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05-2.乙女ゲームのシナリオは暴走をする

「すぐに戻って来いよ、ダニエル」 「わかってる。嫌がらせをして遊んで戻ってくるから」 「遊びすぎるなよ」 「わかってるって。心配性かよ」 「心配になるんだよ。ダニエルに惚れられたら堪ったもんじゃねえ」 「はは、それはねえよ」  力なく、降ろされた腕に名残惜しさを抱く。  フェリクスは納得をしているわけではないのだろう。それでも、これは状況を落ち着かせる為には必要な行動だった。  ダニエルは中心部に向かって足を進める。  同級生の一部では何か裏があることに察している者もいるだろう。ダニエルの女嫌いは有名であり、フェリクスと婚約一歩手前の段階であるという噂を耳にした者も少なくはないだろう。  ……こんなことはゲームにはなかった。  前世で存在をしていた乙女ゲームに酷似した世界ではあるものの、まったく、同じように進んでいるわけではない。それぞれの自我が存在し、それぞれの想いがある。  ……そうじゃなかったら、俺は関わろうともしなかっただろうな。  彼らはこの世界に生まれ、この世界で生きている。  それを好き勝手に荒らされてしまうのは受け入れられない。 * * * 「踊らねえのかよ」  大勢の人から向けられている視線に慣れていないのだろう。その視線の中に含まれている様々な感情に対し、戸惑いを抱いているのかもしれない。 「似合わねえな、その色。人形みたいな顔をしやがって、嫌なら拒絶して逃げちまえば良かっただろ」  花音にはクラリッサの為に作られたのだろう桃色のドレスは似合わない。  淡い色を好まない花音にとっても不本意なことだっただろう。  人形のような無表情を浮かべていた花音は顔を上げ、声をかけてきたのがダニエルだとわかると泣きそうな表情を浮かべた。 「……あはは、お姉ちゃん、逃げないって決めたから」  花音の言葉を理解することができるのはダニエルだけだろう。  それをわかっているからこそ、ダニエルは花音の返事には応えなかった。 「お前、俺に加護を与えただろ」  一方的な会話だ。  最後の一曲の相手にと花音を誘っていた生徒たちはダニエルの登場に驚き、戸惑いながらも後退りをする。 「聖女の加護なんてものは滅多なことで手に入らねえからな。その貴重な体験をさせてもらったお礼だ。一曲だけなら相手をしてやる」 「お礼をされるようなことじゃないよ?」 「知ってる」 「ふふ、そっか。……アンタは優しすぎるのよ。バカ」 「お前には言われたくねえよ」 「口が悪いのは変わらないんだね」 「元々だ。それで、踊るのか、踊らねえのか。選べよ」  手を差し出した。  花音は驚いたような表情を浮かべながらも、恐る恐る、その手を掴む。 「ダニエルと踊れるなんて嘘みたい」 「お前と踊らなきゃならねえなんて嘘であってほしかったんだがな」  こうなることを望まれていたのだろうか。  最後の一曲が始まった。それに合わせてダニエルは花音の手を引っ張った。  ……まともに踊るわけねえのに。  嬉しそうな顔をしている花音を見ると罪悪感を抱いてしまう。ダニエルの目的は花音を楽しませることでもなければ、純粋にダンスを楽しむことでもない。  悪目立ちをすることにより、クラリッサの関心を花音に向けることだ。花音が嫌がらせを受けるようになったとクラリッサに思い込ませることができれば、クラリッサはユリウスに構っている時間を惜しむだろう。  ……バカな奴。  ダニエルは花音の両手を掴み、全力で振り回す。  周囲の迷惑など気にしない。音楽と歩調が合っていないことなどお構いなしの回転をする。ダニエルの動きに振り回されている花音の足がもつれ、半ば、引きずられていようが気にしない。それはダンスとは言えない動きだった。 「や、やめ――」  花音の声は音楽にかき消される。  ダニエルの行動に驚いた生徒たちの声にかき消されてしまっていることを悪用し、ダニエルは両手を離した。