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― 動乱の王宮 ⑤
王宮滞在二日目。国王と王妃に謁見した海人は、初めて片膝をついて頭を下げるという所作をした。イリアスの真似をするように言われていた。
国王に、二、三言話しかけられ、それで終了だった。
この国の王に挨拶が終われば、いつでも帰られると海人は思っていた。
国王との謁見が終わり、その後は昨夜言われた通り、佐井賀の元を訪れた。
部屋で話をするのかと思いきや、王宮にある図書館に案内される。図書館のさらに奥の一室、王宮書庫に三人はいた。他に人はいない。内緒話もできるというわけだ。
「佐井賀さんは字が読めるんですね」
一冊の古びた本を机に置いた佐井賀に、海人が言った。
「知りたいことがあったからね。必死で覚えたよ」
三人は本を前に椅子に座った。
「何が知りたかったんですか?」
「なんでこの世界に僕が来たのかということ。僕でなければならなかった理由だよ」
海人は目を見張った。
「偶然だと思う? 考えてみて。僕は熊野古道を歩いていたら、突然この世界に飛ばされたんだ。知らない世界なのに、なぜか言葉だけは通じる。僕は特別な生まれでも、特殊な能力があったわけでもない。なのに魔力を付与できる力があると言われ、その相手はユスとイルの二人だけだと言われた。信じられなかったけど、本当だった」
佐井賀はこの王宮の守護をユリウスと共に担ってきた。使命と言われれば聞こえはいいが、納得できないことだってあった。考えれば考えるほど、偶然というには妙に限定的すぎる話に思えると言った。
「魔力をあげるときは詠唱が必要だ。でも、この世界で魔法を使うときは呪文なんていらないよね」
確かにそうだ。海人はそれを不思議だとは思わなかった。
「この詠唱文は僕が唱えなきゃ意味がない。僕の意志が必要なんだ。なのにその詠唱文を教えてくれたのは、この世界の人間だ。それっておかしくない? まるで僕が来ることを知っていて待っていたかのようだ。だから僕と彼らには何らかの因果関係があると思った。それが知りたいんだ」
佐井賀はその思いに至ったときから、この国の歴史、特に魔法の分野ついて調べ続けてきたという。魔力の付与ができるということは、まずは魔法の仕組みを理解しないといけなかった。異世界の人間をこの世界に呼ぶ力は魔力において他はないと思ったらしい。それは海人もそうなのかなと思う。
「魔法書や学術書、古代の魔法とかも調べてたんだけどね。でも異世界に関わりそうなものは何もなくて。だけど、まさかこんなところにヒントがあるとは思わなかった」
佐井賀は王宮から自由に出歩くことを許されていない。時間だけはたっぷりあり、この十年間ほぼ研究調査に心身を傾けてきた。だが手がかりになりそうなものは見つからず、諦めかけていたとき、気分転換に手にしたのが他国の神話集だった。
佐井賀が伝えたかったのはこのことだった。イリアスが置かれた本の題名を読んだ。
「アルミルト神話?」
佐井賀が頷いた。
ルテアニアの神話は読んでたんだけど、と独り言のように呟く。
「僕はね、神話には真実が隠されていると思っている。すべて真実ではなかったとしても、神話を作るきっかけとなった事実が必ずあると思ってるんだ」
歴史はときに為政者たちの都合の良いものに書き換えられる。永く伝われば嘘は事実となり、真実は闇に葬られる。神話にもそういった面があるのではないのかと、佐井賀は言った。
「海人くんはアルミルト法国を知ってる?」
訊かれて、頷いた。グレンから教わっている。
隣国のアルミルト法国。リンデと国境を隔ててある、山岳地帯の国だ。
「その国の神話でこういうものがあった」
佐井賀はそのページを開いた。イリアスが海人のために読み上げてくれる。
*竜人と巫女*
