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― 動乱の王宮 ⑦

 カイトが兄を気にしていることには気づいていた。  どうしたのか訊いても、なんでもないと言うわりに、ずっと目で追っていた。  兄のことが気になるのだろうか―  イリアスは焦っていた。カイトが兄に興味を持ったことに。  自分の気持ちに気づいたのは、カイトがさらわれた日の夜だった。  ゆっくり休むように言った数刻後、部屋にカイトが来たことに気づいた。  イリアスは人の気配に敏感だった。誰かとまではわからないが、深夜に部屋に来るような人物はカイトくらいしかいない。日中、拉致されかけたのだ。眠れないのだろう。  すぐに扉を開けてもよかったが、イリアスはふと、カイトがどうするのか気になったので、そのまま待ってみることにした。  立ち去るのか、扉を叩くのか。  ところが待てども気配はするのに、一向に扉を叩こうとしない。  コト、と物音がしたので、扉を開けてみたら、座り込んで寝ていた。  カイトは人に迷惑をかけることを厭う節があった。辺境警備隊の駐屯地でも面倒をかけたと思ったら、それを返すかのように別の働きをした。  今も自分に迷惑をかけたくないと思いながら、だが、部屋にも帰れずにいたのかと思うと、堪らなくなった。  軽く肩を揺すってみたが、起きる気配がない。このままにしておくわけにもいかないので、ベッドに運ぶことにした。抱き上げたらさすがに起きるかと思ったが、熟睡していた。  自分のそばにいれば安心だと言っているようなものだった。   ―自分は彼から絶大な信頼を得ているー  イリアスは胸が大きく鳴ったのを感じた。ベッドに寝かせ、しばらくカイトを見ていた。  彼はディーテとはずいぶん違う。  ディーテはこの世界に来てから、しばらく部屋にこもっていた。警戒心が強く、なかなか心を開こうとしない。跳躍者の役割を聞いたときなど、冗談じゃないとしばらく会ってくれなかった。それなのにディーテは心を開いた。それは兄の存在が大きかった。  兄はなんだかんだディーテのところに行っては追い返されていたようだが、いつの間にか二人で話をするようになっていた。兄とディーテはよく言い争っていたが、翌日にはけろりとしていたので、喧嘩するほど仲が良いというやつなんだと思った。その頃になって、ディーテはやっとこの世界と向き合い始めた。  ところがカイトは違った。最初は驚きこそすれ、すぐにこの世界に順応しはじめた。  外に興味を持ち、人と接することを恐れず、素直でよく笑った。自分は愛想の良い方ではないのに、物怖じせずに話しかけてくる。日々、駐屯地であったことを楽しそうに語る。わからないことは何でも質問してくる。彼から「ありがとう」と笑いかけられると心が温かくなった。周囲も海人の明るさと純朴さに元気をもらっているようだった。  この世界でうまくやっていけるだろう。何も問題はない、そう安心していた。  だがその明るさの裏に、不安を押し殺していたのを知った。 ―日本に帰りたい―  命の危険に晒されたとき、隠された本音を聞いた。しがみついて泣く彼は、ずっと我慢していたのだと思った。  自分には帰してやることはできない。  ただ、彼が不自由なく暮らして行けるようにすることくらいしかできなかった。  目が覚めたとき、落ち込んでいるだろうか。なんて声を掛けようか、言葉を探した。  ところが起きたとき、カイトはもう前を向いていた。皆に礼を言いたいと言った。  昨日吐いた本音をまた隠し、明るく振舞うつもりでいる。  カイトは時に幼く見えるが、芯は強かった。イリアスは彼の強さを愛おしく思った。  自分がカイトに特別な感情を持ったことを言うつもりはなかった。伝えたとしても、彼には逃げる先がない。カイトが困る顔は見たくなかった。  カルの里で力をもらったとき、罪悪感と同時に彼に触れられることを喜んだ自分がいた。  魔力の付与を受けるという名目でこの先も口づけができると、浅ましいことを考えた。  だが、気持ちは隠すと決めたものの、海人が自分以外の人に気を向けると、心が騒いだ。  ディーテが兄とカイトはパートナーだと言ったときは、兄に嫉妬すらした。  王宮に残りたいと言うかもしれない。  不安になったが、カイトが自分と一緒にリンデに帰るつもりだと知り、安堵した。 早くリンデに連れて帰りたい。これ以上、兄に魅かれてもらいたくなかった。 だからこそ、これから開かれるカイトの処遇についての会議では、なんとしてでも要求を通さなければならない。 イリアスは王宮滞在三日目の正念場である、政治交渉の場に足を踏み入れた。

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