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― 動乱の王宮 ⑧
王太子のエドワードが宰相と共に会議の場に入ると、皆が立ち上がり、一礼をした。
テーブルには六つの椅子が用意されており、扉に一番近いところにイリアスがいる。
その隣に憮然とした顔の枢密院長官、魔法院長官と並び、イリアスの向かいに貴族院長官が座していた。
エドワードが上座に着くと、その隣に宰相が腰を下ろし、みなが一斉に座った。
この六名で話し合いが行われるが、形式的なものである。
王宮としての結論は決まっていた。ゆえに、国王ではなく、王太子の自分が参加するのだ。
「ご承知の通り、イリアス=サラディール様がお連れになった跳躍者フジワラカイト殿の今後について皆様方のご意見を伺いたいのですが、何か訊きたいことはありますか」
宰相が議題を述べ、問いかける。
皆、お互い様子を見るように黙したが、口火を切ったのは貴族院長官だった。
彼は政治を動かす貴族たちで構成される院を仕切っている侯爵である。イリアスの実の父親、ノルマンテ大公と真っ向からぶつかることも多い人物だ。
貴族院長官はしかめ面をして言った。
「あの者は跳躍者との話だが、まことなのですか。確かに黒髪ではあるが、同じ時代に跳躍者が二人も現れるなど、信じがたい」
カイトが跳躍者だと言っているのはイリアスだけだ。
ディーテのときのように衆目の前に、空中から落ちてくるという疑いようもない光景を目撃したわけではない。しかも、ディーテが現れるまでルテアニア王国には三十年間、跳躍者がいなかった。
それくらい稀有な存在なのだ。信じられないというのは理解できる。
貴族院長官はイリアスが跳躍者だと偽って、何か良からぬことを企んでいるのではないか、と疑っているのだ。
伏魔殿の王宮において、長く政治に携わる者ほど疑心暗鬼に陥る者は多い。
疑われたことについて、イリアスが答えた。
「それについてはアフロディーテが保証してくださるでしょう。昨日の面会でも、自分の世界の人間だと仰ってくれた」
貴族院長官はその言葉を聞き、それ以上は何も言わなかった。
他の方、なにかございますか、と宰相が各々の顔を見まわす。
誰の発言も出ないことを確認すると、宰相は、
「慣例では跳躍者は王宮で保護することになっていますが、サラディール様もそれでよろしいか」
イリアスに話を持っていった。
この場にいる全員が王宮保護を了承するためにこの場に呼ばれたと思っている。イリアスもまた王宮に預けるつもりで連れてきたのだと、エドワードも考えていた。
だが、その空気は打ち破られた。
イリアスは立ち上がり、自分の要求を述べた。
「私は、かの者を王宮ではなく、サウスリー領リンデで保護したいと思っています」
思わぬ提案にざわめきが起こった。エドワードも内心、驚いた。
イリアスはエドワードに体を向けた。
「私に預けてくださいませんか」
真摯な眼差しをしている。
(これは……本気だな)
エドワードは一呼吸おき、慎重に答えた。
「理由を聞こう」
皆が黙り、室内に緊張が走る。
イリアスは含むように、ゆっくりと話した。
「王宮にはすでにアフロディーテがいます。王宮の守護は兄のユリウスとディーテでまかなえております。カイトは王宮にいたとしても、能力を発揮することもなく、一生を過ごすことになるでしょう。それならば、アルミルト法国との国境であるリンデに彼がいてくれれば、隣国から侵攻されたとしても、大きな力となってくれます」
隣り合わせで座っている枢密院長官と魔法院長官が何かささやき合った。
しかし、と貴族院長官が口を挟みかけると、イリアスは語気を強めて遮った。
「彼はリンデでの生活を望んでいます」
イリアスの言にエドワードはうなずいた。
「そのようだな。あの街のことを楽しそうに語っていた。宰相殿もその場にいたな」
「はい。それは間違いないかと」
宰相も言った通り、彼と面会したときの言葉に偽りがあるようには思えなかった。
長官達は顔を見合わせている。王宮以外の街で跳躍者が暮らした記録は過去にはない。前例がないことに困惑しているのは、長官たちだけではなかった。
(困ったものだな。ディーテと親交があった分、彼の身の上に同情でもしたか)
エドワードはその昔、ディーテから散々、王都以外の街に行ってみたいと言われていた。
しかし、アルミルト法国には跳躍者がいない。竜から民を守るためにも、跳躍者は欲しいはずだ。彼らが外出中のディーテをさらう可能性は充分にあった。
身の危険をこんこんと説明し、ダメだの一点張りをしていると、近年はその立場を理解してくれたのか、もしくは諦めたのか、なにも言ってこなくなった。
