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02-7.聖女候補のヒロインは奇跡を願う
「でも、お姉ちゃんは、もう、逃げないって決めたから」
花音はゆっくりと立ち上がる。
それから目を反らされたままのダニエルに対して、今にも泣きだしそうな顔をしながら、必死に笑いかけて見せる。その歪な表情はフェリクスの警戒心を煽るだけなのだと自覚をしていることだろう。
「ごめんね」
それでも、花音は彼らの前に立ち塞がる。
ダニエルが望まないことだということは彼女も理解をしているのだろう。
「今度こそ、守ってみせるから」
花音の言葉に異変を感じ取ったのはダニエルだけだった。それは前世の記憶によって引き起こされた現象だろうか。自分自身を追い詰めるような発言をする時には碌な行動をしないということを知っていた。
「俺はそんなことを望んでいない」
「うん、知っているよ」
「知っているなら妙な行動を起こすのは止めろ」
「優しいね。……だから、お姉ちゃんは守りたいんだよ。ごめんね、きっと、ダニエルは怒るだろうけど。でも、もう決めたことだから」
「やめろ。吹き飛ばされたいのか」
ダニエルは立ち上がり、杖を花音に向ける。
既に展開をしている魔法の規模を広げていく。風属性の魔法によって守る範囲の中にはユリウスやルーカスも含めた。それを呪文も唱えずに行うことができるのはダニエルが天才と呼ばれる所以でもある。
「私の大切な弟 が幸せになりますように」
花音は大きく息を吸い込む。同時に空気中にある魔力を自分自身の願いを叶える為に魔法へと変換をしていく。
握りしめられた拳からは血が流れた。爪が肉を抉るような痛みが走る。
通常ではありえない傷を作り出すのは、本来ならば使えるはずのない魔力を体内に取り込んだことによる副作用だろう。それでも花音は止まれなかった。
「私の友人 が幸せになりますように」
傍にいるクラリッサの身体を光の壁が包み込む。
反射的に内側から壁を叩き壊そうとするクラリッサの様子から、彼女が自分自身に施したものではなく、花音が意図的にした行為なのだろう。
「大切な人たちが幸せになりますように」
それが花音が召喚をされた理由なのだろう。
この世界では望まれていない容姿だということは花音も知っている。乙女ゲームでは迫害を取り上げられることはなかったものの、黒髪が不幸を招くと信じられているという会話があった。
花音はそれを知っていながらもクラリッサの声に応えた。
それは手を伸ばすことができなかった後悔を晴らす為だったのだろうか。
「さようなら、ダニエル」
花音の頬を大粒の涙が濡らす。
それと同時に大爆発が起きた。事前に展開されていたダニエルの魔法を激しく攻撃をする爆発の中、ダニエルは目を閉じることはなかった。
攻撃を仕掛けてきた花音は守る対象ではない。
膨大な魔力量を誇るダニエルだからこそ、破壊された個所を素早く塞ぐことができる。これが他人の魔法ならば彼らは吹き飛ばされたことだろう。
* * *
……ようやく、止んだか。
魔力切れを引き起こしたのだろう。
花音が引き起こした十分間の大爆発は収まった。風の壁に衝突し、弾かれたのだろうガラスの破片や机などが散乱をしている。警戒をしながらも、ダニエルは周囲を伺う。風属性の魔法を維持しているダニエルを守るようにフェリクスは杖を握りしめていた。破壊された隙に飛び込んできた衝撃波に魔力を衝突させ、相殺していたのだろう。
……幸せを願っているとは思えないな。
花音の言葉と魔法が釣り合わない。
幸せを願ったからこそ大爆発を引き起こすなど聞いたことがなかった。
「……勝手な奴だ」
ダニエルは魔力切れにより気を失ったのだろう花音に視線を向ける。床に倒れこんでいる花音の表情は見えない。力尽きたようにも見えるが、僅かに肩が動いている為、命を失ったわけではないのだろう。
「そんなことをしても何も変わらないのに」
花音の容姿が変貌をしていた。
不吉の象徴とされている黒髪ではなく、白髪になっている。それは大爆発の影響によるものなのか、それとも、魔力を行使した影響なのか、わからない。
しかし、異世界の聖女として相応しいと言える風貌に変わった可能性がある。
