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01-3.乙女ゲームのヒロインと遭遇する

「はは、大丈夫だよ、ダニエル。フェリクスに丁寧な態度をとられても、正直、気味が悪いからね」 「だってよ。ダニエルが気にしすぎなんじゃねえの?」 「殿下に対してそのような態度をとるのが許されるのはお前くらいだろうが。当家の使用人と話がありますのでお先に失礼いたします。アーデルハイト、殿下の前で失礼な言動をとらないように気をつけろよ」  ダニエルの背後で空腹を訴える声を上げるフェリクスの腕を引っ張り、食堂に向かう。アーデルハイトの命令に忠実なメイドのカティーナは景色がよく見える二階席を確保したらしく、持参した家紋の入った大きなハンカチーフを掲げていた。アーデルハイトのお気に入りらしく、少々癖のある使用人の行動に言葉を失う。  ……解雇するべきだと何度も忠言したのに。  カティーナは自分自身で物事を考えることをしない。  常に主であるアーデルハイトの意向に応えることだけを自身の役割と判断し、それによりベッセル公爵家の評判が下がる可能性を考慮しない。暴走癖のあるアーデルハイトの専属メイドとしては不十分だった。  ……常識がないのにも限度があるだろう。 「ダニエルのところの使用人は変わっているな」 「例外だ。評判を落とす前に解雇するべきだと何度も言っているのにもかかわらず、アーデルハイトのお気に入りという理由だけで公爵家の使用人を名乗っている常識外れだ」 「あぁ、アレが前に言っていた奴か」  フェリクスは納得したように頷いた。  ……近寄りたくもない。  カティーナはベッセル公爵家の人間のことを敬愛しているかのような物言いを得意としている。それは好かれる為だけに身に着けたものなのだろう。貴族社会においてはそのような特技も必要にはなるものの、アーデルハイトの暴走をあおるだけの存在となりつつあるカティーナの言葉に耳を傾けたことは一度もなかった。  ……吐き気がする。  ダニエルは女性が苦手だ。  それは公爵家というだけで媚びを売る女性たちを見てきたからなのだろう。  同性同士でも子を成すことができるこの世界でも、男女の交際というのは清き正しいものであるという認識が残っている。偏見は少ないものの、貴族の中には同性との交際は遊び感覚で行い、家同士の交友でもある婚約や結婚は異性間で行うことが多い。  それが貴族社会の常識だった。  それだけならば、ダニエルは苦手意識を表には出さずに乗り切っていたことだろう。露骨なまでに態度に出すようになったのは、平民出身の元使用人に暗殺をされかけたことや、手籠めにしようと企む元使用人たちに触れられたこと経験があるからだろう。それらの多くは未遂で終わっているのは、フェリクスがダニエルを救出することが多かったからだろう。もっとも、フェリクスはそれ以上のことをダニエルにしているのだが、それに対する恐怖心は不思議なほどに残らなかった。 「別のところを探そうぜ」 「……アレを放置して殿下の迷惑になるわけにはいかないだろう」 「自力で何とかするだろ。それよりも酷い目つきをしてるぞ」 「そんなに酷いか」 「おう。今にも他人を殺しそうな顔をしてる」  ダニエルはフェリクスの腕を掴んだままだ。  縋るような仕草になっている自覚はないのだろう。 「放っておけよ。アレの主はお前じゃねえんだろ?」  普段は喧嘩腰になることが多いダニエルの仕草に気付いているのだろう。フェリクスは気にすることでもないというかのようにダニエルを宥める。幼い頃から一緒に居ることが多いからか、それとも、ダニエルを手籠めにしようと邪な思いで近づく大人たちを追い払ってきた経験からだろうか。わざとらしく目立つカティーナの思惑に勘づいているのかもしれない。 「それとも、俺が処理しちまうか?」 「それはダメだ」 「は? なんでだよ。今まではそうしてやっただろ?」 「……あんな奴を触る必要はない」 「ふうん。まあ、ダニエルがそういうならいいけど。近寄る必要もねえからな?」 「言われなくても。アーデルハイトに何かがない限りは近寄らないよ」  フェリクスの手段は知っていた。  巧みな言葉で誘い出し、様々な免罪を押し付けてしまう。そして、それが免罪だと誰にも知られないままに処理されていく。とても乙女ゲームの攻略対象の一人とは思えない手段だった。 「それがいいと思うぜ。まあ、空いてるところにでも――」 「お兄様! どちらにいかれますの? わたくしはお兄様と朝食を食べると決めておりますのよ。カティーナが教えてくれなければすれ違うところでしたわ!」  フェリクスの言葉を遮ったのはアーデルハイトだった。  ダニエルと共に朝食をとる予定の彼女は追いかけてきていたのだ。 「お兄様?」  アーデルハイトの声に振り返る。  彼女には悪気はない。ただ、少々空気が読めないだけである。 「妹ちゃんには悪いんだけどさ。ダニエルは俺と飯を食うんだよ。妹ちゃんもユリウスと二人の方が嬉しいだろ? だから、わざわざ兄妹で食事をする必要もねえと思うぜ? 俺たちも婚約者同士の二人の邪魔をしたくはねえしさ。なぁ、ダニエル。そう思うだろ?」 「……そうだな。兄妹で食事をする必要はないだろう」 「な? ダニエルもそう言っているんだ」  フェリクスの言葉に少々考える真似をしてから同意をする。  ……アーデルハイトには悪いとは思っているが。  食堂は乙女ゲームのイベントが起こりやすい場所の一つでもある。ヒロインの行動選択肢の中には食堂という場面が含まれていたことを覚えていた。特別なイベントではない日常動作の一つだったはずである。  それを避けるのには越したことがない。  もちろん、アーデルハイトの破滅を回避する為には同行するべきなのは頭では理解をしている。しかし、ダニエルも恋をしているのだ。想い人とヒロインの接触を防ぎたいという気持ちが強くなってしまうのは仕方がないことだろう。  ……フェリクスの言葉に便乗させてもらおう。 「妹ちゃんも兄離れをする良い機会だろ?」  フェリクスの言葉に対し、アーデルハイトは納得がいかないと言わんばかりに頬を膨らめる。普通ならば幼く見える行動も気の強そうな顔立ちをしているアーデルハイトがすると威圧感が出る。 「アーデルハイト、殿下の前で子どものような言動は控えるべきだ」  子どものような言動ですらも、悪役令嬢の行動に繋がってしまう。  乙女ゲームの悪役令嬢としてのアーデルハイトの言動は、想いを寄せている婚約者の気を引きたくて仕方がない子どものようなものが多かった。それが煩わしいと拒絶され、徐々にヒロインに対して怒りを向けるようになっていく。 「そのような言動はしておりませんわ。わたくしはお兄様とユリウス殿下と三人で食事をしたいと申しておりますのよ。それのどこが子どもなのですか?」  今のアーデルハイトの表情は、ヒロインと衝突をする前のものと同じだった。  構ってほしい、自分を見てほしい、そう訴える子どものように見えてしまうのは、溺愛をする兄の欲目だろうか。ダニエルはアーデルハイトを甘やかしたくなる気持ちを抑え、静かに首を横に振った。

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