激しい振り回され方をした花音は千鳥足になっており、そのまま、座り込んでしまった。 「おいおい、しっかり繋いでなきゃダメだろ?」  座り込んだ花音の両腕を引っ張り、強引に立たせる。  ダニエルが大規模な行事を滅茶苦茶に掻き回すのは初めてではない。以前も同じようなことをしたことがある。その時の相手はフェリクスだった為、二人の悪ふざけに同調した同級生たちによりダンスが中止になったこともある。  ダニエルが参加をしたことにより、慌てて距離をとった生徒たちは以前、その場にいた人たちだろう。 「踏まれちまうぞ」  意地の悪い笑みを浮かべる。  話をする余裕があるのはダニエルだけだ。そして、ダンスには参加せず、近くから見守っていただけのフェリクスに視線を送った。  ……嫌がらせの天才だよな。彼奴。  ダニエルの友人たちのことを取り巻きと呼ぶのはフェリクスだけだ。  そして、友人たちはフェリクスのことを恐れている。ダニエルが花音を誘っている間に声をかけておいたのだろう。音楽に合わせて踊っていたはずの生徒たちの動きが一瞬鈍った。そして、次の瞬間、ダニエルと同じように滅茶苦茶な動きをし始めた。 「な、なに考えているのよ! この、バカ!!」 「はは、最高だろ」 「バカ!!」 「うるせえな。舌を噛むぞ?」  姿勢を立て直そうとしていた花音の腕を引っ張り、振り回す。  周囲に当たりそうになってもお構いなしに移動を始めた為、見ないようにして踊ろうとしていた生徒たちは慌てて逃げ出した。  それでも音楽は止まらない。  ダニエルの思惑を知ったチャーリーが音楽を続けるように指示している姿が見えた。ダニエルと目が合うと、笑顔で手を振っているチャーリーの姿に恐怖を抱く人は少なくないだろう。  ダニエルの暴走は親公認である。  ベッセル公爵家に逆らおうと考えない者たちは同調するか、逃げるしかなかった。 「一曲終わるまで遊んでやるよ」  悪戯を思いついた子どものような笑顔だった。  振り回されている花音にはダニエルの表情など見えていないだろう。それどころか、声も届いていないかもしれない。 「楽しいだろ、花音」  名を呼んだのは初めてだった。 「夢みたいだろ」  魔力を使い、花音の身体を浮かせる。  先ほどよりも勢いを込めて回り始める。振り落されないようにダニエルの手を握る花音の手からは恐怖が伝わってくる。 「お前の声も俺に届いていた。夢で見た。詳しいことはなにも思い出せねえけど」  ダニエルと花音の会話を気にしている者はいない。  勢いよく回りながら移動をするダニエルの動きに合わせて、遊び始めた友人たちに巻き込まれることを恐れた生徒たちも見ていられないと言わんばかりに目を背けている大人たちには届かない穏やかな声だった。 「俺はアンタが敵だとは思えねえよ」  それはダニエルの本音だった。 「だから、逃げるのは終わりにしようぜ。姉ちゃんの帰る場所は別にあるだろ」  それは、花音の弟である霧島優斗としての言葉だった。 「あぁ、残念。お遊びの時間は終わっちまったよ」  ダニエルがそう言ったのと同時に音楽が止まった。  ダンスの終了を告げる合図と共にダニエルは手を離す。  それから、わざとらしい貴族としての礼をして早々に立ち去った。呆気に取られているユリウスとクラリッサに捕まる前に人込みの中に紛れ込んでいく。 「良い子で待っていられたじゃねえかよ、フェリクス」 「あぁ、笑い死ぬところだったけどな」 「あっそ」 「記念に残しておきたかったくらいだ。あそこまで暴れる奴がいるかよ」 「お前の目の前にいるだろ」 「はは、そりゃあそうだ! 本当に最高だな、ダニエル」  フェリクスは両腕を広げる。  それに応えるようにダニエルはフェリクスの胸に飛び込んだ。 「音楽終わっちまったけど?」 「構わねえだろ」  フェリクスはダニエルの腰に手を当て、回り始める。  大笑いをしているのは二人だけだった。遊び始めた二人を止めようとするルーカスの声など聞こえていないのだろう。

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