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 結局、その日の慧は夜食後にうちで風呂にまで入り、夜中すぎに帰って行った。 「じゃ、おやすみ」 「うん。また明日」 「あ、弓弦」 「ん?」 「飯、美味かった」  また作ってよと手を振る慧を見送り、姿が完全に消えてから二階へと引き返す。慧がいなくなったリビングはいつも以上に広く感じて、気の抜けた体がソファーへと沈む。 「はあ……」  思わず溜め息をついて天井を見遣れば、不思議な喪失感に襲われた。  まだ慧の体温が残っているような感覚のあるソファーに座っていると、ふと自分の中から何かが抜け落ちていることに気付く。それが何なのかまでは分からないけど、いつもは平気な一人の夜が何故か物寂しいような気がした。  親父が戻ってくるのは夜中の3時すぎで、それまでは一人の時間が続く。子供の頃から一人だったから一人には慣れているはずなのに、その日だけは何かが違った。  それは慧と知り合って二ヶ月が過ぎようとしている頃のことで、季節も桜の季節から全国的には雨が降り続く、梅雨特有の不安定な天候が続く頃へと移り変わっている。  SSRとしての活動も二ヶ月を迎えようとしている頃で、俺と慧の関係は明らかに出会ったばかりの頃とは違っていた。  18年間生きてきた中で初めてのアルバイト、初めての本格的なバンド活動。来週には人生初の本格的なライブも控えていて、このところの身辺で起こる初めて尽くしの出来事の目まぐるしさに嬉しい悲鳴を上げている。  そろそろ親父も帰って来る時間だから、親父が帰って来るまでに俺も風呂に入っておかないと。まだ全く眠くはないけど、明日に備えて寝ておかなきゃいけないし、取りあえずは風呂場へと向かった。  うちの風呂は一般的なワンルームマンションに備え付けられているユニットバスで、男がゆっくり入るには少し手狭な空間だ。いつも自分が入る時とは違うことに不意に気付き、何故だか胸が小さく跳ねた。  浴槽に湯を張った時とは明らかに違い、床のタイルが水に濡れている。正しくはお湯と表現した方がいいんだろうけど、ともかく俺より先に誰かが入った痕跡に、違和感というよりは安心感にも似た不思議な感じを覚えた。  親父が休みの日は親父が先に入るけど、それとも少し違うような。ともかく、慧が使ったボディーソープやシャンプーに手を伸ばす時は、何故だか少し気恥ずかしくなった。

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