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33.長とデートです

 服を着せられ、白い靴下を履かせられたらどきどきしてきた。  どこかへ連れていってもらえるということにやっと実感が湧いてきたみたいだ。それが大きい川と聞けば猶更だった。  森の端の村の近くには小川があったが、大きい川と呼べるような川はなかった。どれぐらい大きいのかと考えただけで楽しくなってきた。 「嬉しそうだな」  服を着たら長のあぐらの上に座らせられた。長は身体が大きいから、僕の頭が長の胸よりちょっと高いところにあるぐらいで、振り向いても見上げないと長の顔は見えない。近すぎると顔が見えなくなってしまうからちょっと不満だった。 「はい、旦那様とのお出かけ……楽しみです」  頭を撫でられた。 「……なんだこのかわいい生き物は……くそっ」 「長様、だめですよ。押し倒すのは帰ってきてからにしてくださいね~」 「わかってる!」  カヤテに言われて長は吼えた。短気だけど僕には優しい旦那様だ。  川の側で食べるようにとおやつと飲み物を入れた籠を持たされた。長が立ち上がり、改めて抱き上げられた。 「結界魔法を使います。最長でも半日ほどで解除されてしまいますからそれまでにはお戻りください」  リンドルがそう言って結界魔法を唱えてくれた。 「半日も絶対いないと思いますから大丈夫でしょう」  カヤテがにこにこしながら言った。 「うっせ、カヤテうっせー」 「長様、子どもみたいですよー」  僕は目を丸くした。カヤテと軽口を交わしている長は親しみやすくて好きだなぁと思った。 「ほら、天使さまに笑われてますよ」 「えっ?」  長に顔を見られてびっくりした。別に笑ってたわけじゃなくて……。 「まあいい。行くぞ」 「……はい」  長はしっかり僕を抱き直すと、建物から出た。そんなに日数は経ってないのだけど、外に出たのは久しぶりだと思った。  長は森の更に奥へ向かうと、 「しっかり捕まっていろ」  と言って走り出した。  それはもうなんといったらいいのかわからない景色だった。とても早い、のだと思う。最初に出会った鬼に抱かれてきた時も、景色が飛ぶように過ぎていったからびっくりした。でも今はそれよりも更に早く進んでいるようである。なのに風が顔に当たることもないので不思議だった。これが結界魔法の力なのかと感心した。  僕は長の腕に抱かれたまま、キョロキョロと辺りを見回した。長の走るのがあまりにも早くて、全然景色は見えなかった。見えたとしても木ぐらいだけだったかもしれないけど、へんなかんじだと思った。  それから、どれほど長い間走ったのだろうか。 「着いたぞ」  そう言って、やっと長は足を止めた。やはり鬼は走るのがとても早い。いきなり景色が戻ってきたようで、僕は何度も瞬きした。  長の腕の中から見回すと、少し離れたところに川が見えた。どうどうという音がする。川の水は青かったけど少し黒っぽくも見えた。そして何より、対岸がとても遠かった。 「これは……」  海というものがあると聞いたことがある。水がすごい速さで流れているように見えた。 「ここは、海ではないのですか?」 「海っつーのはもっとでかい。しかもこんな風には水は流れてないぞ」 「そう、なのですか……」  僕は呆然として川を眺めた。こんなに大きな川が森の中を流れているなんて知らなかった。 「この川は……森の中にあるんですよね……」 「ああ、だが向こう岸から少し行けば森は切れる。その先には人間が住んでいるはずだ」 「そう、ですか……」  この川は渡れるのだろうか。渡るとしたらどうやって渡るのだろう。僕が向こう岸を気にしていると思ったのか、 「あっちへ行きたいのか?」  と聞かれた。 「いえ……もしこの川を渡るとしたらどうすればいいのかと。そもそもこの川は渡れるのですか?」 「……上流まで行きゃあ渡れないことはない。渡りたいか?」 「いえ、いいです。渡れるかどうか知りたかっただけですから」  やはりこれほど川幅があるとそのまま渡るのは無理なようだった。 「楽しいか?」 「はい」  こんなに大きな川を見たことがなかったから、見ているだけで楽しかった。もちろんそれは長が一緒にいてくれたからだと思う。落ち着いてみると、鳥の鳴き声とか、生き物が動く音、風の音などが聞こえてきた。川からは勢いよく水が流れる音がする。  長はその場に座った。僕の体勢を変えて、川がよく見えるように椅子になってくれた。こんなことされたらもっと好きになってしまうと思った。 「この川から魚を獲ってくるのですか?」 「もう少し上流からにはなるがな。この川は生き物が豊富にいる。おかげで土産まで要求されたぞ」  長がぼやくように言う。僕はふふっと笑った。 「旦那さまはとても優しいですね」 「あ?」 「お土産、持って帰るつもりでしょう?」 「ああ、まあな……」  長は歯切れ悪く答えた。そんなに恥ずかしがることなんてないのに。  そうして僕たちはしばらくそこで持たされたお茶を飲んだりお茶菓子を食べたりしてのんびり過ごした。  自然の雄大さとでもいうのだろうか。また連れてきてもらえたらいいなと思った。

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