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02-2.気づいた時には手遅れだったので悪役になる

 寒気がする冷たい風がフェリクスに当たる。魔力を怯えている風に怯えることもなく、フェリクスは足を組んだ。 「同室者なんだ。説明があるのに決まってるだろ? バカだよなぁ、使用人を脅すよりも俺に聞けばすぐに状況がわかるのにさ。そこまでして俺に聞くのが嫌か? まあ、ダニエルはお坊ちゃまだからなー。お家の人じゃないと怖くて聞けないんだろー?」 「バカにしてるのか!」 「バカにしてるけど?」 「ふざけんなよ、フェリクス。お前に聞いてまともに返ってきた試しがないから使用人を頼っただけだ!」  好青年らしい笑顔を浮かべているフェリクスに対し、ダニエルは露骨なまでに威嚇をする。それすらもフェリクスの掌に踊らされていることに自覚はないのだろう。 「大事なことは教えてやるって。ほら、座れよ、ダニエル」  ダニエルの駄々洩れになっていた魔力を杖を振るうだけで制御してみせたフェリクスに感謝をしているのか、ダニエルに怯えていた使用人の目が潤んでいた。そんなことを知らないダニエルは不愉快そうな表情を浮かべる。 「ダニエル。前みたいに強制されたいか?」  動こうとしないダニエルに対して、フェリクスは杖を見せつける。  ……冗談じゃねえ。  入学をする以前のことを思い出す。公爵家同士ということもあり、ダニエルとフェリクスは幼い頃からそれなりの付き合いがあった。頻繁な行き来ではなかったものの、同い年ならば話が合うだろうと強引な両親にブライトクロイツ公爵邸に連れて行かれた日々を思い出す。  ……これだから、此奴と関わりたくねえんだよ!  フェリクスはダニエルがお気に入りだった。  二人だけになるとフェリクスはダニエルに悪戯をする。当時は気が弱かったダニエルが泣いても嫌がってもフェリクスは悪戯を止めたことはなかった。子ども同士でふざけて遊んでいると見えるものから、性的な悪戯まで幅は広かった。その中でもフェリクスが気に入っていたのが、ダニエルの意識はそのままにして体の自由を奪う魔道具を使った悪戯だった。  フェリクスはそのことを言っているということは、ダニエルもわかっている。  そして、不運なことにフェリクスの悪戯は彼らの両親に気付かれることもなく、いつも一緒に居ようとするほどに仲が良いと勘違いされてしまっている。 「……本物の屑だな、お前」 「そんなことねえよ。ダニエル限定だから」 「嬉しくねえよ、屑野郎」 「可愛くねえなあ。お前の妹ちゃんみたいに懐けば面白いのに」 「アーデルハイトに近づくんじゃねえぞ。お前みたいな屑が近づいていいような相手じゃねえ」 「相変わらず、妹ちゃんのことが大好きだなぁ」  アーデルハイトの話を持ち出すのはダニエルの興味を引く為なのだろう。  不服そうな表情を浮かべるダニエルだったが、フェリクスの前の椅子に座る。それから置かれている紅茶を間違っても飲まないようにとフェリクスの目の前に移動させた。 「そこまで警戒するなよ、まだ、なにも入れてねえって」 「信用できねえ。どうせ、ろくでもないことを企んでるだろ」 「はは、冷たいなあ。まあ、でも、正解には正解だな」 「……はぁ、やっぱりか」 「俺のことをよく理解してくれていて嬉しいぜ? ダニエル。殿下たちが相手だと何も疑われねえから退屈で仕方がねえんだよ」 「誰も疑わねえだろ。腹が立つほどに良い面をしやがって」 「そりゃあどうも。褒められると悪い気はしねえな」  本当になにも入れていなかったのだろう。  フェリクスは押し返された紅茶を飲んだ。 「それよりも、聞いたぞ。