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第15話 人魚の忘れ物
「やっぱりお花っていいですよね。私、ずっとお花に関わる仕事がしてみたくて。今はマンションなので、雪隆さんのご実家のような立派な花園には住めないですけど、いつかって思ってたくらいなんです」
「……そうなんですね」
タクシーの窓から外を眺めると、ショウウインドウの灯りの明るさに目が眩んだ。
今頃、環さんは家に着いたかな。どこから掛けてくれたんだろう。あの電話からどのくらいで来てくれたんだろう。慌てていただろうか。走ってくれたりしたのかな。
真っ暗になっている家を見てどう思ったんだろう。
なんで言われた通りにじっとしていないんだと怒っていただろうか。僕のことをそこから探してくれただろうか。
少しくらいは僕のことを――。
「あ、次の角を右に曲がってください」
わからないんだ。
電話の後、家へ来てくれただろう彼がどうしたのか。「あぁ、仕方ない」とすぐに諦めたかもしれないし、諦めずに探してくれたかもしれないけれど、わからない。電話は置いて来てしまったから。着信があったら、絶対に何があっても、彼女と一緒にいたとしても僕は電話に出てしまうから。絶対にそうしてしまうだろうから、持たずに置いてきた。
「……あそこを左に」
彼女が指示を出すとタクシーは穏やかな返事をして言われた角を右に曲がった。
「あの……ご自宅じゃないんですか? 花を」
「うふふ」
彼女の部屋はこんな大都市の駅前なのか? 佐世保会長のお孫さんならあり得るけれど。
花を見せたいと僕を誘った彼女はとても楽しそうに微笑んで、行き先を濁した。
「あ、ここです。ここで」
「僕が支払いますので」
遠慮する彼女にそこは丁寧に断り、僕がタクシーに支払いを済ませると車を降りた。
「……ここ」
ホテル、だ。高級ホテル。うちの家族もよく利用しているホテルで、今は、ここで。
「さ、中へ」
「え、あの」
ここでうちの花流のコンテストを開いている。講演会などに出席した生徒さんたちがここで作品を披露しているんだ。受賞結果は明日だけれど、もう受賞者には連絡はしていある。僕らも結果は知っている。兄は審査員には多忙のため関わらず、父が中心になっていると聞いている。
なぜここに? ここまで月下美人を持ってきた、とか?
彼女に案内され、大きなロビーを抜け、そのまま。
「こっちです。でも、雪隆さんの方がお詳しいですよね」
「……」
そのまま彼女は花流のコンテスト会場へと向かう。僕もこのコンテストにはもちろん関わっているから、何度も足を運んだ。ここに何か関係が? でも、出資者の中には佐世保の名前はなかった。関係者の中に彼女の家は一人として絡んでいない、はず。
「え……なんで、兄さん……」
「お久しぶりです。敦之先生」
戸惑いながら中へと案内されるまま入ると、ちょうど展示会場の真ん中、父が活けた花の手前に兄がいた。コンテスト参加作品はその父の作品を囲うようにぐるりと並んでいる。会場の中はむせかえるほどの甘い花の香りで満ちていた。
彼女は穏やかに兄へ挨拶をすると、兄も久しぶりですと答え、微笑んだ。
「あのっ、これはっ」
「うふふふ。私、このコンテストで受賞したんです!」
「……」
「大賞!」
そう言って、両手を大きく広げ、一つの作品を指し示した。
「……ぇ」
そこには確かに彼女と同じ名前があったけれど、でもローマ字表記で、苗字がなく、名前だけだったから、僕は彼女のことだと認識していかなった。
「実は佐世保という名前は伏せてコンテストに参加してたんです。講習の会員なんですよ? 私の正体を見破ったのは敦之さんでした。残念だったわぁ。あの時は。私、佐世保の名前とは関係なくお花のことを学びたくて入会したのに」
「貴方が小さい頃、何度かうちに遊びにいらしてましたから」
「うふふ。やっぱり敦之さんはすごいわ」
「……いえ、やたらと花に詳しい女の子だったので覚えてたんです」
「大好きだもの。お花! 私、敦之さんと雪隆さんがとっても羨ましかったんです。花に囲まれて、花を活けるお仕事ができて」
KANAKO、作品名「秘密の花園」のネームプレートの横に大賞受賞作品と別のプレートが並んでいた。
「でも、これでそのお仕事に就くきっかけができました。でも、まだまだですけれど」
「いえ、これはとても素晴らしい作品です。見事なものだと」
「まぁ、ありがとうございます。先生のおかげです」
彼女がうちの生徒で、コンテストの大賞を獲って、それで、えっと……。
「あ! でも、このコンテスト、私は佐世保の名前とは関係なく勝ち取ったと自負しています」
「もちろんですよ。貴方の正体を知っている私はこのコンテストの審査員に加わっていない」
「えぇ、お気遣いありがとうございます」
「あ、あのっ!」
訳が分からなかった。二人が楽しそうに話しているのを眺めていた僕は、慌てて、その会話を遮ったんだ。だって、僕はこれから彼女のうちへと招かれて、花を見て、それから。
「雪隆」
「!」
「お前はスマホ、持ってこなかったんだろう? 慌てていたぞ」
「……」
「……もしもし? 着いたのか? あぁ、コンテストって書いてあるだろ? その矢印を辿ってこい。……いるよ。ここに。」
誰と電話を?
「全く、雪隆、お前がスマホを持ってこないから、ずっとこっちが連絡を取らなくちゃいけなくて大変だった。あいつはお前のこととなるとせっかちだから」
「あのっ」
あいつって。連絡、誰と? 僕がスマホを持ってこなかったからって、一体。
「だから、言っただろう? お前は早とちりをよくするって」
兄はそう言って笑うと、手に持っていたスマホをひらひらとこっちへ向けて振った。ブブブ、と振動をして着信を知らせる画面には、あの人の――。
「雪!」
あの人の名前があって。
誰でも入って来れるようにと開け放たれたままだった扉のところには。
「……環、さん」
慌てた様子で、こめかみに汗を滲ませた、環さんがいた。
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