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― 王都への道 ⑤

 窓の外から軽快な音楽が聴こえてくる。日が暮れて、里は昼に魔獣が襲撃してきたとは思えないほど、明るく賑やかだった。  花鎮めの祭りが始まっていた。  当初は開催が危ぶまれたが、里はイリアスが張った結界が生きている。魔獣が入ってくることはないと、シモンとラダが説明したおかげで、予定通り行われることになった。  海人とシモンは宿屋の一階にいた。夜には食堂になった店内で寛いでいる。食事を済ませ、 軽くつまめる木の実の盛り合わせを口に放り込んでいた。  魔獣を退治してくれた騎士に礼を言いに宿に来る者が何人もいて、シモンが愛想よく対応していた。そのたびに海人は居たたまれない気持ちになった。  里が襲われたのは、自分のせいなのだ。  そんなことも露知らず、差し入れとばかりに酒を置いて行く人もいる。王都までは禁酒中のシモンは苦笑しながらも、ありがたく受け取っていた。    中には「騎士様に御礼を言う」という名目で、噂になった美貌の人を一目見に訪ねてくる若い女の子たちもいた。だがシモンがあしらうまでもなく、イリアスはまだ起きていなかった。  里の人たちから祭りに誘われたが、イリアスが休んでいるのに出かける気にもなれない。かといってすることもないので、こうやって宿屋の一階で時間を潰していた。 「明日は早朝出発って話だったけど、無理だよね」 「んー。隊長が起きないことにはどうにもなんないしな。王都に着くのが一日伸びるくらいだろうな」  海人がイリアスの様子を見に部屋に行ったら、深く眠っているようで、全く起きる気配がなかった。そのことをシモンに言うと、少し驚いていた。いつもなら、人が近づくとすぐに目を覚ますらしい。  シモンは窓から広場に駆けて行く子供たちを眺めていたが、不意に海人を見た。 「本当のこと言うと、半信半疑だったんだ。でもおまえの力、本物だったんだな」  イリアスは一度目の結界で魔力をほとんど使い切っていたと思われる。それを海人が回復させた。しかも初めに張った結界より強力になっているのは視てわかった。イリアス本来の魔力を上回る魔力が与えられたことは容易に想像できた、というようなことをシモンは言った。 「おれも、あんなこと本当にできるなんて思ってなかった」  海人自身も信じきれないところがあった。生まれたときから異能などなかったし、この世界に来てからも体に変化を感じることはなかった。だが、疑いようのない現実を目の当たりにした。あの詠唱の言葉をきっかけに、体に異変も感じた。  シモンが海人を見ながら言う。 「どうやったのか気になるけど」    海人の心臓が跳ねる。  彼も魔法を扱う者だ。その恩恵に預かれなくても、魔力の付与自体には興味があるようだった。  呪文のようなものを唱えた後、海人は体の奥深くから『何か』が沸き起こるのを感じた。嫌な感じはせず、温かいような感覚だ。その『何か』はイリアスから口づけされて、胸を通り、喉を通り、彼に渡っていった。『持っていかれた』感じだった。  その光景は端からが見れば、ただのキスシーンだ。   唇を触りながら、なんて答えようかと言葉に詰まっていると、シモンが不貞腐れたように言った。 「けど、隊長は知られたくなかったみたいだからな。聞かないでおいてやるよ」  隊長ラブな彼は敬愛する上司を裏切らない。シモンが追及しないでいてくれることに救われた海人だった。  その後もとりとめのない会話を二人で続けていた。 「俺、王宮の中に入ったことないからさ。実はちょっと楽しみ」 「イリアスは何度か行ったことあるみたいだけど」 「隊長は腐っても貴族だからなあ」 「誰が腐っても貴族だ」  不意に第三者の声が割って入った。二人が顔を上げると、いつの間にかイリアスが近くに立っていた。  ベッドで倒れ込むように寝ていた彼は、部屋に二人がいないことを知り、一階に見に来たようだった。  緩慢な動作で海人の横に座り、片肘をついた。気怠そうにしているのを初めて見た。  シモンが水を注文する。  何か食べますか、とシモンが問うと、軽いものにしてくれと返した。 「イリアス、大丈夫?」  あまり大丈夫そうではない感じだが、訊かずにはおられない。 「ああ。まだ力半分ってところだが、問題ない。カイトの方こそ、体は大丈夫か」  どきりとした。海人はわずかに動揺しながら答える。 「お、おれは大丈夫」  昼間のあれを意識するなという方に無理があった。  海人が慌てたのをシモンは不思議そうに見ていた。  すまなかったな、とイリアスは海人に言った。  海人は首を振る。彼の「すまない」には口づけのことも含まれているのだと思った。  イリアスは額を押さえて短く問う。 「状況は」  シモンはすっと姿勢を正し、顔が引き締まる。 「死者、怪我人ともにありません。家屋の損傷もなし。里に入った魔獣はドーター四頭。