落馬したんだってな? なんでも気を失ったとか! それなのに大急ぎで学院に戻ってくるっていうから、お前の可愛い妹ちゃんは心配しててさ。また、お兄様が倒れたらどうしようなんって言うもんだから、俺が同室になって世話をしてやるって申し出てやったわけ。簡単なことだろ?」  フェリクスは上機嫌で語る。  ダニエルの性格をよく理解しているからこそ、名乗り上げたのだろう。目に入れても痛くないほどに溺愛しているアーデルハイトの願いを拒否はできない。それに付け入るような形をとり、フェリクスはアーデルハイトを味方にしたのだ。 「妹ちゃん、感動してたぜ? まさか、心配で仕方がない妹ちゃんの好意を無視できねえよなぁ」  フェリクスの上機嫌の理由はそこにあったのだろう。  溺愛している妹が関わっていると知ってしまったダニエルは同室を拒むことができない。目の前で兄が落馬をするという光景を目にしてしまったアーデルハイトが大泣きをしたことは、ダニエルも嫌になるほど知っている。 「これからもよろしく頼むぜ? ダニエル」 「……はぁ、最低だな、フェリクス」 「知ってる。嫌そうな顔をするんじゃねえよ。俺も嫌がるダニエルが見たいわけじゃねえし、どうしても同室が嫌なら考えてやらねえこともないが」 「本当か!?」 「おう、本当、本当。嘘はつかねえよ、まあ、落ち着けって」  身を乗り出しそうな勢いのダニエルを宥めながら、フェリクスは慣れた手つきで紅茶を準備する。本来ならば使用人が入れるのだが、フェリクスはダニエルに差し出す紅茶だけは自分自身の手で淹れる拘りがあった。自分の分はそのついでなのだろう。 「紅茶でも飲んで落ち着けよ」 「あぁ、悪いな。まったく、お前も人が悪いぜ、フェリクス。最初から同室じゃなくなる方法があるなら教えてくれよな」 「はは、悪い悪い。久しぶりに会ったんだ。たまには茶会でもしたくてなぁ」 「普通の茶会ならいつでも行ってやるぞ」  ダニエルはフェリクスから差し出された紅茶を飲む。  先ほどまでの警戒心が嘘のように消えている。好都合なことが起きるとすぐに油断するのはダニエルの悪い癖だった。 「それでその方法って――」  ダニエルの視界が揺らいだ。  手が震え、紅茶を落としてしまう。茶器が割れた音に気付いたのだろう。なにやら作業をしていた使用人の慌てたような足音が聞こえる。 「ダニエル、大丈夫か?」  その足音に重ねる様にして、白々しい声が聞こえた。  ……はめられた……!!  紅茶の中になんらかの魔法薬が仕込まれていたのだろう。体が痺れ、そのまま、椅子から落ちそうになるところをフェリクスに抱きしめられた。こうなることを知っていたかのような動きをするフェリクスに対し、文句を言いたいが、ダニエルは体の自由が利かず、言葉にならない。 「調子が悪いなら無理をすることねえのに。気づけなくて悪かったな、ダニエル。落馬の影響がここまで残っているなんて思ってもいなかったんだ」 「フェリクス公子、ぼ、坊ちゃまは……」 「あぁ、大丈夫そうだ。眩暈が酷いんだろう」 「すぐに医務室へ――」 「いや、様子を見よう。医務室に運ぶこともダニエルの負担になるかもしれない。悪いが、片づけをしてくれ。俺はダニエルをベッドに連れて行くから」 「も、申し訳ございません、公子。坊ちゃまをよろしくお願いいたします」  フェリクスはダニエルを抱き上げる。  抵抗ができないダニエルを見る使用人の目は潤んでいた。すぐに駆け付けられなかったことや体調の変化に気づけなかったことを悔やんでいるのだろう。  ……いや、此奴が元凶なんだけど!!  眩暈はない。手の震えも次第に収まっていく。  即効性だが、持続時間は短いものを選んだのだろう。フェリクスはダニエルの身体を気遣うかのように慣れた手つきで寝室に向かっていく。  ……気づけよ! お前!  