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第18話 人魚のほっぺた
兄は自然と人に好かれる人だった。
僕はそれがとても下手だった。家柄もあってか、人と話す機会がとても多かったのだけれど、兄は誰とでも朗らかに話すことができる。受け答えがとても上手なんだ。
僕は緊張してしまう。
だから、父に連れられて外出した際、大人に遭遇すると、父が僕らを紹介するまで、挨拶の仕方を何度も何度もシミュレーションして、いざ! みたいに覚悟でも決めたように力んで言う。話しかけられると内心ドキドキして飛び上がってしまいそうになる。けれどそんな自分はカッコ悪いからと必死に隠して……そうして力むからか、ひどくぶっきらぼうな言い方になったり、無愛想な顔になったり。
でも、環さんには、違った。
――これ、お前が活けたの?
そう言って、環さんが僕の花にそっと触れたんだ。
家の中に飾られた僕の花。人付き合いだけでなく、生花の才も僕にはなくて、一目瞭然で拙さが見て取れた。兄の花は子どもの頃から素晴らしくて、迫力があって、力強くて、凛々しく美しい。僕の憧れの花の姿を兄は作り出すことができた。
僕には作り出すことのできない花。
――すげぇ綺麗じゃん。
環さんは兄の友人だけれど、花に詳しいわけじゃない。兄は子どもの頃目立つのがあまり好きではなく、特別視もされることのないよう、自分が上条家の花流を後々継ぐ身だとはあまり言いふらしたりしない人だった。環さんと親しかったのはそういうこともあるんだろう。花なんてよくわからないし、上条家の人間だからと特別扱いもしない。
その人が僕の花を褒めてくれた。
すごくすごく嬉しかったんだ。飛び出して駆け回りたくなるくらいに嬉しかったんだ。
でも、褒めてくれたのは僕よりもずっと背の高い上級生でもある環さんで、少し怖かったし、そんな怖い人にいきなり褒められてびっくりして、答えなんて準備する時間もなくて。
――あ、ありがとうございます。
きっと無表情だった。いや、少し驚きすぎて身構えたから、怖い、怒ったような顔になってしまったかもしれない。また失敗してしまった。無愛想な弟だなって思われしまった。
そうに違いない。
あーあ、失敗してしまった。
そう思ったのに。彼になんだこの無愛想な奴ってがっかりさせてしまったに違いないって、力んだ表情のまま内心うなだれていたのに。
――っぷ、かっわいいな。お前、何歳だっけ?
また上手にできなかったと自分自身を叱りたい気持ちから、ぷぅと膨らませた頬を、彼が指先で突いた。
そして、僕のほっぺたの膨らみを潰して笑って、言ってくれたんだ。
――上手じゃん。これ。
そう言ってくれた。
貴方は覚えてなんていないでしょう? でもあの瞬間、貴方のことが好きになってしまったんだ。僕の花をたくさん褒めてくれたから。いつも通りぶっきらぼうな顔しかできない僕をかわいいって言ってくれたから。幼い僕はそれが嬉しくて嬉しくて、貴方のことが好きになってしまった。
まるで人魚姫が助けてくれた優しい王子にその瞬間恋をしてしまったように。
兄が「ただいま」って告げたすぐ後に「お邪魔しまーす」と環さんの声が聞こえると胸が弾んだ。そのうち兄が帰ってくると耳を澄ませて、貴方の声が聞こえやしないかと待ち望んで。また聞こえた「お邪魔しまーす」に嬉しくなって。別にその二人の中に混ぜて遊んでもらおうなんて思ってない。嫌だよ、年下じゃん、って言われたら悲しいし、「一緒に遊びたい」なんて人見知りで人付き合いが下手な僕に言えるわけもない。
ただ貴方がいると嬉しくて仕方なかっただけ。
「……」
「……おはよう、雪」
ただ貴方がそばにいるだけで、たまらなく嬉しくて仕方なかった。
「上手じゃん、これ」
「……ぇ?」
目を覚ますと環さんが僕の頬を撫でながら、眠っていた僕を見つめていた。
「そう言ったんだ」
「……」
「まだ子どもの頃、お前の家に遊びに行ったら、百合の生花が飾られていた」
「……」
「少し控えめな場所に、こっそりと」
眩しそうに目を細めながら、寝起きの僕を見つめてる。
「でっかい百合の花がポーンポーンって剣山にぶっ刺されてて」
「それ、上手そうには思えないんですけど」
「褒めてるんだぜ?」
彼は笑った。
「すげぇ綺麗じゃんって褒めたら、お前はめちゃくちゃ怒った顔して、けど耳まで真っ赤にしながら、ものすごい不機嫌そうにありがとうございますって言ってさ」
そう誰かに自分の様子を話されたことはなかったけれど、こうやって聞いてみると、ひどい有様だ。怒った顔に不機嫌そうな口ぶり。
「表情と言い方は怒ってるみたいなのに、耳も、それから」
環さんが笑って、僕の頬を指先でツンと突いた。
「頬もめちゃくちゃ照れてるのが可愛くて」
すごく楽しそうに笑って。
「何こいつ、すげぇ可愛いって思った」
――っぷ、かっわいいな。お前、何歳だっけ?
「やっと、あの時に可愛いと思ったお前を手に入れた」
「無愛想で、めちゃくちゃ怒った顔をしてたのに?」
「あぁ、風船みたいにほっぺた膨らまして耳まで真っ赤にして照れてた可愛い奴を」
僕を力一杯抱きしめてくれる。
「やっと手に入れた」
そう告げてくれる。もちろん、やっぱり僕は受け答えなんて用意してないから、口をついて出るのは可愛げのない無愛想な返事になりそうで何も返事ができなかった。
これはこれで無視してるみたいじゃないかって自分に呆れつつ。
顔は見えないから、怒ったような顔はせずに、その腕の中で思う存分おかしな顔をして、耳も頬も真っ赤にさせたまま少しだけ、環さんの素肌に手を添えた。
「……」
触れたら、すごくすごく強く抱き締められて、狭くて窮屈で返事はできそうになかった。
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