それでも、ダニエルは花音のことを認めることはないだろう。
「なんの騒ぎですか!?」
生徒会室の扉が開けられた。
大爆発を耳にしたのだろう。杖や武器を抱えた教授たちが生徒会室に駆け込んでくる。そして破壊された生徒会室と中央に倒れている白髪に変貌した花音、それぞれの魔法で身を守っているダニエルたちを目にして呆然とした表情を浮かべていた。
ダニエルは魔法を解除する。
教授たちの前では警戒が不要だと判断をしたわけではないが、大爆発を引き起こした花音が倒れている以上は気を張り詰めている必要もないだろう。
「フェリクス!!」
教授たちを押しのけて生徒会室に駆け込んできたのは、アデラール魔法学院の理事長を務めているブライトクロイツ公爵だった。フェリクスはその姿を認識すると面倒そうな表情を浮かべていた。それからダニエルの腕を掴み、強引に座らせる。
「無事だったか」
「見ての通りだ。まぁ、ダニエルに助けられたようなもんだけどな」
「そうか。ダニエル君も傷はないか」
「大丈夫です、公爵。それよりも殿下たちは――」
「ユリウス殿下の心配は無用だよ。すぐに専門医に見せるからね」
ブライトクロイツ公爵は安心したような表情を浮かべた。
それからフェリクスとダニエルのことを抱きしめる。
「二人とも、無事でなによりだ」
二人の背中を数回、優しく叩いてからブライトクロイツ公爵は離れる。
それからユリウスの元に向かった。本来ならば王族であるユリウスを最優先するべきである。家族や家族同然の付き合いをしているダニエルが相手とはいえ、公私混同をしないことで有名なブライトクロイツ公爵らしくない行動だ。
……早くも動き始めたか。
第二王子派はユリウスの言動を指摘し始めたのだろう。不吉の象徴を庇う聖女候補の味方をするユリウスは異端者である。異端者が王国を収めることは災いを招く等、ここぞとばかりに言い始めていることが想像できる。
「……ダニエル。ありがとな」
「急になんだ。お礼を言われるようなことはしていないが」
「いや、俺、何もできなかったなぁって」
「なにを言っているんだよ。防げなかったのを吹き飛ばしていただろ」
「それだけだろ? ダニエルに頼り切ってたなぁって」
フェリクスの言葉を聞き、ダニエルは不満そうな表情を浮かべる。
まだフェリクスには打ち明けていないことがある。花音が大爆発を引き起こした切っ掛けとなったのは、ダニエルが黙っていることも原因の一つだろう。
理由もわからないまま、攻撃を受けることになったフェリクスは被害者だ。
それなのにもかかわらず、情けなさそうな表情をしていることは心地よいものではない。
「チッ」
ダニエルは舌打ちをした。
それからフェリクスの手を握りしめる。
「勘違いしてんじゃねえよ。俺はフェリクスだから守ってやったんだ」
謝られる筋合いなどない。
適材適所という言葉の通り、爆発を防ぐのはダニエルの魔法が適している。それだけの話だった。
「傷の一つもつけられるのが嫌だった。それだけの話だ。フェリクスが情けない顔をする必要なんてなにもねえんだよ」
「……そうかよ」
「納得いかなそうな顔だな」
「そりゃそうだ。好きな奴の前ではかっこいい姿を見せたいだろ?」
「はぁ? なんだよ、それ」
「呆れるなよ。大事なことなんだからな」
その言葉にダニエルは笑った。
……くだらねえ。
ダニエルに釣られたように頬を緩めるフェリクスに身体を押し付ける。
「フェリクスはいつもかっこいいだろ」
「へ?」
「なんだよ」
「いや、……そう思ってんだなぁって」
「意外そうな顔をするなよ。前にも言っただろ? 俺はお前の顔は好きだよ」
「顔だけかよ」
「知ってるくせに」
「はは、確かに。ダニエルは俺のことが好きだもんな?」
ダニエルの言葉に対し、フェリクスは笑う。
それからダニエルの耳元に顔を寄せる。
「俺も愛しているよ」
囁かれた愛の言葉は小さい声だった。
生徒会室を元通りに戻す魔法を使っている教授たちに遠慮をしたのか。ユリウスと話をしているブライトクロイツ公爵に気を使ったのか。もしかしたら、耳元で囁かれただけで顔を真っ赤にして俯いたダニエルの可愛い反応を見たいだけなのかもしれない。
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