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― 動乱の王宮 ⑬
王都は大混乱に陥っていた。
かつて見たこともない、鳥獣型魔獣が王都の上空に現れたのだ。
鳥獣型といえば、ルテアニア王国ではフロータービーストが代表的だ。蝙蝠のような容姿の黒い鳥をしている。だがそれよりも遥かに大きく、長い尾に、鱗に覆われた赤い体。鳥というより爬虫類を思わせる。
あれはなんだ、と見上げていると、王都アルバスに来ていたアルミルト法国の民が次々に叫んだ。
「竜だ! なんでこんなところに!」
それを聞いたルテアニア王国の民は初めて見る竜を、その巨大さをただ茫然と眺めていた。
竜の恐ろしさなど、知りはしない。
竜の被害にあったことのあるアルミルト法国の人間は、慣れない土地でどこに逃げればいいのかわからない。
「どこかに地下道はないのか! あいつは火を吐くんだ!」
珍し気に見上げているルテアニアの民に必死に声をかけるが、なしのつぶてだ。
彼らがその恐怖に震えあがったのは、竜が灼熱の炎を王宮に向かって吐いたときだった。
その巨大さと口から吐かれた炎の強烈さと熱風に王都がパニックを起こした。
同時刻、竜の炎を浴びせられた王宮は、しかし、ユリウスが常時張っている結界のおかげで 第一波を凌ぐことができた。佐井賀の力によって強化された、非常に堅固な結界だ。
だが、竜の襲撃など想定していない。
元来、ルテアニア王国に竜はいないのだ。竜は隣国の深い渓谷に棲んでおり、こちらの国に飛来したことなど一度もない。
魔獣討伐を請け負う近衛騎士団も、どう対処すればいいのかわからず、しばし混乱した。
王宮にいた数名だけが、竜の出現にまさか、と思った。
イリアスが言っていた懸念が頭をよぎる。
―跳躍者がふたり揃うと、目立つ―
それは隣国にいる竜が気取り、飛来するほどの輝きなのか。
海人も佐井賀も、その話が出たことは知ってはいた。しかし、魔獣をより多く惹きつけるくらいだろうという認識だった。
こんな大物が出て来るなんて、想定外もいいところだ。
「とにかくユスのとこに行かなきゃ! 海人くん、ユスの場所はわかる⁉」
佐井賀には悔しいが、ユリウスの居場所はわからない。
海人は目を瞑って、ユリウスの気配を探す。かすかだが、気配を感じた。
「こっちです!」
海人が部屋から飛び出し、中庭に向かって走り出した。
近衛兵が王族や王宮内にいる者たちを地下に誘導する中、海人と佐井賀は人波に逆らい、近衛騎士団とともにいるユリウスの下に駆け付けた。
魔獣討伐に戦力として派遣される魔法院の魔導士たちは、とにかく近衛騎士団との合流を最優先にし、王宮に詰めかけていた。
魔法だけでは魔獣は倒せない。それは七年前に身に染みている。
空を飛ぶものには高魔力魔法をぶつけるのが効果的だが、戦闘は門外漢の彼らは近衛騎士団の指示を仰ぎたかった。
竜の咆哮とともに、灼熱の第二波が王宮を襲う。
結界で阻まれるとはいえ、熱はかなりのものだ。
結界を破るには魔力をぶつけることであり、竜の吐く炎は魔力が込められていた。
「次で破れるな」
ユリウスが結界を見つめて怖ろしいことを言った。
不幸中の幸いは、竜の灼熱の炎は立て続けには吐けないことだった。
第一波から第二波まで数十分と時間が空いた。その間、竜は王都上空をぐるぐる回っていた。
