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― 動乱の王宮 ④

 ノルマンテ家には魔法の才を持った子が代々生まれる不思議な家系だった。  現ノルマンテ大公の子供達も類にもれず、兄のユリウス、弟のイリアスはともに幼少の頃から素晴らしい才能を見せた。二人は魔法の学術教育兼育成機関でもある、魔法院で高等教育を受けて育っていた。  ユリウスが十八歳、イリアスが六歳のとき、王宮の中庭で貴族とその家族を集めたお茶会が開かれていたとき、佐井賀が突如として現れた。  ルテアニア王国は三十年ぶりに跳躍者を得ることになる。跳躍者が異能を持っていることは、王家の歴史書にも古くから伝えられてきた。また、限られた人間にしかその恩恵が与えられないことも。  第五の霊脈が視える者は、王家の者かノルマンテ家の者がほとんどであり、残念ながら現王族に視える者はいなかった。  跳躍者から力を得られる者は、ルテアニア王国ではユリウスとイリアスしかいない。  だが魔力の付与に難があることは、その恩恵を受けた者にしかわからないことだった。  ユリウスとイリアスは頻繁に佐井賀の元を訪れ、交流を深めた。特に佐井賀はイリアスを弟のように可愛がった。イリアスも兄が一人増えたように、佐井賀に懐いた。  佐井賀が来て六年目。  彼は、自らは扱えない魔法に興味を持ち、王宮の外にある魔法院で学術書を読むようになっていた。イリアスはそこで魔法教育を受けていたので、二人はよく一緒にいた。  そこから二年。佐井賀が来て八年の月日が経った頃。  王太子は当時十八歳。イリアスは十四歳になっていた。  その日、王太子は魔法院を訪れていた。定例の視察である。  佐井賀は王家の賓客であり、王太子とも親しくなっていた。明るくおどけた性格は彼の好むところだった。王太子がイリアスと佐井賀が共にいるところを見つけ、二人に合流したとき、魔法院は突如、魔獣の襲撃を受けた。  王都の周辺には魔獣の棲む、深い森がある。魔法院はその魔獣の棲む森に面していた。  魔法院には空にだけ、結界を張ってある。魔法院全体を覆ってしまうと、魔力を持つ者が入れなくなってしまうからである。  魔獣の活動時期に佐井賀は魔法院に来てしまった。その時期はまだ先だと思っていたのだ。  第五の霊脈に魅かれた魔獣は空からのフロータービーストは防げたが、地上からのドーター、そしてドーターよりも獰猛なサーベルタイガーを彷彿とさせる猛獣型魔獣は、障壁も何もない敷地に入り込んできた。  王宮であれば近衛兵が多くいる。だが、魔法院に近衛騎士団は配備されていない。  魔導士たちは懸命に魔法で応戦するが、魔獣は魔法に耐性を持っている。耐性を超えるだけの魔法をぶつけないと倒せないのだ。その魔獣だってじっとしてくれているわけではない。せっかく魔獣を倒せるだけの魔力を使った高魔力の攻撃魔法も、避けられてしまえば意味がない。  魔獣退治は魔法で牽制し、剣で仕留めるのが定石だった。しかし、剣で仕留めてくれる者が魔法院にはいなかった。かろうじて王太子の近衛兵がいたが、王位継承者を守り、逃がすことが最優先となる。魔法院は血の惨劇となっていた。  王太子と共にいたイリアスは、魔獣退治などしたことはなかった。だが本能的に高魔力の魔法を使って王太子と佐井賀を守っていた。  しかし十四歳のイリアスは、剣も使えなかったし、魔法も未熟だった。  魔法を発動するにも時間がかかるし、動く魔獣に当てられなかった。何発無駄打ちしたことか。王太子の近衛兵も傷を負っていた。  イリアスは自分が魔獣を何頭倒したかわからなかった。いくら倒しても森から絶えず魔獣が入り込んでくる。  そして、ついに魔力が底をついた。  この国の第一王位継承者を失うわけにはいかない。