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媚薬でトロトロ編 1 秘書の勘
ついに代が変わったと周囲はざわついていたっけ。兄はそのずっと前から、誰もが知っている次期当主として周囲の羨望の眼差しを一身に受ける存在だった。あのルックスに、知性、教養、品、全てを兼ね備えた、欠点なんてひとつもない、完璧な当主。
「そうですね。それなら青色をメインに華やかに」
けれど、実物はそんなじゃなくて。
「えぇ大丈夫です、おまかせください」
そろそろ時間か……。
兄さんは時計にこそ視線を向けないけれど、大体の時間は体感でわかるんだろう。早く切り上げたいと、そわそわしている。もちろん露骨にではないから、周囲でそれに気が付くのは秘書である僕くらいだろうけれど。
ほら、少しだけ、ほんの少し話す口調が早い。
急いているんだ。
今日はこれから最愛の彼にここのホテルにあるレストランでプリンを食べさせたいんだと嬉しそうにしていたから。
兄の視界の端に映るような場所から小さく会釈をして、打ち合わせを行っていた一室から退出をして、一階のロビーへと向かった。
業界だけでなく、他企業からも注目されている上条家の新しい当主様は、ただいまプリンを恋人に食べさせることで頭がいっぱいです、だなんて。
笑ってしまう。
あんなに愛や恋の類から自分を遠ざけていた人が、今じゃ――。
「?」
その現上条家当主を夢中にさせている、彼が。
「……」
誰、だろう。
男性と話を……。
知らない顔だ。彼の職場の人間じゃない、と思う。以前、興信所に調べてもらったけれど、友人知人は決して多いタイプじゃない。交友関係はかなり狭かった……はず。
それに、なんというか。
僕が知っている拓馬さんの友人っていうタイプじゃない、気がする。
ビジネススーツにしては少し明るい色合い。ネクタイもビジネス用という感じじゃない。やや派手な色味が軽薄そうにさえ見える。こういうと失礼だけれど地味なタイプの拓馬さんとは合わなそうな。
「何をしてらっしゃるんです?」
声をかけると、その男はわずかに、でも確かに顔色を変えた。拓馬さんはぽかんとしている。男に促されたんだろう。胸ポケットからスマホを取り出したところだった。
「……そちらの方は……」
ギリギリセーフ、だったかな。
男へ視線を向けると、顔を見られては困るとでもいうように、パッと俯いたままその場を後にした。
ただのナンパ?
「……今の方は?」
ただのナンパなら別に追い払ってしまえばいいだけだ。
「あ、この前、レッスンの時に傘をあげたんです」
「傘?」
レッスン、あぁ、加藤さんが講師を勤めてくださった時のか。たしかにあの日は雨だった。兄が加藤さんが講師をする教室に拓馬さんが出席すると、子どもみたいにむくれていたっけ。
「えぇ、雨だったので」
でもずいぶん経つ。まぁ、傘を雨だからとあげるようなお人よしはそういないから覚えていただけなのかもしれないけれど。でも、それだけなら、今みたいに慌てて顔を伏せる? 少し、なんだか。
「雪隆さん?」
なんだか、不自然な気がする。
「いえ。兄がお待ちしてます」
「あ、はい」
とりあえず、拓馬さんは声をかけてきた男のことを気に留めてない感じ、なんだろう。兄のことを言われた途端、ほんのり頬を染めて、背筋をピンと伸ばした。
愛のために……かな。
最初はどこか自信がなくて、背中もまるまっていた。溜め息がよく似合う背中をしていた。魅力的とは到底思えなかった。
「今日は?」
「?」
「随分とお洒落ですね」
そう褒められて、慌てふためいている。
まぁ、慌てふためくのは以前の彼でもそうだっただろう。けれど、いや、そもそも以前の彼だったら僕は何を着ていたって、たとえそれが高級品だったとしたって褒めるようなことはしなかった。
本当に雰囲気が変わったから。
今も変でしたか? と尋ねてはくるけれどネガティブな感じはしないどころか、頬のピンク色を濃くした彼は照れながらもデートだからと可愛らしくはにかんでいる。
「お似合いですよ」
「あ、りがとうございます。急にデートって言ってもらえたので。えへへ。敦之さん忙しいのに」
ホント、笑ってしまう。
「何もないんじゃないですか?」
「え?」
その多忙極まりない誰もが認める完璧なご当主様は今頃最愛の人とのデートに浮かれ切っている。プリンを食べて喜ぶところが見たくてうずうずしている。頭の中はプリンに喜ぶ貴方の笑顔でいっぱい、だなんて。
けれどこっちはこっちで、たかがプリンを食べさせたいと思ってもらえたことに頬を染めてる。こんなに嬉しそうにはにかんだりして。
やってられない。
全く。
けれど、愛しい人に会いに行こうと、あんなに丸まっていた背中をしゃんとさせて。
あんなに愛も恋ももういらないと背けた顔を嬉しそうにくしゃくしゃにさせて笑う。
どちらもがこんなに変わる恋と愛に驚く。
「いってらっしゃいませ」
「はい! あの、ありがとございます!」
魅力的な人になった。
「兄をお願いします」
「こ、こちらこそです」
だからこそ、気になる。
「……」
さっきの男は――。
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