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第4章 動乱の王宮 ①
最後の街を出て、陽が中天に差し掛かかる前に王都アルバスに着いた。
やたら高い外壁を潜ると、そこはヨーロッパの都市を思わせる華やかさだった。
賑やかな街はこれまでも見てきたし、リンデの街も活気がある。だが、王都は別格だった。
道がやたら広く、街中を馬で歩ける。馬車も多く行き交っていた。
リンデの街は石畳だが、王都はレンガ作りで、朱色が目立つ。それがまた華やかさを強調していた。王都の住人は服装も洒落ている。海人は物珍しく、きょろきょろした。
「シモンの家はここから遠いの?」
「ああ、王宮の西側だから、もっと先だよ」
王宮への道は関所を通ってまっすぐに作られているので、大通りを進んでいれば迷うことはないという。
「イリアスの実家はどこにあるの?」
「王宮の近くだな」
貴族の屋敷は王宮の周辺に集中しており、そこから下った先に庶民の住宅街があるらしい。もっといろいろ訊きたくて、海人が口を開こうとしたとき、
「あー、カイト。貴族の話はここではよそう。下手に聞かれるとめんどくさいこともあるから」
シモンがためらいがちに言った。
絶対的な身分制度のあるこの国では、庶民が気安く貴族に話しかけてはいけない暗黙のルールがある。シモンに言われて、イリアスは貴族としては規格外だということを思い出した。
実のところ、海人はまだよくわかっていない。会ったことのある貴族はイリアスとサラディール伯爵だけなのだ。その伯爵も変わり者みたいで、なにがどう面倒くさいのか実感がない。ただ、貴族も多く住むこの街の生まれのシモンが言うのだから、素直に従った方が良さそうである。
王宮へ進む道は、馬車が頻繁に通った。邪魔にならないように三人は道の端を一列で行く。
海人は一列になると決まって真ん中だった。
追い越して行く馬車は装飾が立派だ。そういえば、紋章があるものは要注意だと、グレンが言っていた気がする。意識して見ていると、紋章のある馬車と擦れ違った。あれは貴族の乗っている馬車なのだろうか。
観察しながら進んでいると、王宮の城門に着いた。
下馬し、イリアスが直接兵士に話しかける。すぐに通行の許可が下り、馬と剣を預けるように言われた。王宮の中で帯剣が許されるのは近衛騎士団と他国の要人だけらしい。防犯上、当然のことのように思えたが、イリアスが剣を預けるところを見て、海人は心の中で呟いた。
(この人から剣を取り上げても、意味ないよな)
城門をくぐり、白亜の荘厳な城がそびえ立っている。その美しさに感動を覚えた。だがその感動も一瞬で、城までの道が長く、うんざりしてきた。貴族の馬車が歩く三人を追い越して行く。歩いているのは自分たちくらいだ。
王宮の入口まで来ると、イリアスは慣れた足取りで面会の受付場所に向かった。普段は率先して動くシモンも初めての王宮に辺りを見回していた。近衛騎士団にいたことのあるシモンだが、王宮に入れるのは限られた人間だけらしい。
受付を済ますと、別室に案内され、待たされた。
海人は少し緊張してきた。これから同郷の人に会えるという期待で胸がいっぱいだった。
待合室に入ってどれくらい経っただろうか、シモンが痺れを切らしたように言った。
「けっこう、待たされますね」
イリアスは黙っており、海人も緊張で言葉が少ない。シモンだけがお気楽な感じだった。それからしばらくして、一人の男がやってきた。
恰幅の良い、脂ののった中年男性だった。
「いやいや、待たせたね。私は枢密院長官のベイル=ドナーだ」
さほど待たせて悪いとも思っていない口ぶりである。イリアスが立ち上がったので、二人もそれに倣った。
「イリアス=ウィル=サラディールだ。こちらは部下のシモン=パドル。そしてこの彼が事前に伝えた者だ」
値踏みするかのように、無遠慮に海人を眺める。嫌な視線だった。
「この者が? アフロディーテ様と同じ黒髪ではあるが」
ベイルは座るように促し、自身は深く腰かけた。海人が座ると、尋問するかのように訊いてきた。
「君はいつこの世界に来たのかね」
尋ねられた海人は答えようとしたが、イリアスが口を挟んだ。
「詳細はここでは言えない」
ベイルは気色ばんだ。顎を上げてイリアスに言った。
「面会の希望は宰相とアフロディーテ様だったな。お二方とも大層お忙しい。到着予定は昨日のはずだっただろう? 急に予定を変更されても、こちらも困るのだよ」
やれやれと肩を竦めるベイルだったが、イリアスは意に介さなかった。
「到着が一日遅れることは五日前に連絡した。それくらいの時間があれば面会の調整くらいできるだろう」
「これだから田舎者は困る。宰相のお忙しさを知らんのか。まあ、リンデのような辺境の者には、そんなこともわからんのは当然だろうが」
