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第39話
「今日は何も用がないな……」
事件から半年ほど経ったある日、刺し傷もすっかり癒えたアンドレイが呟いた。
その日は珍しく、これといってしなければいけないこともなかったのだ。
「そうですね。王子様のご予定はありませんね」
「そなたは、秘書のようなこともしてくれて本当に助かる」
アンドレイはルイに柔らかな笑みを向けた。
「もったいなきお言葉。痛み入ります」
ルイはスマートな所作で手を胸まで持っていき、お辞儀をする。
「そうだ、王子様。お時間があるのでしたら、私と出かけませんか」
「そなたと?何処へ行くというのだ?」
「ちょっとお散歩しましょう。さぁ、行きますよ」
「あ、あぁ」
『何を私に命令しているのだ』とも思ったが、ルイに促されてアンドレイは城の外へと出た。まさか、またあの庭園に行くのかとも思ったものの、それは嫌だ。女に襲われるという失態を犯した場所だから、暫くは近寄りたくない。
しかし、ルイの行くままに付いていくと、どうやら庭園には行かないようだ。
何となく、遠い昔に見たことのある景色の様な気がしてくる。
『どこかで見たか?』
記憶を手繰ってみたが、直ぐには思い出せない。
その後も暫く進むと、やがて視界が開け海へとたどり着いた。
「う、海だ……」
ルイに連れてこられたのは、まだ子供だった頃に二人で訪れた海だったのだ。
「思い出されましたか?ちっとも思い出していただけない様子でしたので、寂しかったのですが」
ルイは軟らかく微笑んだ。
「あぁ。思い出したよ。昔、お前と来たことがあったな。ここに来るのは、あの時以来だ」
「私も、あの時に来たきり一度も来ていません。一緒ですね」
「そ、そうだな……」
何となく恥ずかしくて、視線をルイから外した。
すると、顎に手を添えられて強制的に視線を合わせられる。
「ルイ……」
アンドレイの鼓動が跳ね上がり、顔が熱くなってくるのが分かった。
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