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― 動乱の王宮 ②

 歓迎会といっても、夜会のパーティーである。  海人はあてがわれた部屋で用意された服を着てみた。 「これ、似合ってんのかな」  誰もいない部屋で独りつぶやく。  深いえんじ色の服で詰襟(つめえり)が少々窮屈だ。自分では選ぶことのない色だったが、借り物なので文句は言えない。  時間になったらイリアスが迎えに来てくれることになっていた。  といっても、イリアスの部屋は斜向(はすむ)かいである。  王太子と宰相との面談が終わると、シモンは王宮を出た。これから数日、久しぶりの実家を楽しむことだろう。  海人はもう会えない両親のことを思い出しかけ、慌てて頭を振った。 (考えるな! 生きているだけでもラッキーなんだから)  海人はずっと自分のいた世界のことを考えないようにして、己を保ってきた。 それはこれからも変わらないだろう。  気を取り直そうと、頬を両手でぱちんと叩いたとき、扉を叩く音が聞こえた。  返事をすると、私だ、というイリアスの声がした。  扉を開けると、隊服から着替えたイリアスが立っていた。  濃い藍色の服に同色のロングコート。袖口が白くワンポイントになっていた。 (殿下より、プリンスっぽいんですけど)  海人は思わず見惚れてしまった。胸がトクトクと鳴り響く。  しかし、イリアスにしては地味な服の色だった。  眉目秀麗な彼は何を着てもかっこいいが、似合う色というのはあるもので、白を基調とした服であれば、誰の眼も釘付けにしただろう。  王太子より注目を浴びるのは間違いない。  服を選んだ人もそれがわかっていて、イリアスの容姿が映えないような色にしたのかもしれない。  海人がぽうっと見ていると、 「どうした?」 と、訊かれたので、慌てて、なんでもない、と首をふった。  顔がほんのり熱くなって、海人は気づかれないように、下を向いた。  イリアスの後ろに付いて部屋を出る。  海人の後ろを衛兵が付いて来たが、イリアスには付いていなかった。  昼間、王太子が退室したあと宰相は海人に護衛を付けると言った。 「サラディール様にはお付けしませんので。王宮内はお詳しいでしょうし、あなたを狙う命知らずは、ここにはおりません」 と、真顔で言った。  剣がなくとも、魔法だけでも衛兵より強そうだ。  宰相もそのことを重々承知しているようだった。    夜会の会場に案内してくれるはずのイリアスも、王宮は久しぶりのようで、途中、どっちに行けばいいか、立ち止まるときがあった。  そんなときは後ろにいる海人の衛兵に声をかけた。 「こっちだったか」  急に話しかけられた衛兵は飛び上がるように答えた。 「はい! そちらです!」  礼を言われた衛兵は恐縮した。  リンデの辺境警備隊隊長の強さは近衛騎士団でも噂になるくらい有名だとシモンが言っていた。  彼もイリアスのことを知っているのかもしれない。    歩きながら、イリアスは珍しく不満を漏らした。 「私にも衛兵を付けてほしかった。たまに迷う」  海人はくすりと笑った。 「それって、ガイドが欲しいだけでしょ」 「そうともいうな」  海人が声を上げて笑うと、 「やっと調子が出てきたな」 と、イリアスは目元を柔らかくした。海人は小さく首を傾げる。 「カルを出てから、元気がなかっただろう」  カルというのは魔獣が襲って来た、あの里のことだ。  イリアスは海人が里に迷惑をかけたことを気にしているのだと思っているようだ。  しかし、海人の実情はそれとは違った。  確かに里に迷惑をかけたことを気にはしていた。だが、元気がないように見えたのはそれだけではなかった。    海人はイリアスにどう接したらいいのか、わからなくなっていたのだ。  あれから何度も「魔力の付与」場面を頭の中で反芻し、どきどきしたり、胸が騒いだりしていた。  口づけの感覚を思い出し、動揺を隠すように笑う。 「うん、もう大丈夫」  そうか、とイリアスが言ったとき、夜会の会場に着いた。  広間の白い壁には花柄模様が描かれ、赤い絨毯が格式の高さを思わせる。  天井からは豪華なシャンデリアがきらきら光って綺麗だった。    会場にはテーブルはあるが椅子はない。立食形式である。  海人は立食パーティーの経験などもちろんないので、急に不安になってきた。  どうすればいいのかわからない。イリアスは好きに取って食べていればいいと、気軽に言った。  会場には昼間会った宰相とあのベイルとかいう枢密院(すうみついん)長官もいた。  知っている顔はそれだけで、たまにイリアスに会釈をする人もいれば、声をかけて来る人もいた。  イリアスはその誰に対しても敬語で丁寧に話していた。    海人たちが会場に入って数分後、王太子が入ってきた。みな、道を開ける。  王太子はバルコニーを背にグラスを受け取ると、参加者もグラスを持った。    海人もグラスを渡され、受け取る。酒のようだったので、飲むかどうか迷ってしまう。  この世界では合法だが、海人にはまだためらいがあった。  グラスの中身を見つめてどうしようかと悩んでいると、 「口をつけて、飲むふりだけすればいい」 イリアスが周囲に聞こえないように、耳元で(ささや)いた。  海人の心臓が跳ね、顔が熱くなった。  グラスを見ながら小さくうなずくと、王太子の挨拶が始まった。 「ここにいる皆はすでに知っていようが、アフロディーテと同じ世界からやってきた者がいるので紹介しよう」  王太子が海人を見た。  