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02-8.「お前のせいで台無しだ」と言ってやりたい

* * *  日中の疲れが出たのだろう。  入浴が終わるとダニエルはベッドに倒れこんだ。 「大丈夫か?」 「大丈夫じゃねえ」 「おっ!? ……おーい、俺はまだ寝ないぞ」 「うるさい。枕」 「枕にはなれねえって。それにしても怠そうだな」  ベッドに腰を掛けていたフェリクスを引っ張る。その衝撃でベッドに上半身だけ倒れこむ形になったフェリクスは文句を言うものの、ダニエルの頬に触れていた。  肌の白いダニエルは顔色が悪いことが多いのだが、今日は特に悪く見えた。  なかなか引き離せなかったクラリッサの対応に疲れたのだろうか。 「お前には異世界の聖女ってやつが見えたのか?」 「……それらしき存在は確認した」 「そっか。それなのに煽ったのかよ? バカだなぁ。伝承通りなら恐ろしい力を持ってるらしいぞ? 厄介な奴を敵に回す癖は直んねえな」 「仕方がねえだろ。文句しかねえんだから」 「はは、ダニエルらしい」 「うるさい。お前だって言いたいことがあったんじゃねえの?」  寝転がりながらもダニエルはフェリクスの顔を見下ろした。  相変わらずダニエルの頬に触れているフェリクスに対し、色々と思うことがあるのだろうか。怠そうな表情はしているが、目は真剣だった。 「そりゃあ、文句しかねえよ」  フェリクスは同級生たちの前で愛情表現を否定された。  もちろん、フェリクスも自覚はしている。感情的になりやすく、独占力の強いフェリクスはダニエルの行動を制限してしまう。思い通りにならなければ、手段は問わない。どのような真似をしてでもダニエルを繋ぎとめようとする。 「俺たちの愛をバカにするんじゃねえとか、知らねえくせに語るんじゃねえとか。そもそも、邪魔をするんじゃねえとか。言いたいことはたくさんあるぜ?」  それでも、それが正しい愛ではないと言われても反論は出来なかった。  クラリッサからダニエルを奪い返した時もなにも言い返せなかった。ダニエルが負っている傷の多くはフェリクスの暴走によるものだ。それらを否定するかのように古傷を治してしまった。今、ダニエルの身体には古傷の一つも残っていない。  治療された傷の中には、昨日、フェリクスがダニエルにつけた噛み痕やキスマークも含まれていた。 「……でも、ダニエルを傷つけてるのも事実だ」 「バカじゃねえの」 「うるせえな。お前には言われたくねえよ」 「ふうん? 平民に言われた言葉を真に受けているのはバカでしかねえだろ」  ダニエルは笑った。  相変わらず、顔色は悪い。それでも、不満はないのだと言いたげな表情だった。 「言っただろ? 俺はフェリクスのことが好きなんだよ」  頬に触れているフェリクスの手に自身の手を重ねる。 「最後まで巻き込んでやるって言っただろ。だから、俺は異世界の聖女だろうが、聖女候補だろうが、関係なく言ってやったんだ」  愛おしそうにフェリクスの手を撫ぜる。  それから珍しく落ち込んでいる様子だったフェリクスに対して、愛おしそうな目を向ける。 「……はは、そうだよなぁ。ごめんな、ダニエル。情けないところを見せた」 「いいんだよ。情けない顔をしている時は嫌いじゃねえ。俺以外に見せたら怒るけどな」 「はあ? なんだよ、それ」 「はは、なんでもねえよ」  笑い合う。  ただ、それだけで気持ちが楽になれる。 * * *  それは夢だった。  ダニエルは見知らぬ部屋にいた。いや、実際には足を踏み入れたことがないだけで知らないわけではない。前世の記憶を辿れば、その部屋の主が誰なのかを嫌になるほどに知っている。 「……ひっ、く」  ゲームを手にしたまま、女性は泣いていた。  そのゲームの内容をダニエルは知っている。アデラール魔法学院が舞台となっている乙女ゲームだ。その名前まで思い出せなかったものの、前世での姉が好きだったゲームだという認識は残っていた。  この部屋の主は前世の姉だった。  ダニエルはそのことに気付いてしまった。だからこそ、ゲームをしながら泣いていることが不思議で仕方がなかった。  前世の記憶は曖昧になっているところも多いが、家族に関する記憶は抜け落ちていなかった。容姿や声などが薄れつつあるものの、家族と過ごした時間は特別な思い入れがあったのだろう。  姉は乙女ゲームをして泣くような性格ではなかった。  思い通りにいかないと独り言のように文句を言うことはあっても、攻略本やネット情報を元に果敢に取り組んでいくような人だった。 「ひっ、く」  ……なんで泣いているんだよ。  ダニエルは自身の手を握りしめる。  夢の中にいるのにもかかわらず、身体の自由はあった。意識もあった。それなのに前世の記憶とは異なる動きをする姉の行動に不安感があった。  ……泣かなかったじゃねえか。  以前、夢で見た葬式以来だろうか。  それすらも夢を通して見たものだった。ダニエルは前世の姉が泣いている姿を見た覚えがほとんどなかった。 「やっと、やっと、見つけたのに……」  ……おかしい。  姉の様子は普通とは思えなかった。  自由に動くことができるダニエルは恐る恐る、姉に近づいた。ゲームを見ながら泣いている姉の表情は暗い。手入れを怠ることのなかった肌は荒れ、目の下には大きな隈ができている。よく泣くようになったのだろうか、充血も酷い。  ……なんで。  見てはいけないとわかっていながらも、ゲームの画面を見てしまう。  そこにはダニエルが映っていた。昼間のやり取りが再現されていた。  ……こんな場面はゲームにはないのに。  ダニエルの発言が文字になっている。  公開模擬戦の終了後に異世界の聖女に向けて発した言葉だ。それは、乙女ゲームには存在しない台詞のはずだった。 「どうして、気づいてくれないのよぉ……」  姉は泣いていた。  それは乙女ゲームに縋ることしかできない彼女の必死な訴えだった。  ……異世界の聖女は、この人だったのか?  とんでもないことを知ってしまったような気がした。  手が震える。そして見て見ぬふりをするべきだと頭の中では理解をしていながらも、ダニエルは泣いている姉を無視することはできなかった。  ……もうこの人を姉なんて慕えないけど。  ダニエルには家族がいる。両親と兄と妹だ。姉はいない。  前世での家族は違う。まったく別の存在であるようにすらも感じてしまう。

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