「また結界を張ったとしても、防戦一方ではいずれやられます。打って出なければ」
ユリウスと共にいた近衛騎士団長が言った。
「しかし、どうする。結界を捨てて、攻撃するか? さすがに私ひとりで攻撃と防御の両方はできんぞ」
ユリウスは苦い顔をした。
仮に竜に高魔力魔法で攻撃したとしても、倒す自信はなかった。
しかしそれは口が裂けても言えない。魔法院の優秀な魔導士たちを凌ぐ魔力の持ち主であるユリウスがダメなら、希望はない。
騎士団長は苦肉の策を出した。
「ユリウス様には再度結界を張っていただきます。王宮は守らねばなりません。攻撃は魔導士たちに頼みます。何人かでかかれば、撃退くらいはできるかもしれません。彼らには結界の外から攻撃してもらうことになりますが……空を飛んでいる以上、それしか方法がありません」
騎士団長の提言に、魔導士たちが息をのんだ。
結界の外から攻撃などしたら、竜の反撃をまともに受けるかもしれない。
今は第五の霊脈にだけ興味を持ち、王宮以外には目もくれていないが、さすがの竜も人間から攻撃を受ければ話は変わってくるだろう。まさに死と隣り合わせだ。
「攻撃する者には防御魔法をかけましょう。騎士団の中にもそれくらいの魔法なら使える者がいます」
気休め程度にしかならないが、それでも何もないよりマシである。
魔導士たちも覚悟を決めるしかなかった。近衛騎士団と共に攻撃部隊として王宮の裏門から外へ行くため、移動を始める。
「二人は王宮の地下へ」
ユリウスは海人と佐井賀を見て、騎士団長に言った。
竜は彼らを狙っている。捕って喰らうつもりなのか、攫うつもりなのかはわからないが、奪われるわけにはいかなかった。
「ディーテ。力を」
ユリウスはそばにいる彼の頬に触れた。佐井賀の瞳が大きく揺れる。
奥歯を噛み、ギュッと目を瞑った。言いたいことを堪え、佐井賀が詠唱を始めたそのとき―
旋回していた竜が、突如その尾で結界をバシンと一撃した。
その音に皆が空を見上げる。
物理攻撃は効かないはずが、結界にひびが入った。
「なっ⁉」
竜の尾にはなんと風の魔力が纏っていた。竜と対峙したことのない国の人間はその事実に衝撃を受ける。
さらにもう一撃、、そしてもう一撃くらったところで、結界があえなく砕け散った。
信じられない光景に誰もが動けなかった。結界はもうない。無防備だ。
ユリウスは今できる結界を急ぎ張ろうとするが、時間がない。
竜の琥珀の瞳が海人と佐井賀を捉えた。
騎士団長が叫ぶ。
「早く二人を!」
近衛兵に囲まれ、遠ざかろうとする第五の霊脈を捕まえるため、竜が羽ばたいた。
刹那―
バシン! と、その巨体が阻まれた。
「!」
竜が面食らったように首を振った。
王宮の上空に新たな結界が張られていた。
皆がユリウスを振り返るが、しかし彼は自分ではないと首を振った。
では、一体誰が。
こんなことができるのはユリウス以外には一人しかいなかった。
「イリアスだ!」
海人は叫んで、王宮の城門に向かって駆け出そうとした。
ところが海人のそばにいた近衛兵が急に振り返った彼を正面から捕まえた。
「どこへ行く!」
「放せ!」
羽交い絞めにされた海人は力の限り暴れた。
近くにいた近衛兵が二人がかりで抑えこもうとしたとき、佐井賀の声が飛んだ。
「いいから行かせてあげて!」
その声に海人の拘束が解かれる。転げそうになりながら、海人は夢中で走った。
(イリアスが、イリアスが来てくれた……!)