その後、現在まで魔獣の出現はありません」  普段は上官をからかうような口を叩くシモンだが、やるべきことはやる人間だ。  日中イリアスが去った後、民家を一軒一軒回り、被害状況を確認していた。  海人もシモンについて回り、最後の一軒が終わったところで人的被害がなかったことに安堵した。  イリアスが部下の報告に頷いたとき、ラダがやってきた。 「みなさん、お揃いでよかった」 「おー、ラダ、おつかれ……あれ、その子は」  ラダの後ろに見覚えのある若い女の人がいた。里に入ったとき、花をくれた子だ。 「俺の幼馴染のユナです。みなさんのところに挨拶に行くっていったら、ついて来ちゃって」  ユナと呼ばれた彼女は下ろしていた髪を結い上げ、花をモチーフにした簪をつけていた。昼間より可愛いくなっている。祭りの始まりに合わせて、おしゃれをしたようだ。  海人は一瞬見惚れたが、イリアスは一瞥しただけだった。 「サラディール隊長。里を守ってくださり、ありがとうございました。シモンもありがとう。 みなさんが偶然ここに来ていなかったら、どうなっていたことか……」  ラダとユナは深々と頭を下げた。海人の頬が引きつる。  里が襲われたのは偶然ではない。自分が来なければ、魔獣が襲って来ることもなかった。  海人は罪悪感で、頭を下げる二人を見ることができずに俯いた。 「王都に行かれるとのことでしたが、里を出るのはいつ頃ですか」  ラダが訊いた。 「明朝発つ」  イリアスの答えに海人は予定通りか、と思った。イリアスは続けてラダに言った。 「里を出るとき、結界は解いていく。皆にはそのことを伝えておいてくれ」  それを聞いたラダは惜しむような顔をした。 「このままというわけには、いきませんか」  強固な結界が里を守ってくれている。できることなら残しておいて欲しかった。  里の者はみなそう思うだろう。ラダは魔法に関して詳しくはない。なぜ結界を解くのか、理由がわからなかった。 「結界は魔力を持つ者の侵入を阻む。魔獣だけでなく、魔力を持つ人間もだ。内から外に出ることは可能だが、一度出たら里に入れなくなる。そうなれば困る者もいるだろう」  魔力のない者にはありがたい結界だが、魔力のある者にとっては迷惑千万な話だ。  イリアスの説明にラダは納得したようだ。ここで魔法の心得のあるシモンが口を挟んだ。 「結界を解くって、破るしかありませんよね。それって、かなりの魔力を使うんじゃないんですか」  海人の力を得て、しつこかった鳥獣型魔獣を諦めさせるほどの強力な結界らしい。  シモンはイリアスが結界を解くのに、大量の魔力を消耗しなければならないことを心配していた。しかしそれは杞憂だった。 「あれは外からの攻撃には強いが、内からだと案外脆い。おまえでも破れるだろう」  イリアスが答えると、シモンの声が弾んだ。 「まじですか! 俺、隊長の結界、破りたい! やってもいいですか!」  非常に生き生きとしている。  内から脆いとはいっても破れたら、上官に勝てたような気になれる―  と、思っているのがわかりやすく顔に出ていた。  まやかしの気分でもいいので味わいたかっただろうシモンだが、イリアスは痛烈な一言を放った。 「かまわんが、破れなかったら大恥かくぞ」  シモンが悲壮な顔をした。それを見て海人は笑った。  申し訳なくて下を向いていたが、コミカルな会話に気分が軽くなった。  ラダとユナも笑った。  気がつくと外から聴こえる音楽の曲調が変わっている。 「そうだ、良かったら広場に行きませんか。これから踊り子たちの花鎮めの舞があるんです。年に一度のことなので、踊り子たちも気合が入ってて、見物ですよ」  地元の祭りを楽しんでもらいたいようで、ラダが誘ってきた。  海人とシモンは顔を見合わせた。面白そうだが、イリアスの返答しだいだ。 二人でイリアスを見ると、当人が気を利かせた。 「見たければ行ってこい」 「隊長はどうされます」 「私は遠慮する。せっかくで悪いが」  最後の一言は里の人間に対してだ。幼馴染同士の二人はとんでもない、と恐縮するが、残念そうだった。 「俺は行くけど、カイトはどうする?」  シモンが立ち上がりながら海人を見る。 「あ……おれも行こうかな」  イリアスと二人きりでいるのは、なんとなく気まずかった。シモンがいてくれてよかったと思う。海人も立ち上がった。 「舞いの最後は里の人たちみんなで踊るんです。外から来た人たちも混ざったりして、けっこう楽しいんですよ」  ユナが一緒にどうですか、と笑いかけられ、海人は照れた。 「俺はそういうの苦手で。でもダンスとか見るのは好きです」 「みなさん最初はそう言うんですよ」  ユナはクスクスと笑った。同年代の女の人と話すのは久しぶりだ。高校の同級生が懐かしくなった。四人が店を出ようとしたとき、 「カイト」  イリアスに呼び止められ、海人は振り返った。 「シモンから離れるなよ」  低い忠告の声に、海人は小さく頷いた。

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