使用人に視線を向けてみるが、気づかれない。  ……クビにしてやるからなああ!!  完全に八つ当たりである。それすらも声に出せないダニエルの心境に気付いているのはフェリクスだけだった。 * * *  ベッドに寝かされたダニエルは身動きが取れない。  体の自由を奪う魔法薬が切れていないのも理由の一つだが、なによりも嫌な笑顔を浮かべているフェリクスが怖くて動けなかった。 「バカだよなぁ、ダニエル」  フェリクスは宝物を触るかのようにダニエルの頬を撫ぜる。  危険な捕食者に狙われた獲物のようにダニエルは冷や汗をかいているのだが、フェリクスはそんなことは気にしていないのだろう。 「単純なところも可愛くて好きだけど。警戒心を解くのは俺だけにしてくれよ?」  ……お前が誰よりも危ないんだろうが!  心の中で言い返す。  ダニエルの頬を愛おしそうに撫ぜるフェリクスは笑っていた。 「すぐに倒れちまうようだと一人部屋は危険だよなぁ? 今頃、お前の連れてきた使用人が大騒ぎをしてる頃だろうし、すぐにアーデルハイトにも公爵家にも伝わると思うぜ」  そうなってしまえば、ダニエルは一人部屋になることは不可能だろう。  誰もがフェリクスがダニエルに魔法薬を盛ったとは考えない。それどころか、ダニエルの些細な変化にすら気づき、友人を介抱したと評価されるだろう。ベッセル公爵家は最愛の息子を助けてくれたフェリクスの提案をありがたく受け入れるのは目に見えていた。 「これからもよろしくな? ダニエル」  ……くそ、どうやって此奴を対処してたんだよ! ゲームの俺は!  乙女ゲームの悪役令息だったダニエルはフェリクスの策略を逆手にとって利用をしていた。最終的にはその悪巧みが公になってしまい、悪役令嬢共々、断罪をされてしまうのだが、それでもダニエルよりは上手にフェリクスを対処していたような描写があったはずである。 「それ、辛いだろ? 頭はしっかりしてるのに動けねえもんなぁ。解毒薬を作ってやるからさ、これに名前を書いてくれねえか?」  フェリクスに強引に右腕を掴まれる。  慣れた手つきでダニエルに羽ペンを持たせ、紙を差し出す。  ……この状況で何をさせる気だ!?  少しだけ動くようになったことを主張するかのように、ダニエルは僅かに首を横に振った。それに気づいているフェリクスは笑顔のままだ。 「身体が動かねえまま犯されるのと、これにサインをして今日は自由になるのとどっちがいい? 俺はこのまま犯してもいいけど」 「ふ、ざ、けん、な」 「ふざけねえよ? 早く決めろよぉ、じゃねえと犯してから名前を書かせるぞ」 「やめ、ろ!」 「あー。嫌がる顔がたまんねえなぁ」  ダニエルの上に跨り、唇を舐めるフェリクスの目は本気だった。 「書く、から、自由に、しろ!」  選択肢などなかった。  ダニエルの意思を尊重するとでもいうかのようにフェリクスは彼の上から降りる。それから慣れた手つきでダニエルの身体を起こし、ベッドの上に座らせる。まだ痺れが取れていないダニエルが倒れないようにダニエルの背後に枕などを積んでいく。 「ここに名前を書けよ」 「なんの、書類、だ?」 「いいから、いいから。これを書いてくれるなら、今日は襲うのを止めてやるからさ。ほら、ここに書けばいいんだ。それだけで今日は悪戯をしねえから、な?」 「……約束、破るな、よ」 「わかってるって」  ダニエルはフェリクスに不審そうな目を向けていたが、彼は気にした様子がなかった。今はフェリクスの気が変わる前に名前を書くしかないのだろう。  ダニエルは何の書類なのかわからない紙に名前を書く。  それが今後を左右するものだということは知らなかった。

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