佐井賀はイリアスに同意を得ず、早口で詠唱し、無理矢理、力を与えた。  魔力を付与してもらったイリアスは、暴れまくる力をなんとか制御しつつ、高魔力魔法を連発した。その威力は目を見張るものがあった。  イリアスが回復し、善戦していると、騒ぎを聞きつけた近衛騎士団が駆け付けてきた。  魔法院全体に結界が張られたのがわかった。こんなことができるのはユリウスだけだ。  兄も来てくれた。これでもう安心だ。    ほっとしたとき―  気を抜いてしまったイリアスは、制御から逃れた未知の魔力を暴発させた。  瞬間、膨大な魔力がイリアスから解き放たれ、建物が瓦解した。四方に向かって放たれた魔法ともいえない魔力の塊は、ユリウスが作ったばかりの結界をも破ってしまう。  王太子と佐井賀もまた、イリアスの魔力が当たり、血を流していた。  幸いだったのは二人とも軽傷だったということだ。二人を守らなければ、という強い思いが 無意識に抑制力として働いたようで、奇跡的に二人は切り傷だけで済んだ。  しかし魔法院を破壊し、王太子と跳躍者という国にとっても重要な二人に怪我を負わせてしまったイリアスは、一か月後、サウスリー領主サラディール伯爵の下に養子に行くことになった。大公家を追放されたのだ。  王太子と佐井賀が猛抗議をしてくれたことは知っている。  イリアスがいなければ二人とも早々に魔獣にやられていたのだ。イリアスは命の恩人であり、罰せられるべきどころか、大きな功績であったと。それは国王も十分わかっていたらしい。だが、状況を理解できない者、鬼の首を捕ったように責め立てる者というのはいるものだ。王太子を危険に晒したことを殊更強調し、イリアスは危険な人物だと吹聴してまわる者がいた。ノルマンテ大公の足を引っ張りたい貴族たちの仕業だった。  国王の鶴の一声で治めることもできたが、大公はその申し出を断ったという。  流言飛語が舞い、それを信じる者も多くいた。このまま放っておけば、国王に反感を持つ者も出てくるかもしれない。大公はそれだけは避けたいとイリアスに理解を求めた。  それにこのままではイリアス自身も生きづらい。あと一年もしないうちにイリアスは成人する。社交界に出ても、王太子に傷を負わせた者としてレッテルを張られたままになるだろう。  大公はノルマンテの名を剥奪することで、貴族たちを納得させることにした。イリアスもそれを承知し、さっさと家を出ていった。  ***  佐井賀は目を伏せたまま言った。 「この七年間、王宮に来ても僕に顔を見せなかったのは、魔力を暴走させて、合わせる顔がないって思ってたからでしょ。でもそれは違う。合わせる顔がないのは、僕の方だ。迂闊にも魔獣の活動時期に王宮から出たりした。もっと気をつけていれば、あんなことにはならなかった」  だけど、と佐井賀は続けた。 「僕は今でも、あのときイルに魔力を与えたことは最善だったと思ってる。何もかも、イルが家を捨てることになったのも、すべて僕の責任だ」  唇を震わせて、イリアスに頭を下げる。 「ごめん。ノルマンテとしての君の将来を奪ってしまった」 「…………」  伏せたまま上げずにいると、イリアスが腕を伸ばし、佐井賀の頬をそっと触った。 「あなたはずっとそんなふうに思っていたのか」  顔を上げると、そこに優しい灰色の瞳がある。 「私はあなたと殿下を守れたことを誇りに思っている。だからもう、気に病まないでほしい」  イリアスが柔らかく微笑む。それは佐井賀の自責の念を拭い去っていった。  会うことのなかった七年間の時の流れが埋まっていくようだった。  触れられた手が温かかった。  佐井賀も微笑んだ。  そして次の瞬間― 素早くイリアスの手を取って、目を輝かせた。 「イル! ほんっといい男になったね! 僕、今、ドキッとしちゃったよ!」  イリアスは顔を(しか)め、握られた手をぞんざいに振り払った。 