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第14話 人魚はドラマチックな奇跡を夢見た

 僕のお伽話が人魚姫なら、これで完結、なのかな。でも、海の泡になっていない分、ラッキーなのかも。  ――今夜はお時間ありますか? この間お話した、月下美人、咲きそうなんです。もしよかったら。  そう彼女から連絡が来たのは、僕がようやく環さんにありがとうございますの一言を伝えられたその日だった。留守電に残す形にしたくて、環さんが忙しいだろう日中にあえて電話をして、けれど言えた言葉はほんの少しだけ。  今までありがとうございました。とても感謝しています。  それで精一杯だったんだ。最後、「さようなら」を口にしたら声が震えてしまいそうで、だからそのまま急いで電話を切ってしまった。もうこれで環さんは俺の「手伝い」をしなくなる。もう「手伝い」を僕はしてもらえなくなる、そう思ったら、声が震えてしまった。それでも、ちゃんとお礼をしなくちゃって決めて電話をしたのにさ。  彼女からの電話があったのはその少し後だった。  お伽話のように絶妙なタイミングで。  やっぱりさっきのは……なんて環さんに再びメッセージを残してしまわないようにと、神様が仕向けたみたいに。 「到着しました。雪隆様」  さぁ、とお伽話の場面を切り替わるように。パッと……。 「雪隆様?」 「! あぁ、ありがとう。お疲れ様」  気がつくと家に辿り着いていた。  運転手に礼を言って、明日の時間をもう一度確認して車を降りる。家にはまだ父も母も帰ってきていないようだった。ふぅ、と溜め息をついて、この後の予定を組み立てないととデスクに座った。  行かないと、いけないから。  彼女との約束を反故にはできないから、一旦着替えて、それから彼女に電話をかけて、どこに向かえばいいのか尋ねよう。もうご両親、つまりは次期会長宅からは出て自立しているはずだから、ダイレクトにそちらに自室に誘われることはないだろう。行くなら、きっとレストランとか。酒は飲むかもしれないから、あぁ、それなら運転手を帰らせてしまったのは失敗だったかな。行きだけでも頼めるなら、いや、でもそこはプライベートだから、付き合わせるのは申し訳ないな。 「…………プライベート、か」  つい、苦笑いが溢れてしまった。プライベートにしてはとても義務感の強いことに、つい、笑ってしまったんだ。 「……」  そして、その苦笑いに同調するかのように胸の内ポケットにしまっていたスマホが鳴った。 「!」  見なければよかったと思った。あと少し早くジャケットを脱いでおけば、僕は気がつかずに‘そのまま着替えて、この名前を見逃すことができたのに。どうして、こう、一番かかってきて欲しくない人が電話をかけてきてしまうんだろう。  どうして、こう、一番、今声が聞きたい人からの着信を見つけてしまうんだろう。どうして……。 「……はい」 『おい、雪』  どうして、電話に出てしまうんだろう。 『おい、お前、昼間のメッセージどういうことだ』  あぁ、僕の好きな人の声だ。 『ありがとうって』 「そのままの意味です」  もうこうして話すことは二度としなくなる、二度としないほうがいい、僕の片想いで。 「今まで、色々ありがとうございました。兄から聞いていませんか? 僕、今度、とある女性とお付き合いすることになるんです。結婚を前提に」  僕の初恋の人。 「なので、今までのように、遊んでいるわけにはいかないので。身辺整理をしたんです」  整理、整えるって言葉が大嫌いだ。  だって、かわいそうでしょう?  人も物も植物だってそう。  せっかく生えてきたのに、どの植物だって水を飲んで、日を浴びて、大きくなったのに。なぜ雑草と言われ、切られてしまうのか。いらないと、スッキリさせたいからとそこから取り除かれてしまうのか。僕はその言葉が大嫌いだ。  大々、大嫌い。  僕の初恋も、いらないと整理されてしまいそうで、無駄だと切られてしまいそうで、大嫌い、だった。 「環さん、ありがとうございま、」 『いいから! 今、家か? 電話に出たんだからそうだろ? そこから動くなよ。逃げるな』 「……」 『今から、迎えに行く』  彼はそれだけ言うと、電話を切ってしまった。僕に、ここから動くなと伝えて、まるでドラマのように駆けてここへ迎えにきてくれるんだろうか。僕を攫ってくれるんだろうか。  僕の、いらないと捨てるしかない初恋を彼が拾い上げてくれる……の?  もしも、そうなら――。  ――ピンポン……。 「!」  もしも、そうなら、僕は。 「環さん……」  足が勝手に動いたんだ。勝手に玄関へと駆け足で向かってしまった。 「環っ、さんっ」  もしも、あの人が僕の初恋をこうして拾い上げてくれるのなら僕は。 「環っ……」 「きゃ」  僕は。 「わ、びっくりした。インターホン……ぁ、えっと、今、お電話差し上げたんですけど、電話中だったので」 「……」 「あの……雪隆さん?」  いつもは来客があればインターホン越しにまず挨拶をして、それからお手伝いをしてくれている女性がまず玄関を開けて案内をしてくれる。それらを飛ばして、いきなり扉が開いたから、彼女はとても驚いたようだった。僕がいきなり現れたから、目を丸くしていた。 「どうかされました、か?」  僕は、彼だと思って慌てて飛び出してしまったんだ。彼がもう僕を攫いに来てくれたのかと、思ってしまった。 「……いえ、なんでもないです」  そんなわけないのに。 「迎えに来てくださったんですか? すみません」 「いえ、早くお会いしたくて」  僕のお伽話は人魚姫だから。 「ありがとうございます」  とてもドラマチックではあるけれど、どの奇跡も、最後に初めての恋が海の泡となり消えていくエンドに向けて並べられているだけなんだ。 「行きましょう。僕も貴方に連絡をしようと思ってたところでした」  ―― そこから動くなよ。逃げるな。今から、迎えに行く。  違ってた。  ねぇ、環さん、貴方のいうことを無視して貴方を探しに出ていたら、ここへ来てくれると言った貴方に一秒でも早く攫われたいと動いていたら、こうして彼女が訪問するのとすれ違って逃れられたかもしれないよ。貴方に言われた通りに動かずにいたから、捕まってしまったのかもしれない。  僕が自ら動いていたらこのお伽話の中から逃げられたかもしれない。  僕に勇気があったなら。  でも、どうだっただろう。それでも結局はこうなってたかな。  そう思って苦笑いをこぼしながら、貴方があとで来てくれるかもしれない家の電気を全て消して出かけた。一目見て誰もいないと貴方に分かってもらえるように。

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