破れてしまう。フロータービーストはそれがわかっていて、絶えず風の魔法を放ち続けていた。魔獣がどれだけの魔力を持っているのかはわからない。だが、このままでは確実に破られてしまう。  フロータービーストは賢いがゆえに、阻まれるほど、未知の霊力が欲しくてたまらないといわんばかりだった。  結界が破られてしまったら、降下してきたフロータービーストと戦うことになる。  やられるつもりはない。だが、無傷というわけにはいかないだろう。あれだけの大きさの魔獣だ。剣の一突きで倒すことはできない。風の魔法を放たれたら、防げないかもしれない。 「隊長……」  シモンが不安そうな声を上げたとき、イリアスは動いた。  店の扉を開けると、奥の壁際にいたカイトが真っ先に駆け寄ってきた。 「カイト、力を借りたい」  イリアスの頼みに、カイトは大きく頷いた。外に連れ出し、シモンとラダに言った。 「二人とも中に入っていろ」  ラダは躊躇したが、シモンが「いいから」と店の中に連れて入ってくれた。  今、この里で外にいるのはイリアスとカイトの二人だけだった。  カイトは空を見上げた。上空ではフロータービーストが魔法を放っては弾かれる音がする。  顔を戻し、イリアスを見つめた。 「どうすればいい?」 「これから伝える言葉を詠唱してほしい」 「わかった」  カイトに伝えると、意味がわからなかったのか、首を捻ったが、その言葉通り、口にした。  ―世々の御祖の血の盟約を以って、彼の者に受けし力を与えん―  唱え終わった瞬間、カイトの体が輝いて見えた。強い魔力が生じ、光っている。  イリアスは両手で海人の顔を上に向けた。  自らの体の変化を感じるのだろうか、黒い瞳は戸惑っている。  イリアスはさらに戸惑わせることを、心で詫びながら、カイトに口づけた。  カイトの体が固まるのがわかったが、今は構っていられない。第五の魔力である『それ』を吸い上げる。カイトに生じた魔力をすべて引き取り、ゆっくりと口を離す。  再び黒い瞳を見ると、カイトが驚いたように言った。 「イリアス、目が……!」  目、とはなんだろうと思ったが、結界を張り直すことが最優先だ。受け取った魔力は身に余る膨大なものだ。カイトから体を離したイリアスは、再び結界を発現させるため、目を閉じた。ほどなく、破れかかっていた結界は再び張りなおされた。しかもその威力は先に張ったものと比べ物にならなかった。  フロータービーストの風の魔法を跳ね返し、自らの魔法で魔獣は傷を負った。  ギャアアアッと醜い悲鳴を上げ、さすがに命の危険を感じたのか、山に向かって飛び去って行った。仕留めることはできなかったが、去ってくれただけで十分だ。山の奥に消えるのを確認して、イリアスは店の扉を開けた。  終わった、と短く告げる。  自分で張っておいてなんだが、どれほど魔獣が来たとしても里には入れないと言い切れる堅牢さだった。これで里は安全になった。 「後は頼む」  シモンは頷き「さあ、みなさん、もう大丈夫ですよ!」と明るく言った。ラダも、里の人に伝えてくる、と背後から聴こえた。  イリアスが店を出ると、カイトが追いかけてきた。 「イリアス、大丈夫?」  心配そうにのぞき込んできたカイトの顔は、見ることができなかった。 「少し休む」  一言だけ残し、イリアスはカイトを振り返ることなく宿屋に入った。

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