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第13話 秘密の庭

 佐世保会長のお孫さんは我が家にちょくちょく訪れるようになった。  美味しいお菓子を見つけたから。  ここのパンは絶品だったから。  この間は咲いていなかったグラジオラスはどうか?   薔薇の育て方をもっと詳しく教えて欲しい。  理由は色々。  その度に僕が相手をしていた。最初の二回ほどは父に呼ばれ、客間へ行くと彼女がいた。それ以降は、最初から僕が呼ばれるようになった。 「まぁ、ここのインパチェンスもとっても素敵」 「庭師を勤めてる山田がとても上手に花を咲かせるので」 「そうなんですね。まるでここは竜宮城みたい……あら、あちらにもお花が……」 「!」  彼女が指さした先には。 「あそこ……は……」  僕の庭があった。僕だけの。 「あそこは虫が多いので」  そこは、ダメ。そこには入っちゃダメ。  そこは僕と……それから環さん、僕らだけの、庭なんだ。 「あちらを案内します。ガザニアがとても綺麗なんです」 「まぁ」  愚かだなってわかってる。  いつかは……って思っていた。ちゃんとそのつもりでいた。いつかは。  だから僕の恋愛対象が男性だということは決してバレないようにしてきた。家族の誰も知らないだろう。カモフラージュするように友人の女性は意識して多く作るようにしていたし。  本当の僕を知っているのは環さん一人だけだった。  でも、その一人にすら僕は嘘を、好きな人なんていないと、嘘をついている。  唯一の人なのに。  けれど、これは決めていたこと。  僕が結婚して、華道家、上条の花は継がれていく。兄にせめてそんな心配はしなくていいように。  ――ブブブ。 「失礼、電話が」 「えぇ、かまいません。少しお花を見ています」  彼女は案内をしているにも関わらず電話を持ち歩いていることも、エスコート中なのに電話を確認する僕を咎めることもなく、優しく微笑んで、ガザニアの花の群れの中へと歩いていく。  スマホに連絡をしてきたのは仕事関係者ではなかった。  かけてきたのは、環さん。  鳴っていたのは数秒だと思う。  けれど僕はその電話には出なかった。彼からの電話を無視した。電話はしばらくして切れて、そして、それからすぐに何かメッセージが届いたけれど、僕はその文字を目にしてしまわないように、サッと視線を外し、スマホをポケットへと仕舞った。 「失礼しました。日差しが今日は特別きついですね」  見たら、我慢できなくなってしまいそうだから。 「そろそろ屋敷へ戻りましょう」 「えぇ」  彼からのメッセージを読んだら飛びついてしまいそうになるから。  会いたいと言われたら会ってしまう。 「手伝い」をしてあげると言われたら、ぜひにと、また、その胸に飛び込んでしまう。  もう「手伝い」はいらないのに、してもらってはいけないのに、手伝って欲しいとうそぶいて、環さんと……。  でも、もう終い。 「そうだ。今度、私が育てたお花、見ていただけませんか?」 「……え?」  彼女はパチンと手を胸のあたりで叩き、にっこりと微笑んだ。 「一年かけて育てて、一度虫がついて枯らしてしまったんです。今回は再挑戦、そろそろ咲きそうで、是非、雪隆さんに見ていただきたいんです」 「……」 「月下美人」  とても大きな、白く妖艶な姿をした花だ。開花は夏の夜。開いた花が見られるのは……夜だけ。 「えぇ、とても拝見したいです」 「わぁ、嬉しい。雪隆先生に見ていただけるなんて」 「そんな……」  夜に彼女のうちへ招かれた、ということなんだろう。 「約束ですよ? 雪隆さんもお兄様の敦之様に負けないくらいにお忙しい人だから」 「僕はただの秘書ですから」  もう自由時間はお終い。ここからは、ちゃんとしなくちゃ。 「ふふ、嬉しい」 「……」  ここからは役割をしっかり務めなくちゃ。  だって決まっていたこと。  そして、自分自身で決めたこと。  だから、もうお終い。  しばらくすれば今、スマホの画面の一番上にあるだろう環さんからのメッセージは他の仕事の連絡たちに押しのけられて、どんどん下へと降りていく。そうしてこの画面から追い出してしまえば、焦がれそうな気持ちにならずにメッセージを見ずにいられる。そして、彼からのメッセージを読まずに済むようになった頃、一度電話を入れておこう。  彼はとても有能な弁護士でとても人気のある人だから、日中はほとんど連絡がつかない。だからその時間に電話をかけてメッセージを残しておけば大丈夫。  そんな感じで大丈夫だろうか。あまり上手な言葉が今は出てこないんだ。嘘をつくのは上手なはずなのに。家族にも知られることなくずっと僕は隠し続けることができるのに。彼にはちゃんと嘘がつけそうになくて。 「雪隆さん?」 「えぇ、すみません。行きましょう」  彼になんと伝えたらいいのか、わからない。  彼にはバレてしまいそうなんだ。あの人は鋭いから。  僕がまだこの自由時間を終いにしたくないと、心の内では思っているって、彼にだけはバレてしまうかもしれないから、上手な言葉が見つからないんだ。  あの日、僕だけの庭でずっと抱えていた隠し事を見つけられてしまったように。  僕らの庭に誰一人として近づけたくなんてないほど、貴方と過ごした時間が大事なんだと、見透かされてしまいそうで。  ――今までありがとうございました。  そんな言葉くらいしか、もっと上手なお終いの言葉はまだ思いつかなかった。

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