「あなたはそういう人だった」  不機嫌そうにソファに体を預けた。佐井賀は楽しそうに肩を揺すった。目尻に涙が溜まっているのを笑いで誤魔化した。 「言っておくが、ノルマンテの名を惜しいと思ったことはない。王宮で腹黒い貴族たちと化かし合いをするくらいなら、辺境で魔獣を倒している方がよっぽど楽だ」  面白くなさそうに言ってはいるが、佐井賀の気がかりを取り払おうとしていた。  どこまでも優しい人だった。  ***    海人はイリアスが語ってくれた過去と彼らの雰囲気に、唇を噛んだ。  二人には特別な絆がある。  海人は注がれた炭酸水を飲んだ。ひどく苦く感じる。  昔話をしていたら夜も更けてしまったようだ。佐井賀は膝を打って、お開きの合図をした。 「今日はもうこのくらいにしておこう」  立ち上がって部屋の入口に向かう。 「王都には何日いる予定?」  海人とイリアスのために扉を開けてくれる。 「四日だが」 「じゃあ、また明日、僕のところに来てくれる? 面白いものを見つけたんだ」  面白いもの、という割に至極真剣な顔をしていた。おやすみの挨拶をして扉がしまる。  海人とイリアスは自分たちの客室に向かって歩き始めた。  沈黙が流れる。  海人は何を話していいのかわからなかった。  イリアスの過去を知れたことは良かった。佐井賀とイリアスの間にわだかまりがあったのなら、それも解けたようで良かったと思う。だがそれと同時に二人の間には入れない絆があることを見せつけられた。 (イリアスが笑ってた……)  自分にはまだ一度しか笑ってくれたことがないのに、あの人にはたくさん笑いかけるのだろうか。いつも表情が乏しいのに、不貞腐れたり、(いら)ついてみたり、感情が豊かだった。  海人は胸がずきりとした。  足元を見ながら歩いていると、 「ディーテに会えてよかったか」  イリアスが話しかけてきた。海人はハッと顔を上げた。 「あ、うん、もちろん! ほんとに、おれと同じ日本人だった。知らない人でも同じ国の人っていうだけで、すごくうれしいものだね!」  痛む胸を悟られないように、努めて明るく振舞う。しかし言った言葉に嘘はなかった。 「滞在中、いろいろと話すといい」 「うん」  そうだね、と言いかけて、海人は急に正面を見据えた。 (この感じ……)  廊下には誰もいなかった。だが、曲がった角の先から人影が現れる。 (やっぱりだ)  海人は自然と歩を緩め、イリアスの後ろに隠れるように下がった。前から来た人物にイリアスが声をかけた。 「兄上」  ユリウスが軽く手を上げ、立ち止まる。 「ずいぶん遅くまで話したみたいだな」 「はい。久しぶりでしたので」  海人は目を伏せ、彼の顔を見ないようにしてやり過ごそうとした。なぜだかわからないが、この人が近くにいると落ち着かないのだ。それを知ってか知らずか、ユリウスは自分を見ようとしない海人の顎を掴んで上げた。 「!」  否応無しに目が合う。  イリアスの瞳は灰色だが、この人の瞳は茶色だった。珍しい色でもないのになぜか惹きこまれそうになる。 「なるほどな。ディーテが言っていたのは、こういうことか」  ユリウスの言葉に海人は眉を潜めた。 「おまえからは、ディーテよりも力がもらえそうだな」  カッと紅潮し、海人はユリウスの手を乱暴に払った。 「兄上! カイトをからかわないでください!」  イリアスが声を荒げた。ユリウスは面白そうに眺めながら言った。 「からかってなどないがな。思ったことを言ったまでだ」  それこそたちが悪い。  言い置いて、ユリウスは歩き出した。その先は佐井賀の部屋だ。  海人は小さく肩で息をしながら、昂った心臓を落ち着けようとした。  無意識に、唇を触っていた。

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