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第12話 お伽話

「それでは、次の作品についてです」 「あぁ」  ニッコニコ、って言葉が一番しっくりくる。 「……テーマ等は確認していただけてましたか?」 「あぁ」 「……」  僕の話、ちゃんとこの人に通じてるのかな。なんだか日本語すら全然通じていない気がするんだけど。 「大きさ等はこちらに任せるとのことでした。花の指定もないです」 「あぁ」  ほら、きっと通じていない。だって、今、僕はそんな笑顔になるような楽しい話はしていないと思う。新しい作品に取り組むのが楽しみっていうのとはまた違う、幸福感に満ち溢れた、言うなら、締まりのない、だらしのない……顔。 「……僕の話、聞いてます?」 「聞いてる。テーマは鮮やか、新型テレビの宣伝映像に使われる作品で、花の指定はなし。ただし使う色は大胆に赤、黄、青、黒いバックに映えるような作品を希望。俺は、奥行きを意識した立体感のある作品を提示してみようと考えている」 「……聞いてたんですね」  ご丁寧にちゃんと自分からの提案も付け加えて教えてくれた。 「…………ご機嫌ですね」 「あぁ」  そしてまたニッコニコに微笑みながら、兄は頬杖をついた。僕がじっと睨むように見つめてもちっとも動じることなく、ニコニコにこにこ……本当にわかりやすい人だ。 「お前はずいぶんご機嫌斜めだな」 「……そうですか?」 「あぁ」  ご機嫌斜めだと思う人を目の前にそんなに笑顔になれるかなってくらい、本当に、素晴らしいくらいに雲ひとつない青空みたいな笑顔。 「ほら、あの、佐世保(させぼ)会長のお孫さんだっけ? たまに家へ来ているんだろう?」 「……よくご存知ですね」 「あぁ、母が話してくれた」 「……そうですか」  母が、兄にそんな話をすることは珍しい。母も母で多忙な人だから。それでも兄へ彼女のことを伝えている、というのはやっぱりそういうことなんだろうな。僕の相手として、僕の知らないところで何か進んでいるんだろう。兄が当主になる。けれど、兄は女性とは結婚することはないから、家を継ぐ将来のためにと――。 「にこやかで、とても品のいい女性だと」 「えぇ」 「花にとても詳しいんだって?」 「そうですね。庭の花を見にちょくちょくいらしてます」 「へぇ」 「……兄さんが興味を示すなんて珍しいですね。母からいろいろ聞いたんですか?」 「まぁね」  なんだろう。笑顔が少し、変わった。違和感がある感じ。さっきのニコニコとは違う、意味深な笑みだ。 「色々聞いてる」  彼女がいずれ自分の義理の妹になるって認識があるから? さっきまでの青空のような快晴笑顔と少し雰囲気が違う。嬉しそう、が、楽しそう、に変わった。兄にとって、義理の妹ができることはそこまで楽しくなれるような話題ではないと、思うのに。 「お前はたまにすごく不器用だな」 「? 何がです?」 「いや、いいんだ。なんでもないよ。佐世保会長のお孫さんは大切に接した方がいい」 「わかってますよ」 「ならいいんだ。お前にとっても、俺にとっても大事な人だから」  わかってる。  わかってるってば。  もう言われなくたって、ちゃんと。 「そうそう、恋人ができたんだ」 「……話がまた急に変わりますね。そうですか」  あのサラリーマンと。そうだろうって思った。さっきの上機嫌笑顔の理由なんてそれしかないでしょう? 「大丈夫ですか?」 「何が?」 「彼には、どうご自身のことを伝えたんです?」  彼は本当に貴方を、上条家を、理解できてる? 僕らの家が普通の家じゃないということ、貴方の恋人はテレビにも出る作品を手掛けて、ホテルのメインギャラリーを全て支配できるほどの花を創造できる人間だと、わかっています? その恋人でいることのプレッシャーや覚悟があるのか確認した? あの平凡なサラリーマンに。その覚悟があると?  そう、確認しました?  ねぇ、兄さん。 「随分、棘のある表情だ」 「生まれつきです」 「それにへそ曲がり」 「そんなことありません」 「それから、少し、そそっかしい」 「……」 「睨んでもダメだ。お前のご機嫌斜め顔なんて見飽きてる」  僕にはそうは思えない。あの平凡なサラリーマンに貴方のパートナーでいることの覚悟なんてきっとないよ。きっと彼は浮かれてるんでしょう? ふわふわと足が浮かんでしまうような心地なんでしょう? 相手は、上条敦之だ。容姿端麗で、上品で、まるで、王子様のようでしょう? そんな相手と恋仲になれたら、誰だって夢見心地に決まってる。幸福の浮遊感で何もかもが誤魔化されているんだ。今は。  そのうち気がつく。  そして、いつかは。 「いいんだよ」 「兄さん?」 「俺が彼をどうしても好きなんだ」 「……」  でも、いつかは。 「明日も会ってくる。明日は夕方からフリーで大丈夫だっただろう?」 「えぇ、明日は夕方からフリーです……今日は一旦ご自宅に帰られるんですか? それなら車を」 「いや、いいんだ」 「でも」 「スーパーマーケットに寄るから」 「は?」  スーパーマーケットに? 何しに? 「じゃがいもと、にんじん、玉ねぎ、牛肉を買うから」 「え?」 「肉じゃがを作るんだ」 「はい?」 「それじゃあ、あぁ、そうだ、雪隆」  なんでスーパー? それも別に車で寄れるのに。 「お前も早く恋人を作った方がいい」 「……」 「幸せだぞ? それじゃあ。お疲れ様」  そんなの、知らない。  でも、知ってる。  恋人がいたらそれはそれは楽しいでしょう。幸せでしょう。  でも、そんなの知ることはできないんだ。  だって、僕が恋人になって欲しい人は。 「うるさい……」  なって欲しい人はたった一人だけ。だから僕のは、貴方の愛しいサラリーマンが味わっているだろうお伽話とは違うんだ。あのサラリーマンにしてみたらシンデレラのような心地でしょう? みすぼらしいただのサラリーマンを心から愛する王子との夢のような恋の物語。  けれど、こっちはさ。  これは、僕のは、どうしたってかなうことのない、例えるなら、人魚姫みたいに脆く泡になって消えるしかない、とても惨めで寂しく悲しいお伽話だから。 「……恋人なんて」  そう棘のある声で呟くしかないんだ。

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