人に化け 人を化かす 法国に害なす竜あり
人々の嘆き 神に届けり 神に遣わされし巫女 天から降る
巫女 その力をもって竜の力を奪いしとき 竜は人とならん
竜の力 巫女とともに天に昇れり
短い一節だった。
「どう思う?」
佐井賀に問われて、海人は戸惑った。
「どう、と言われても……」
ただのおとぎ話のようだった。
「巫女は僕らの先祖。竜人はイルたちの先祖。僕らは竜人と巫女の末裔だとしたら?」
突拍子もない話だ。海人は『トンデモ話』だと思った。
「でも、おれと佐井賀さんって親戚とかじゃないですよね。うちは一般家庭です」
「元を辿れば同じ先祖に行きつくかもしれない。家系図で何百年もたどれるなんて、普通ないからね。家が分かれてわからなくなってるだけで、同じ一族かもしれない」
「…………」
海人は少し考え、それでもやはり眉唾物だった。
「そしたら、イリアスは竜の末裔ってことになりますけど、それこそ信じられません」
真っ当な意見を言ったつもりだ。当人であるイリアスは否定も肯定もしない。黙って聞いている。しかし佐井賀はこの説に自信があるようだった。
「海人くん、イルに力をあげたとき、何か気づかなかった?」
問われて、海人はそのときのことを思い返した。身体の奥からなにか不思議な力が湧いたこと、そして、イリアスの灰色の瞳が琥珀色に変わり、瞳孔が細長くなっていた。
「目……! 目が変わってました!」
佐井賀が頷いた。
「うん、そう。ユスもね、変わるんだよ」
竜の末裔の証明になりそうなことといえばそれしかない。人間の瞳孔は円形で、細くなって見えるようなことはない。
イリアス自身はわかっていない顔をしたので、海人が教えた。
「力をあげたとき、イリアスの目が金色っぽくなって、猫みたいになってたんだ」
「ねこ……」
イリアスが微妙な反応を示したので、佐井賀がくすりと笑う。
「竜の瞳だよ。猫っていうより、トカゲ」
「え⁉ トカゲって爬虫類じゃん! おれ、イリアスが爬虫類なんて、嫌なんだけど!」
海人が真剣に言うので、佐井賀が笑った。爬虫類呼ばわりされたイリアスは額を抑えている。佐井賀は愉快そうに言った。
「物のたとえだよ。爬虫類なわけないじゃない。神話でも竜は人になったってあるでしょ。ちゃんと人間だよ。ね?」
イリアスに同意を求めるが、黙ったままだった。
不貞腐れたようだったので、爬虫類呼ばわりした海人はちょっと慌てた。
「でも、すごく綺麗だったよ。あんな綺麗な目を見たの、初めてだし」
海人がじっとイリアスを見ると、彼も見つめ返した。この端整な顔に現れた『竜の瞳』は美しく、あの瞳にもう一度見つめられたいと思う。海人の胸がトクトク鳴り始めたとき、佐井賀が咳払いをした。
「それはさておき、もうひとつ関係しそうなのは、魔力を付与するときの詠唱文」
―世々の御祖の血の盟約を以って、彼の者に受けし力を与えん―
「竜人と巫女がなんらかの契約を交わしたのであれば、巫女の末裔の僕らがこの呪文を唱える必要もわかるでしょ」
血の盟約。すわなち血統による誓約だと佐井賀は言った。
海人も最初はこじつけのように思っていたが、だんだん本当のような気がしてきた。
「これが僕らの因果だとしたら、大きな発見だ」
「?」
海人にはわからない。因果関係がわかったからといって、なにがどうなるのか。
佐井賀は続けた。
「この神話が真実を含むとするなら、巫女は天に帰ったわけでしょ。つまり、僕らは元の世界に帰れる可能性があるってことだよ」
「!」
「神話になるくらい古い話だから、帰る方法は失われているだけなのかもしれない。僕はその方法を見つけたいと思ってる。だから海人くん、希望は常にあると思ってね」
佐井賀は力強く言った。
この人はこの世界に来て、ずっと諦めないでいる。海人は心の底から感心した。
佐井賀はいつか本当に帰れる方法を見つけ出すのかもしれないと思った。
