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02-9.「お前のせいで台無しだ」と言ってやりたい
「……なんで、泣いてるんだよ」
声が届く保証はなかった。
ダニエルはここが夢だと認識をしていた。
「泣き顔を見たいわけじゃねえのに」
姉の顔がゆっくりと上がった。
それから信じられないものを見るかのように大きな目が見開かれた。それは夢だからこその現象なのか、夢を通じて起きた奇跡なのか、わからない。
「泣くなよ」
ダニエルの声は届いたのだろう。
ギルベルト王国では不吉の象徴とされている黒髪と黒目。その大きな目にはダニエルの姿が映し出されていない。姉の目にはダニエルではなく、彼女と同じような黒髪の少年が映し出されていた。
「お前のせいで台無しだって、文句を言わせてくれよ」
ダニエルは困ったように笑った。
言いたいことは山のようにあった。クラリッサを通じて勝手なことをしてくれるな等と文句を上げれば切りがないだろう。
……責める資格なんて俺にはない。
前世での日々を思い出す。
仲の良い家族だった。仲の良い姉弟だった。
それらが壊れてしまったのは彼の命が奪われてしまったからだ。その別れはあまりにも突然だった。
……それでも、泣いてほしくないと思うのはいけないことだろうか。
「……ゆー、ちゃん?」
姉の声は掠れていた。彼の命が奪われてから何度も何度も泣いたのだろうか。
ダニエルには前世の記憶はあるが、人格としてはダニエルのままである。前世の記憶や知識を取り戻したことによる影響は少なからず存在はするものの、人格には大きな影響は与えられなかった。それは、前世も今世もほとんど同じような性格をしており、思考回路も似たようなものだったからなのだろう。
ダニエルはそのことを意識したことはなかった。
「ゆーちゃん、帰ってきてくれたの?」
「ちげえよ」
「で、でも、ゆーちゃんだよね?」
「違う」
「そんなことない! ゆーちゃんだって言ってよ!!」
機械が床に落ちた。
そのことにも気づかず、姉はダニエルに縋りつこうとする。伸ばされた手はダニエルの腕を通り抜け、触れられなかった。
……これが夢なのか、別のものなのか、わからない。
クラリッサの治癒魔法の影響なのか。前世の記憶によるものなのか。
考えても答えを導き出すのは難しいだろう。
……考えても意味がないなら、思った通りに動けばいい。
互いに触れることはできないのにもかかわらず、今、会話を交わしている。
それだけが事実だった。
「違う。そいつはもういないんだ」
触れることのできなかった手のやり場がなかった。
その手を掴んで慰めることはダニエルにはできない。ダニエルも触れようと試みたものの、結果は変わらなかった。姉の手を通り抜けてしまうだけだった。
「霧島優斗は死んだだろ」
それは前世での名前だった。
思い出せなかったのが嘘のようだった。
「アンタの弟は死んだだろ」
姉の目からは涙が零れ落ちる。
それを拭うこともできない。ただ、絶望の淵にいる前世での姉の救いになるような甘い言葉をかけることもできなかった。
「……うん、そうだよ、ゆーちゃんは死んじゃった……」
仲の良い姉弟だった。
似た者同士の姉弟だった。
「それなら、あなたは誰なの?」
「俺はダニエル・ベッセルだ」
「そっかぁ。……お姉ちゃんは、ダニエルか、アーデルハイトが、ゆーちゃんじゃないかなって、思ってたの。あはは、さすがお姉ちゃんでしょ?」
「あぁ、よくわかったな」
「うん、泣き虫な弟を一人では居させたくなかったもん」
「そっか。俺の為か」
「うん、うん、そうだよ、ゆーちゃん。ゆーちゃんの為になら、なんでも、できるよ……。ゆーちゃん、ごめんね、お姉ちゃんが動けたら、庇えたら、よかったのに」
会話が噛み合っていない。
それでもダニエルは姉から目を反らさなかった。