胸がいっぱいになりながら、イリアスを探して王宮の外を目指した。
イリアスもまた、海人を捜して王宮の近くまで戻ってきていた。
海人に別れを告げに言ったシモンを待ってから、ほどなくして二人は王都を離れた。
帰りの道すがらは足が重かった。シモンは何も言わず、黙ってついて来ていた。
いつまでも並足でいるわけにもいかない。イリアスが馬を駆けさせようとしたとき、遥か上空から飛来してくるものを見つけた。リンデの方角から飛んでくる。
竜など見たことがなかったが、その巨体と風貌は一目でそれとわかるものだった。
辺境リンデの隣国はアルミルト法国。竜のいる国。赤い巨体は頭上を通り過ぎて行く。
狙いはひとつしかない。
イリアスは馬首を反転させ、王都へ向けて馬を駆った。
王宮の城門近くまで戻ってくると、前から走ってくる黒髪の青年を見つけた。
「カイト!」
馬から降りて海人に駆け寄ったとき、彼の体の中にひときわ輝く光の玉があった。
海人はすでに詠唱を終えていた。
走ってきたため、呼吸が荒い。しかし構わずイリアスの顔を両手で引き寄せた。
「イリアス。みんなを守って」
そして万感の想いを込めて、口づけた。
イリアスは彼の力と込められた想いをすべて受け取るように、海人の腰をしっかり抱いた。
あたたかく、強い力が流れ込んでくる。
力の受け渡しが終わると同時に、彼の目が竜の瞳に変わる。
「兄上のところに案内してくれるか」
琥珀色の瞳を見ながら、海人が頷いた。
「カイト! これに乗ってけ!」
シモンが遅れてやってきた。連れていた馬の手綱を近くの木にくくりつけていたため、後からの到着となった。
シモンは自分の馬をカイトに渡す。
イリアスも愛馬に跨り、二人は王宮を駆け上がった。
イリアスが張った結界は強化されたものとは違い、長くは保たない。
破られる前にユリウスは再度、佐井賀の力を得て強靭な結界を張った。
竜が苛立ったように、第三波となる灼熱の炎を吐く。
「兄上!」
聞き覚えのある声にユリウスが振り返った。
「イリアス! 来てくれたか」
言って、ユリウスは弟の琥珀色の瞳を初めて見た。力の受け渡しは終わっているようだ。
イリアスは時間が惜しいとばかりに、早口で言う。
「兄上、せっかく張った結界ですが、解いてもらいたいのですが」
「なに?」
イリアスは旋回する竜を見上げながら言った。
「四属性の混合魔法を、正面からぶつけます。障壁はない方がいい」
ざわ、と魔導士たちがどよめいた。
すべての属性を複合した攻撃魔法。それは干渉方法が違う霊脈四つに同時に働きかける緻密な制御と膨大な魔力を必要とする。
理論的には可能だが、発動できるとは到底思えなかった。
「できるのか」
魔導士たちの胸中をユリウスが代弁した。
イリアスは自信を持って言った。
「以前、四属性混合魔法を組み立てたことがあります。そのときは魔力が足りず、顕現できませんでしたが」
魔導士たちは固唾を飲んで成り行きを見守っている。
「カイトの力を得た今ならいけます」
再び、ざわめきが起こる。信じられないと言わんばかりだった。
しかしユリウスは弟を信じて頷いた。
「究極の一発だな。外すなよ」
ユリウスの言葉にイリアスは不敵に笑う。
「外しませんよ。的はでかいんですから」
この兄弟の一連のやり取りに、魔導士たちが目を丸くした。しかしその顔には皆一様に期待が浮かんでいた。
絶望から一転、にわかに希望が出てきた。
ユリウスは内心、苦笑した。
ずいぶんと強くなったようだ。これはもう自分を超えている。小さかった頃の弟を思い出し、その成長ぶりを頼もしく思った。
ユリウスは魔導士たちに結界を破るための魔法を準備させた。ユリウスの結界は堅い。内側の方が脆いとはいえ、ひとりの魔導士の力では破れない。
同時に、イリアスは全霊をかけて最大級の魔法の組成に入った。
竜は目の前にある輝く光を手にしたくて仕方がなかった。
―アレハ、モトモト、竜ノモノ―
すぐ手の届きそうなところにあるのに、邪魔ばかり入る。
バシン、バシンと苛立ちながら尾で障壁を叩いていたら、ふっと邪魔な障壁が消えた。
見下ろせば、そこに自分と同じ竜の瞳を持った小さき人間がいた。それに隠れるように光り輝く玉がある。小さき人間が我が物のように隠し持っている。
竜は咆哮した。
―ソレハ、ワレノモノダ!
―カイトは、渡さない!
黄金の瞳同士がぶつかりあった。
ふたつの思念が流れ込んだのは、この場にいた中でも魔力の高い者たちだけだった。
身のすくむ恐ろしい咆哮の思念と、守りたいという強い人の思念が混ざり合う。
そして、イリアスの特大魔法が炸裂した。
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