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我儘レッスン〜1 12 恋ひとつ

 あぁ、そうだ。今日は仕事はお休みだけれど、懇意にしている企業の人のところに伺うんだっけ。忘れてた。昼食の後の時間に約束をしているから、環さんにそのことを伝えなくちゃ。今日は、早くに帰りますって。  夜は……忙しいかな。  環さん。  仕事後に少しでも会いに……なんて来ない方がいいよね。帰って、訪れて、また帰って、なんて少し煩わしいもの。また次の約束の時にたくさん時間を作れるように色々とできることをしておこう。またこんなに長くいられるのがいつになるのかわからないから。 「……」  そんなことを考えながら、ふと目を開けた。もうすでに目は覚めていたけれど、瞼だけ閉じていた。だって目を開けたらもう朝で、朝なら起きてベッドから抜け出ないとダメでしょう? でもまだここにいたいから。そんな子どものようなことを考えてぐずぐずしていた。けれど、ずっとそうしているわけにもいかなくて。  目を開けた。 「起きたか?」  環さんがすでに起きていた。  上半身裸で隣に寝転がって、僕の方を眺めていた。 「……ぁ、おはよう……ございます」 「声、掠れてるな」 「……」  それは昨日たくさん喘いだから。気持ち良いって、たくさんたくさん貴方に甘えたから。 「なぁ、雪」 「?」  セットをしていないと少し長くなりすぎた髪を優しくすいてくれる。その指先がすごくすごく心地良くて、うっとりとしてしまいそうで、すごくベッドから抜け出るのが億劫になってしまいそうで。 「一緒に暮らさないか?」  もうこのまま眠ってしまいたいと思った時だった。  言われた言葉にハッとして、閉じかけた目を見開いて、環さんはそんな驚いている僕を見つめて笑ってる。 「あ、の」  今、一緒に暮らそうって、言った……の? 「ずっと考えてた。もう跡取りだなんだって考える必要がなくなった時から、ずっと。ここで二人で暮らすんでもいい。敦之みたいに新しく、二人のライフワークに合わせてどこかを探してもいい」 「あのっ」 「?」 「それって、あの、僕と……ですよね」  一瞬で目が覚めた。これは夢なんじゃないかって慌てて起きた。 「他に誰もいないだろうが」 「……だって、それって、でもっ、あのっ」 「互いに多忙だ。同じ家に帰れば、互いの都合なんて気にしないでいい」 「で、でもっ」 「断る理由あるのか?」 「……」  ない、けれど。 「そろそろ独立してもいいだろ?」  そうだけれど。 「同じ家に帰りたい。それが理由じゃダメか?」  同じことを……思っていた。 「雪」  けれど、そう思うのは少し図々しいと思っていた。だって、こうして貴方を数時間だけでも独り占めできたらそれだけで充分幸せだと思うから。ずっとそれすら叶わないと思っていたから、それ以上のことなんて望んだら、バチがあたりそうでしょう? 「雪」  貴方がいる部屋に帰って。 「ったく」  僕がいる部屋に貴方が帰ってくる、なんて。 「泣くなよ」 「っ」 「返事はオーケーでいいな」 「っ」 「断るなら今だぞ。って言っても断らせないけどな。もう敦之には言ってある」 「!」 「知らなかったか? 俺は外堀から埋めてくタイプなんだ。高校の時、お前のクラスにモデルの仕事をしてる女がいただろ?」 「?」  いた、けれど。あの女子は環さんのことが好きで。だから僕はあの子のことが嫌いだった。羨ましくてたまらなかったから。 「お前と仲良く話しているところを見たことがある」  そうだったっけ?  あぁ、でもそんなことがあったような……確か……聞かれたんだ。環さんはよく兄と一緒にいたから、その弟である僕に何か繋がりはないかと話しかけてきた。けれど僕はあの子のことが羨ましくてたまらなかったから、環さんのことはよく知らないって、話したこともないって嘘を。 「だから、邪魔をした」  嘘をついたんだ。 「お前を取られないように」  貴方を取られたくなくて。 「ずっと好きだったからな」  ずっと貴方しか好きじゃなかったもの。 「これからもお前だけだ」  ずっと貴方だけだもの。 「だから、頷けよ」  上手に言えたらいいのに。  下手で恥ずかしい。  くださいって上手に言えない。  けれど、僕が欲しいと思ったもの全て、貴方はいつもくれるから。僕はいつまでも下手なまま、上手な誘い方も覚えない。ほら――。 「雪」  頷いたら待ち構えるように貴方がキスをしてしまうから、やっぱりまた上手に言えないまま、僕は貴方の腕の中で甘やかされて、溶かされてしまうんだ。 「あ、あのっ……すみませんっ、ちょっとミーティングが長引いてしまって」 『あぁ』 「でも、あのっ」 『風呂沸かしておく。夕食も作ってあるから、腹空かせて帰ってこい』 「あ、あのっ」 『待ってる』  電話、切れちゃった。最後少し笑ってたような……声だった。 「…………何を笑ってるんですか? 兄さん」 「いーや、なんでもない」 「なんなんですかっ」 「いやいや」 「だから! なんなんですか!」 「あははは」  恋は本当、おかしなものだと思う。  恋一つで、こんなに幸せな気持ちになれるものなのだろうかと。 「よかったな」 「!」 「幸せで何よりだ」 「!」  ただ恋一つで、こんなに――。 「もおっ!」 「あははは」  幸せになるなんて。

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