「鍵はアルミルトか」
それまで黙っていたイリアスが言った。
「だと思う。あの国は竜がいるしね。だけど、アルミルトに今、跳躍者がいるのかどうかもわからない。話を全く聞かない」
佐井賀は開いていた本を閉じ、書棚に戻した。
「アルミルトに行けたらいいけど、それは無理だしね。まずは王宮にあるアルミルトの本を片っ端からあたってみるつもり。面白くなってきたよ!」
調べることが増えたはずなのに、佐井賀はとても楽しそうだった。
手がかりをつかんだことでやる気が出ている。すぐにでも本を引っ張り出し、読み出しそうな勢いだった。
話が一区切りついたので、海人は昨日から感じている不思議なことを訊こうと思った。
イリアスの前では言い難いことだったが、竜人の話を聞いた今しかない。
「佐井賀さん。イリアスもユリウスさんも竜人の末裔かもってことですけど」
思い切って口を開いたが、うまく言えるか自信がない。
「たとえば、なんですけど。ユリウスさんの方が竜人の血が濃いとか、そういうのあると思いますか」
佐井賀が再び椅子を引いて座った。
「それはどうかわかんないけど。どうして?」
海人はさらに言い難くなった。
「あの人、なんかちょっとイリアスと違うっていうか……うまく言えないんですけど……」
佐井賀は射貫くように海人を見た。
「姿は見えないのに、近くにいるのがわかるとか?」
言い難かった言葉をずばりと言われた。
海人は目を泳がせ、ためらいがちに頷くと、佐井賀は机に突っ伏した。
どうやら心当たりがあるらしい。しばし机に額をつけていたが、体を起こした。
「血が濃いとか、たぶんそういうことじゃない」
海人を見据える。
「ユスのパートナーは海人くんなんだね」
「!」
佐井賀は頬杖をついた。
「ディーテ、何を…!」
イリアスの言葉を佐井賀は制止した。
「ちゃんと言っておいた方がいい。でないと、海人くんはずっとユスを気にするよ」
イリアスは何か言いかけたが、引き下がった。
「ユスが気になって仕方ないんでしょう。それはたぶん、魂が魅かれ合ってるのかも」
海人は急に運命的な話が出て戸惑った。もっと科学的な話であってほしかった。いやそもそも見えない人を感じ取れるという話自体、科学的ではないのだが。
「これも何かの因果なんだろうね。ユスと海人くんは魅かれ合うんだ。僕とイルが魅かれ合うように」
海人の心臓が嫌な跳ね方をした。
「僕らもなんとなくだけど、お互いが近くにいるのがわかるんだ。でも僕はユスのことはわからない。海人くんはユスのことはわかるのに、イルが近くにいてもわかんないでしょ」
海人は返事ができなかった。その通りだった。
胸がざわつく。海人は乾いた唇を舐めた。
「たとえば、その、パートナー同士の方が、魔力をたくさんあげられるとかあるんでしょうか」
海人は動揺を隠しながら、昨夜ユリウスに言われたことを伝えると、佐井賀が思いっきり呆れ返った。
「ユスったら、そんなこと言ったの。それはわかんないよ。この国に跳躍者は僕しかいなかったわけだし」
そう言いながら、思いついたようにイリアスを見た。
「あ、今ならわかるか。ちょっと比べてみる?」
いたずらっ子の顔だ。
「ディーテ!」
「冗談だよ。怒らないの」
「あなたが言うと冗談に聞こえない」
海人は自分が言ったことを後悔した。
二人が力を受け渡しているところなんて、見たくない。海人は机の下で拳を握った。
佐井賀は茶目っ気のある顔から真剣な眼差しを向けた。
「海人くん。大切なのは自分の心だよ。見えない力で魅かれたって、何がどうなるわけじゃない。現に僕とイルは何年も離れていたけど、なんともない。惑わされちゃダメだよ」
海人は曖昧な笑顔で、力のない返事をした。
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