イリアスを馬鹿にした態度にシモンは今にも怒り出しそうだったが、ぐっと堪えていた。海人はハラハラしていた。しかし言われた本人は表情を変えない。
「国の重要人物を連れて行くんだ。そんなことも調整できないような枢密院ではないだろう」
イリアスは淡々と言ったが、それはベイルを苛つかせただけのようだった。
「私が取り次がなければ宰相には会えないのだぞ。もう一週間、待ってみるか?」
明らかな嫌がらせだった。この部屋に通されてから待たされた時間といい、この男は自分の権力を振りかざし、優越感に浸りたいだけのように思う。
黙ってしまったイリアスに、ベイルが勝ち誇った顔をした。
海人はあと一週間も待たなきゃダメなのかと肩を落とし、シモンは腹立たしさで横を向いていた。
さあ、頭を下げろと言わんばかりにベイルが踏ん反り返ったとき、
「何か勘違いをしているようだな」
静かだったイリアスの雰囲気が変わった。
「私は貴殿に『お願い』をしに来たのではない。宰相とアフロディーテに会わせろと言っているんだ」
イリアスはベイルに鋭い眼光を向けた。
「枢密院長官ごときが、図に乗るな!」
一喝され、ベイルの頬が一気に紅潮した。
海人とシモンは息を飲んだ。こんな威圧的なイリアスは見たことがない。
ベイルが真っ赤な顔で何か発しようとしたが、イリアスが一歩早かった。
「よもや私がどこの生まれか知らないわけではあるまい」
この一言で、開きかけた口を閉じた。思い出したように、悔し気に唇を噛んだ。
「大公家を笠に着るつもりか……!」
睨みつけるように、苦々しく吐き捨てる。イリアスはベイルを見据えた。
「私を怒らせるなよ。これ以上待たせるつもりなら、明日から長官の椅子はないと思え」
恫喝だった。
枢密院長官の首なんぞ、いつでも切れる。暗にそう言っていた。
ベイルは真っ赤なまま、ぶるぶると震えながら部屋を出ていった。
海人は成り行きを見守っていたが、シモンが顔を強張らせてイリアスをゆっくり見た。
「隊長……聞き間違いじゃなければ、あの人、いま、大公家って言いました?」
海人はその言葉をグレンから聞いたことがあるような気がした。
「まさか、隊長の生まれって、ノルマンテ大公家……?」
ノルマンテ大公。
海人は思い出した。それはこの国で、王族の次に権威と権力を兼ね備えた大貴族。貴族の中でも別格の存在らしい。その家の生まれということは、ノルマンテ大公の実の息子ということになる。
嘘だと言ってくれと言わんばかりのシモンに、イリアスはあっさり認めた。
「あまり生家のことは出したくなかったんだがな。あの手の輩には、ああでも言わんと話が進まん。使えるものは使わんとな」
海人はイリアスが大公の子供と言われても、ぴんと来ていなかったが、シモンは震えるように言った。
「俺、今まで、何て態度を……」
そこで言葉を失った。
シモンが固まってしまったの見て、イリアスはため息を吐いた。
「こうなるだろうとわかっていたから、素性は隠していたんだ」
イリアスはシモンの頭をぐしゃぐしゃとかき回した。
「どこの生まれだろうと、私は私だ。何も変わることはない」
今まで通りでかまわない、とイリアスは言った。
シモンは俯き、気持ちの整理をしているようだったので、海人は枢密院長官がどういう立場なのか、イリアスに尋ねた。
枢密院長官はこの国ではそれなりの政治的権力を持っているらしい。
ルテアニア王国で絶対的権力を持っているのは王族ではあるが、政治の面では三つの院で構成される、議会制度をとっていた。
貴族の意見である貴族院、魔法分野を受け持つ魔法院、そして枢密院は政治を動かす実務部隊であり、庶民で構成されているそうだ。
政治権力を持っている貴族院の貴族議員たちと強い繋がりを持つ枢密院議員たちは、庶民とはいえ地方貴族たちよりも権力を持っていた。そのため、しばしば辺境の貴族を下に見る傾向がある。ルテアニア王国の四つの州を治める領主よりも、中央権力の方が地位は高い。ベイルは枢密院長官という立場だ。貴族院の者たちが後ろ盾になっているという驕りがあるのだとイリアスは言った。
海人とイリアスが話をしている間、シモンが衝撃から立ち直った頃、ベイルが戻ってきた。
「宰相がお会いになる。来られよ」
憮然とした物言いだったが、不遜な態度は消えていた。イリアスの脅しが効いたらしい。
赤い絨毯の敷かれた広い石造りの王宮内を歩き続け、応接間の前で止まる。
「中にいらっしゃる」
それだけ言って、ベイルは足早に去っていった。
部屋の外には近衛兵が立っている。
「シモンはここで待て」
ここまで一緒に来たのに、同席を許さないとは。
海人はイリアスを見上げ、シモンを振り返った。シモンは気にするなと言うように笑って、近衛兵と同じように扉を背にして立った。
イリアスが扉を叩く。
「イリアス=ウィル=サラディールです」
