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04-6.恋の病は治らない

「うげっ、不味い」  すぐに吐き出し、唇を擦っているフェリクスを見るダニエルの目は冷たい。  フェリクスの男性器を舐めて興奮をしていたのは事実だ。後半は苦しいだけの行為ではあったが、ダニエルの行動によりフェリクスが射精をしたという事実だけで気分が良い。しかし、フェリクスの何気ない行動で萎えたのだろう。 「変態」 「はは、お前もなぁ。……下着、濡れたままだと気持ち悪くねえの?」 「お前のせいだろうが!」  互いに腰を下ろしているからだろうか。  視線が混ざり合う。同じ位置に顔があることに違和感を抱くが、ダニエルは呆れたような表情を浮かべた。それからフェリクスの肩に頭を寄せ、ため息を零す。 「ダニエル?」  フェリクスはダニエルの背中を撫ぜる。  普段とは比べ物にならないほどの少ない罵声だった。本気で怒っているわけではないことはフェリクスも理解をしていたものの、物足りなさすらも感じてしまう。  ……呪文を聞かれるのも厄介か。  周囲の気配が増えていくのを肌で感じ、ダニエルは警戒を強める。  気配は慣れたものだ。ベッセル公爵家の関係者ということを隠すつもりもないのか、それとも、わざとらしく主張をしているのか。ダニエルは後者だろうと判断し、フェリクスとの距離をさらに縮める。  ……【清めろ】。  風属性の魔法を身に纏う。  それは二人が纏っているだろう精液の匂いを消し、濡れてしまっている下着を元通りに戻す。フェリクスは頬を撫ぜる風に違和感を覚えたのか、何度か、瞬きをしながらダニエルを見ていた。  魔法を発動させたことに気付いたのだろう。  風属性の中でも特殊な部類に該当する魔法を声にも出さず、発動させ、痕跡すらも残さなかった。それは学生の範囲を明らかに超えている。 「黙って聞け」  ダニエルの声は低く、小さい。 「狗が嗅ぎつけた」  それだけで状況を理解したのだろう。  普段、自信満々のフェリクスの表情が硬くなる。ベッセル公爵家の生業は貴族たちの中では知らないものはいない。建国当初から第二騎士団を率いり、王国にとって不要なものは秘密裏に始末をする。  騎士の姿を借りた暗殺者集団はどこにでも紛れ込む。  それは学園でも同じことだった。 「動揺するなよ」  ゆっくりと立ち上がる。  それに合わせ、フェリクスも立ち上がる動作に合わせて頷いて見せた。 「……レイブン。降りてこい」  人目のつかないところを選んだとはいえ、公爵家の目から逃れられるわけではない。フェリクスはそのことに初めて気づいたのだろう。居心地が悪そうな表情を浮かべたが、ダニエルにわき腹を肘で突かれ、表情を戻す。  ダニエルの声に応じた男性、レイブンは屋根の上から降りてきた。  第二騎士団の制服を着こみ、隠れていたことを隠しもしない。人の良さそうな表情すらも怪しく思えてしまうのは彼らが行っている本来の仕事を知っているからだろう。 「坊ちゃま、外で行うのは衛生上よろしくありませんよ」  行為に及ぼうとしていたことを咎めるような言葉だった。  見ていたことを否定もしないレイブンに対し、ダニエルは舌打ちをする。 「お二人がそのような関係を持たれていることは聞かされていましたが、まさか、人目も気にしないとは。坊ちゃまの護衛についている俺たちの身にもなってくださいよ」 「軽口はいらねえ。用件だけを言え」 「まったく、せっかちな坊ちゃんですね。公子には同情をしますよ。坊ちゃん、かなり我儘で意地っ張りなところがあるでしょう? 態度も悪いですし。よくお付き合いしようと思ったものだと騎士団の中では噂になっていますよ」 「用件はそれか?」 「待ってください、どこに行くつもりですか。……わかりましたよ、用件を話しましょう。ですから、これ以上、厄介事を作るのはお止めください。坊ちゃん担当の俺たちの身が危なくなるんですからね」  レイブンは大げさなまでにため息を零した。  それが演技だということをダニエルは知っている。レイブンの目的の一つはフェリクスを煽ることだと見抜いているからこそ、言い返そうとするフェリクスを制止させ、ダニエルは一歩、前に出た。 「知らねえよ。興味もねえし」  フェリクスはダニエルに庇われるのが好きではない。  それを知っているものの、この手の分野には関わらせたくなかった。 「手短に済ませろ」  ダニエルの表情は硬い。  物心ついた頃から慣れている家業ではあるのだが、隠れて何かを行うことが得意ではないダニエルにとっては回りくどいやり方は好ましいものではなかったのもあるだろう。それでも、ベッセル公爵家で生き残る為には避けられない。 「教皇様が学園に向かっているとのことです。順調に進めば三日以内に到着することでしょう。坊ちゃま、今回は派手に問題を起こしてくださったみたいなので、教皇様とのご会談も避けられませんよ」  ……おいおい、まじかよ。聖教会の教皇が来るのかよ。  フェリクスも同じことを思ったことだろう。  ギルベルト王国や周辺諸国を中心として勢力を伸ばしている聖教会の最重要人物である教皇は滅多なことでは教会本部を離れない。  ……問題しか起こさねえな、あの女。  聖女候補の地位をはく奪されるのならば、教皇は学園に足を運ばない。  わざわざ出向くのはクラリッサと彼女が呼び出した花音の存在を認める為だろう。聖女候補を認めることにより国政に対して干渉をしてくる可能性も高い。 「坊ちゃま。レオンハルト公子もお越しになられるそうです」  レイブンの視線はフェリクスに向けられた。  ブライトクロイツ公爵家の人間であるフェリクスの前でも堂々とした姿を見せたのには、理由があるのだろう。 「恋情に現を抜かすのは若者の特権ですが、寝首を刈られないようにお気を付けください。それでは、失礼します」  一方的な要件を告げ、レイブンは飛び跳ねた。  素早く移動し、上を見上げてもレイブンがどこに潜んでいるのか、すぐに見つけることはできない。 「……はぁ」  ダニエルはため息を零す。  それから後ろに立っているフェリクスに寄り掛かる。 「彼奴の相手は疲れる」 「お疲れ様。ごめんな、何もしてやれなくて」 「問題ない。家の問題に巻き込むつもりはねえんだよ」 「わかってる。でも、守られてるのは性に合わねえよ」 「うるせえ。変な顔をするんじゃねえよ。フェリクスは大人しく俺に守られていればいいんだよ」  ダニエルは笑ってみせた。  それから姿勢を戻し、背伸びをする。 「でも、疲れたのは変わんねえからな」  わざとらしく歩き始める。 「フェリクスは疲れた俺を癒せよ? 今からもっと疲れに行くんだからな」 「あぁ、当たり前だろ。蕩けるほど癒してやるよ」 「ふうん。まあ、期待してやってもいいぞ」 「おう。期待しとけ」  少し遅れて歩き始めたフェリクスはダニエルの隣に並び、ダニエルの肩に腕を回した。  二人が向かうのは今も華やかなダンスが繰り広げられているだろう会場だ。  途中で抜け出したとはいえ、最後までいないわけにはいかない。

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