王太子である自分に直談判してくるくらいだ。ユリウスやイリアスを相当困らせていたに違いない。
表情と口数は乏しいが、心根は優しいイリアスのことだ。ディーテの二の舞にしたくないと思ったのだろう。
エドワードはイリアスの胸中を思っていたが、同席している者たちは別のことを考えていた。
「領主殿はなんと言っているのだ」
再び貴族院長官が口を開いた。
イリアスはサウスリー領主の後継者ではあるが、決定権を持つのはあくまで領主である伯爵だ。
「父上の、伯爵の許可は取っております」
そこでイリアスは一枚の書状を出した。宰相が受け取り、エドワードに見せる。
王宮でのカイトの処遇はイリアスに一任すると記されてあった。
「サラディール伯の字だな」
エドワードは書状を宰相に戻すと、宰相はその文を貴族院長官に渡した。
元より連れて帰る気でいるのだ。これくらいの準備は当然だろう。
エドワードは腕を組んだ。
長官たちが書状を回し読みし、宰相の手に戻ってきたところで、イリアスが言った。
「最後に、これは懸念事項ですが」
エドワードは片眉を上げた。
「跳躍者がひとところに二人居続ければ、魔獣の襲撃が激しくなる可能性があります」
ざわりと室内が揺れた。
「聞こう」
エドワードに促され、イリアスは自らが感じたことを話した。
「彼らの中にある第五の霊脈が魔獣を惹きつけることはご存知の通りです。視える者からすれば、彼らの霊脈は気になって仕方ありません。一人でさえ近くに魔獣がいれば出て来るというのに、二人いればそれはさらに目立ちます」
明かりがひとつ灯っても、それは小さな明かり。だがふたつ灯れば明かりは目立つ。
香りに例えれば、香りの元が強くなり、広く漂う。
「王都周辺は定期的に魔獣討伐を行い、王宮はディーテの力で強化した結界で守られています。ですが、カイトを抱え込むことにより、今後どのようなことが起こるかわかりません」
王宮が魔獣に襲われれば、被害は王都に住む民衆にも及ぶ。今までは無事であったが、これからはわからない。
この発言に、エドワードは誰よりも深刻な顔をした。
イリアスはエドワードの決断を待っていたが、考えをまとめる前に話しは思わぬ方向へ向かった。
「王都に被害が出るのは本望ではないが、あくまで懸念でしかない」
枢密院長官のベイルが声を張り上げるように言った。
「私が懸念するのは、ノルマンテ大公にこれ以上、力を持たせていいのかということだ」
皆がベイルを見る。
「跳躍者から得られる魔力は国家を転覆させるだけの力がある。それを大公の二人の子息が独占するのはいかがなものか。王家にとって、これは脅威ではないか」
滔々と語ったベイルに、エドワードは心底呆れ返った。
王家と深い結びつきのあるノルマンテ家が、その王家に仇なすと本気で思っているのか。
ノルマンテ大公は国王の威信を守るため、我が子から家名を剥奪したくらいの人物だ。
それに大公家が王家に逆らうつもりであるならば、イリアスが跳躍者を王宮に連れて来るはずがない。リンデという辺境の地で匿い続けるだろう。
エドワードがちらっとイリアスを見ると、彼は無表情を貫いていた。
(よくもまあ、平然とした顔をしてられるものだな)
エドワードは内心、苦笑した。おそらく、腹の底ではベイルを罵倒しているだろう。
しかし、意外にもこの論に貴族院長官が賛同した。
「確かに王家よりもノルマンテ家が力を持つのは看過できない。それにこの者は昔、王太子殿下に怪我を負わせたことがあったな」
イリアスが目を見張った。
エドワードは眉根を寄せた。
七年前のあの事件のとき、貴族院長官はまだ長官の任にはなかった。一議員としてイリアスを貶める流言飛語に踊らされた人物のひとりだったのかもしれない。
エドワードがイリアスをどれだけ庇ったか知っているのは、この場では宰相くらいだろう。あのとき彼はすでに宰相の座に着いていた。
魔法院長官は事件を思い出したのか、渋面を作った。
「そういえば、あのときサラディール殿はディーテ様からの力の供給で、魔力を暴走させ、魔法院を破壊しましたね。跳躍者を預けるには危険かもしれません。リンデの街を破壊する恐れがありましょう」
イリアスは絶句した。
まさか七年前のことをこのように持ち出されるとは思わなかったのだろう。
内心、ため息をつく。
(大公も、敵が多いな)
エドワードはそれぞれの意見を聞き、ひとつ苦言を放った。
「かつて私が傷を負ったことは、イリアスがノルマンテ家から出ることで片をつけた。魔力の暴走を危惧しているようだが、あれから何年経ったと思っている。彼はリンデの警備隊の隊長だぞ。近衛騎士団も彼の実力を認めている。昔と同じように考えるな。以後、この話を持ちだすことは許さん」