中から、入れ、という声が聞こえた。
「失礼します」
イリアスが敬語を使うほどの相手と知り、海人は緊張した。
扉を開け、中に入ると、二人の人物がいた。
一人は濃い茶の髪色に白髪が混ざった長身の壮年男性。そしてもう一人は、くすんだ金髪の若い男がいた。
「イリアス、久しいな。おまえが来るというので、宰相殿に頼んで入れてもらった」
破顔して近寄ってきた若い男にイリアスは深々と腰を折った。
「ご無沙汰しております。殿下」
海人は驚いた。殿下ということは、王族ではないか。まさか王族がいるなんて、ベイルは言わなかった。海人は宰相しかいないと思っていたのだ。
教えなかったのはイリアスにやり込まれた腹いせに違いない。しかしイリアスはなぜか王族も中にいることに気がついたようだった。
そんなことは露知らず、彼はイリアスに会えてうれしそうだった。
「サラディール伯は息災か」
「はい、殿下にくれぐれもよろしくと申しておりました」
イリアスは恭しく答えた。彼は頷き、海人を見た。
「紹介してくれるか」
イリアスは後ろにいた海人を隣に立たせた。
「彼の名はフジワラカイトです」
海人は背筋を伸ばした。
「カイト、この御方は我が国の第一王位継承者、エドワード=フォン=ルテアーニ王太子殿下だ」
「!」
海人は驚きを隠せなかった。ただの王族ではない。次期国王ではないか。
王太子はにこやかに握手を求めてきた。
「よく来てくれた」
その手を恐る恐る握りながら、藤原海人です、と頭を下げた。
次に宰相を紹介された。この国の政治を司る人物で、庶民出身ではあるが、貴族を黙らせるほど有能な実力者だということは、待合室で聞いていた。
王太子は座る許可をくれた。
「四か月前に現れたというが、どういう状況だったんだ」
イリアスは海人が現れた様子を説明した。
「ディーテと同じだな。場所が違うくらいだな」
アフロディーテのことを、王太子は親し気に『ディーテ』と言った。
「彼にこの話は?」
「してません」
「……言葉足らずは、相変わらずか」
王太子はちょっと呆れた顔をし、アフロディーテが現れたときのことを話してくれた。
十五年前、アフロディーテは王宮の庭に落ちてきた。
目撃者が何人もいて、大騒ぎになったという。あのとき王太子はまだ十歳だったが、克明に覚えていると言った。ちなみにイリアスは当時六歳で、偶然にもその場にいたらしい。
「イリアスが大公の子だということは聞いているか?」
王太子に問われ、海人は、はい、と答えた。知ったのはついさきほどではあるが。
大公の子息は王族の子供たちの遊び相手として、王宮に自由に出入りすることを許されているそうだ。イリアスがサラディール伯爵の養子にいくまで、よく遊んでいたのだと王太子は懐かしそうに言った。ということは、イリアスと王太子は幼馴染になる。シモンが知ったら、卒倒しそうな事実だ。
目を細めて話していた王太子は、ふと真顔になった。
「君は自分がどういう力を持っているか、知っているか」
「はい。魔力の付与ができます。ただ、力を与えられるのは、第五の霊脈が視える人だけだと聞きました」
海人は的確に答えた。イリアスからは質問には好きに答えていいと言われていた。
最も相手は王太子ではなく、前提としていたのは宰相だったが。その宰相は、座らずに王太子の後ろに立って控えていた。一言もしゃべっていない。
王太子からの質問は続いた。
「我が国に来て、今まで何をしていた?」
海人はちょっと考えて、日常生活を答えた。日中は辺境警備隊の駐屯地に出入りしていて、屋敷に帰れば、グレンからこの国のことを教えてもらっていた。歴史、地理、生活様式など様々である。特に駐屯地での話は熱が入った。馬術を習っていて、馬から落ちたこと。心配してくれるかと思いきや、シモンにこっぴどく叱られたこと。そのシモンも模擬戦ではイリアスに瞬殺されたことなど、話題は尽きなかった。
楽しく話した海人に、王太子はじっくりと耳を傾けてくれた。
「リンデでは良い生活を送っているようだ」
「はい、毎日充実しています」
「危ないことはなかったか」
海人は一瞬、言葉に詰まった。だが、王太子の目を見てはっきり言った。
「ありません」
拉致されかけたことは隠した。これは言ってはならない気がしたからだ。
王太子は満足そうに、それはよかった、と言った。
「ディーテに会いたいということだったな」
来た。本題である。海人は緊張した。
「今夜はささやかだが、君の歓迎会をしよう。ディーテとはそこで会うといい」
何か訊かれるだろうと構えた海人だったが、拍子抜けした。
「宰相殿もそれでいいかな」
王太子が振り向くと、宰相は「問題ありません」と返事をした。
海人は今夜にも同郷の人に会えると知り、胸を躍らせた。
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