イリアスから前に行くように背中を押される。海人は緊張しながら、王太子の傍に寄ると、肩を抱かれた。 「彼はフジワラカイト。サウスリー領主の子息である、イリアス=ウィル=サラディールに保護されてやってきた」  王太子はイリアスをノルマンテの名では呼ばなかった。 「アフロディーテと会わせたかったが……また遅刻か。あの遅刻癖はなんとかならんのか」  王太子が大仰に肩をすくめると、笑いが起きた。 「彼が来たことは我が国にとって僥倖となるだろう。神の采配に乾杯しよう」  王太子がグラスを掲げると、皆が一斉にグラスを上げた。  そして全員が飲んだので、海人も見様見真似でグラスに口をつけた。  飲むふりだったが、唇についた果実酒が思いの外、良い香りで甘かった。    これで挨拶は終わりだった。  王太子は、楽しんでくれ、と言って海人を開放した。急いでイリアスの元に戻る。作法が何もわからないので、心細かった。    会場には二十名いるかいないかくらいである。    イリアスは挨拶に来る人に応えながら、海人に紹介してくれが、まったく覚えられない。 とりあえず愛想笑いをしていた。    挨拶の波が切れるとチャンスとばかりにテーブルの皿に手を伸ばすが、食べ始めるとまた誰かがやってきて、なかなか満足に食べられなかった。    お腹空いた、食べたい、とやきもきしていたとき、イリアスがふっと入口の方を見た。  海人も視線をやったが、誰もいなかった。    イリアスがじっと見ているので、どうしたのか訊こうとしたとき、白いローブを着た人が現れた。  およそ、そのローブは夜会に適しているとはいえず、着飾った人々の間では不作法に思えた。しかもフードを被ったままの恰好である。  パーティーに参加するのが初めての海人も、さすがにそれが場違いだというのはわかった。  だが本人は全く気にした様子もなく、満面の笑みを浮かべてこちらに駆け寄って来た。 「イル! イルだろう⁉」  イリアスがグラスを置くと、勢いよくイリアスに抱き着いた。 「うわあ! ほんとにイルだ! 何年ぶり⁉ すっごい、いい男になっててびっくりしたよ!」  年の頃は二十代後半くらいか、子供のようにはしゃいでいる。 「七年ぶりだ。あなたも相変わらずのようだな」  会場に入ってから、誰に対しても敬語だったイリアスがいつもの口ぶりに戻っていた。  海人が呆気にとられていると、白いローブを着たその人は海人を見て、被っていたフードを取った。 「もしかして、きみが⁉」  自分と同じ東洋人の顔立ちと黒い髪。 (まさか)  海人が目を丸くしていると、イリアスが紹介してくれた。 「カイト。この人がアフロディーテだ」  海人は稲妻に打たれたかのごとく衝撃を受けていた。 「はじめまして。アフロディーテです」  片目をつぶって、いたずらっ子のように笑った。  海人は口を大きく開いて、イリアスを振り返り、そして叫んだ。 「男じゃん‼」  海人の声は会場に響き渡った。    何事かと周囲がこちらに目を向けた。  イリアスは澄ました顔をしている。 「女だとは言っていない」  海人は言われてみれば、そうだ、と思ったが、我に返り、抗議した。 「いや、でもだって、アフロディーテって言ったら、女の人だって思うだろ!」  そこで『アフロディーテ』は腹を抱えて笑った。 「きみ、間違いなく僕と同じ世界の人間だね。この呼び名がなんなのか、ちゃんと知ってる」  女神を(かた)った男が目を細めたとき、別の声が割って入った。 「ディーテ。あまりはしゃぐな。はしたないぞ」  現れた男を見た瞬間―  海人の心臓がドクッと鳴った。  イリアスと同じ金髪で、精悍(せいかん)な顔つきをしている。年齢はイリアスより上に見えるが、端整な容姿はどことなくイリアスに似ていた。 「ユス。だって面白くて」  ユス、と呼ばれた彼はイリアスに向き直った。 「久しいな。元気だったか」 「はい。兄上もお変わりなさそうで」 「!」  イリアスが実兄だと紹介してくれた。 「ユリウス=エル=ノルマンテだ。以後、よろしく頼む」  海人は頭を下げ、差し出された手をおずおずと握った。  ユリウスは力強く握り、笑顔をくれると、すぐに離して王太子のところに行った。  柔らかい掌だった。  海人は彼を目で追った。    心臓がどきどきして、治まらない。なぜか無性に惹きつけられる。 「カイト? 兄上がどうかしたのか」  イリアスが怪訝(けげん)そうに海人を覗きこんできたので、慌てて首を振った。 「ううん、なんでもない。イリアスのお兄さんなんだなって思って見てただけ」  するとアフロディーテが一瞬、真顔になったが、すぐに海人に笑顔を向けた。 「適当なところで抜け出して僕の部屋に来なよ。話をしよう。僕はもう帰るから、じゃ、あとでね」  そう言い置いて、足早に会場を去った。  遅刻してきたばかりで、もう帰ってしまった。嵐のような人である。    人の流れが切れたので、海人は今のうちに、とばかりに料理を取った。  食べながら、王太子と歓談しているユリウスを見る。    しばらくすると王太子の傍を離れ、近くにいた婦人に話しかけた。  ずいぶんと社交的だ。それにイリアスと違ってよく笑う。 (イリアスもこれくらい笑ってくれればいいのに)  海人はそんなことを思いながら、ユリウスから目が離せなかった。

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