長官たちの言葉を一蹴する。彼らはばつが悪そうに顔を背けた。
エドワードは嫌気が差した。
十四歳という若さで、イリアスがどれだけ必死で自分を守ってくれたか、いくら伝えても掻き消されてしまう。彼はノルマンテ大公に傷をつけたい者たちの政治の道具に使われてしまったのだ。
当時、すでに王太子という身でありながら、命の恩人に対して何も出来なかった。
その無念は今でも抱えている。
長官らの主張は王都に住む民衆や我が国の犠牲者ともいえる跳躍者を真に思った言葉ではない。自らの政治的野心を隠そうともしない、下卑た者がこの国の政治を動かしている。
うんざりした気持ちを隠し、エドワードはそれまで意見を言わなかった宰相に話を振った。
「宰相殿は、なにかあるか」
顔を横に向けると、宰相は小さくうなずくように、ゆっくりと瞬きをした。
「過去のことを持ち出したら切りがありませんので、私はそのことには触れません。あくまで今現在のことを申しましょう」
宰相は淡々と述べ、目を眇めた。
「サラディール様。リンデで彼を保護するとのことですが、本当に危険はないと言い切れますか」
宰相はイリアスを見据えた。
「彼は、一度さらわれましたね?」
「!」
それぞれの口から驚きの声が漏れる。
エドワードは顔を上げた。
イリアスは表情を変えずに宰相を見ている。宰相はその目を見返した。
「まったく動じないところはさすがというべきですが。殿下、その件について、ご報告してもよろしいですか」
「申せ」
密偵の報告によれば、と宰相は語った。
彼はその立場から、多くの密偵を他国のみならず自国にも放っている。
自国に入り込んだ他国の密偵の動きを探らせているのだ。そのうちの一人がリンデでアルミルト法国の密偵を追っていた。
隣国の密偵が不穏な動きを見せたので、つけたところ、ルンダの森で人さらいの準備をしていた。
自国の人間が拉致されるのを見過ごすわけにはいかない。
宰相の密偵は隣国の企みを阻止した。始末できればよかったが、隠密行動をする密偵は引き足も速い。隣国の領土へと逃げ込まれてしまった。
まもなく、馬車が一台やってきた。アルミルト法国の密偵と待ち合わせていたのだろうが、相手はもういない。
時を置かず魔獣が現れるが、宰相の密偵は木の上から様子を見ていた。
魔獣と戦っても勝ち目はない。密偵は宰相に事の顛末を報告する義務がある。なにかを企んでいる隣国の者に自国の者を易々と渡すわけにはいかないが、魔獣に襲われて死んでしまうならそれまでだ。
ほどなくして、辺境警備隊の隊長自らが救出にやって来た。
報告を終えると、宰相は小さく息を吐いた。
「さすがにさらわれたのが跳躍者だとは思いませんでした。その後、跳躍者を王宮に連れてくると連絡が来たときはまさかと思いましたよ」
皆が宰相の言葉に聞き入っていた。
「カイト殿はリンデでは危険はなかったと言っていましたが、口止めしたのですか?」
イリアスは黙した。
仮に口止めはしていないと言ったとて、信じてはもらえないだろうし、どちらにしろ、印象は最悪だ。
(連れて帰りたいという功に焦ったか。領主殿であれば、そのあたりの根回しをやっただろうが……。イリアスもまだ若いな)
エドワードは指を組んで揺らした。
「口止めをしたのか、自ら言わなかったのか、どちらでもかまいませんが」
宰相もイリアスの気質がわかっているのか、強く責め立てることはしなかった。
「私の密偵がたまたま良い働きをしてくれたおかげで、事なきを得ました」
宰相はエドワードに向き直った。
「殿下。サラディール様が言う王宮への懸念は、彼にしかわからないことで信憑性に欠けます。それよりもリンデでカイト殿が隣国にさらわれかけたという事実を重視すべきでしょう。今後も狙われる可能性があります。私は王宮での保護を推奨します」
エドワードは静かに目を閉じた。
できることならば、イリアスの意向を汲んでやりたかった。
さらわれたという事実がなければ、国王である父上に上申できたかもしれない。
イリアスがそばにいて跳躍者をさらわれるなどありえない。おそらく別の者の護衛が甘かったのだろう。しかし、それを問うても意味はない。
(父上に伺うまでもないな)
エドワードは、イリアスの負けだ、と思った。
広間は静まり返っていた。誰も何も言わなかった。
(私はまた、おまえに何もしてやれない)
エドワードは心の中で、イリアスに詫びた。
そして、ゆっくりと目を開けた。
「跳躍者フジワラカイトは、王宮で保護する」
エドワードの宣言に、イリアスはきつく口を引き結んでいた。
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