「ゆーちゃんじゃなくて、お姉ちゃんが死んじゃえばよかったのにね……」
生気の感じられない声だった。
その言葉にダニエルは目を見開いた。前世の記憶を遡っても、姉がそのような言葉を口にするのは想像することができない。憔悴しきった表情を見せる姉は弟の死を目の当たりにしたことにより、心を病んでしまったのだろうか。
「ふざけんなよ」
一緒に泣いて慰めるべきだろうか。
そうなればよかったと同調するべきだろうか。
「そんなことを言うんじゃねえよ」
ダニエルにはそのどちらとも選べなかった。心の底から湧き出してくる怒りは姉に向けたものか、取り残された家族に向けたものか、それとも刺殺された前世の自分自身へと向けられたものなのか、それすらもわからない。
「俺はそんなことを望んでいない。誰の死も望まない。悔やんでくれとも、泣いてくれとも言ってないだろ。なんで無関係なアンタが自分自身を責めるんだよ。俺の死はアンタのせいじゃねえだろ!」
ダニエルの言葉は姉に伝わったのだろうか。
涙を流す姉の表情に僅かな変化が表れつつあった。
「だから、もう止めてくれ」
なぜ、異世界の聖女と呼ばれる存在になっているのだろうか。
姉はその自覚があるのだろうか。それとも、これは都合の良い夢なのだろうか。
「俺は幸せだ。彼奴と一緒ならそれでいい。周りがなんと言おうと幸せだよ。これは俺が選んだことだ。前世とか今世とか、転生とか、そういうものは関係ない。フェリクスのことが好きになった、ただ、それだけの話なんだ」
姉にはその言葉が通じたのだろうか。
泣き続けている彼女がなにを考えているのか、わからなかった。
「……ゆーちゃんは、幸せなの?」
「好きな奴と一緒に居るんだ、幸せに決まってるだろ」
「そっかぁ……」
姉は落としてしまった機械を拾う。
そして、視線をゲームに向けた。
「ごめんね、ゆーちゃん」
涙が姉の手の上に落ちる。
「ごめんね」
「……謝るなよ。そんなことをしてほしいとは言っていないだろ」
「うん、うん、そういうと思ったよ」
「わかっているなら、どうして謝るんだ」
「だって、お姉ちゃんはダニエルのお願いを叶えてあげられないから」
今、この場所にいるのが弟ではなくダニエルであると認識をしていたのだろうか。姉の言葉にダニエルは黙ってしまった。
「ごめんね、ダニエル。でも、お姉ちゃんはゆーちゃんの生まれ変わりだって覚えておくから。だから、ダニエルが不幸にならないように頑張るから。だから、ごめんね……。もう、二度と、誰かに弟を殺されたくないの……」
なぜ、謝るのだろうか。
ダニエルは問いかけようとしたが、上手く、声が出なかった。
……目が覚めてしまう。
夢が終わってしまう。
そうすれば、異世界の聖女として暗躍をする姉の行動を止めることはできなくなってしまう。それはダニエルの望むことではなかった。
……ふざけんな。
次の言葉でこの夢は終わる。
確信はなかった。ただ、そんな気がした。
「アンタはアンタの人生を生きろよ! 死んだ弟 のことなんて忘れちまえよ!!」
それならば、せめて弟としての言葉を残したかった。
言うべき言葉は他にもあっただろう。ダニエルとしての意思を伝えておけば、彼らの幸せを壊すような干渉はなくなったかもしれない。
それは頭ではわかっていた。
夢が醒める。姿が薄れていくダニエルに対して姉は懸命に手を伸ばしていた。それに応えることはできない。
……もういいんだよ。
霧島優斗は殺された。
目の前で弟を殺された姉の心の傷は重かった。
……忘れてくれていいんだ。
その手を取ることができないのならば、せめて、願ってしまう。
ダニエルは静かに目を閉じた。夢が醒める前、姉が叫んだ言葉がなんだったのか。それだけは聞き取ることができなかった。
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