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媚薬でトロトロ編 2 友達
「えぇ、小野池さんがまたうちの教室に一般で参加するようなことがあれば教えてください。……えぇ、当主の方には私から伝えますので……えぇ、私の方に一報いただければ大丈夫です。それでは」
電話は、うちが開催している生花教室を担当しているスタッフへ。
拓馬さんのことはもちろん知っている人間がほとんどだ。就任パーティーであれだけ大事にエスコートしている兄を見れば、拓馬さんが兄のパートナーであると言うのは一目瞭然。それでなくても、あの人がああやって公の場で誰かを大事に隣に連れ立って現れたのは初めてのことだから、もうそうだけれで注目される。けれど、拓馬さん本人は一般人としてここにいる感覚がある。生花教室だって、言ってくれればこちらで一席くらい簡単に追加で設けられる。けれど、それを彼が良しとしない。そんな特別扱いはしないでくれと。
だから教室の担当者には手間だけれど、しばらくは彼が参加する時は連絡をもらうことにした。
普段ならそのまま、彼の気の済むようにしてもらって構わない。
けれど、今は。
環さんはあまりに気していなかったけれど。
でも、やっぱり気になるんだ。
いい。
気にすぎならそれでいい。
もう、習性みたいなもの……かな。兄の人気は昔から、それこそ幼少期からもう絶大なものだったから。上条家の嫡男、一目見てわかる才覚、容姿、その兄の周囲には常によからぬことを考える人間がいる。兄自身は気にしない。そういう類から向けられる色々な毒にやられてしまうほど弱い人ではないから。
「……っぷ、環さんもそうかも」
一人で思い出して、こっそり笑ってしまった。環さんも秀でたものがたくさんある人だけれど、兄と同じように全く気にしない人だっけ。兄とは違う感じに、そうだな、鼻で笑いながら、その毒気を食らって、平然とするようなそんなタイプの人、かな。毒でもなんでも、あの人には敵いっこない、みたいな。
ちょっと想像してみたら、面白くて。
「……」
けれど、そんな人ばかりじゃない。僕なんかはもう。
器じゃないんだろう。
ただ、そういう取り巻きだけが持つ独特な毒気のようなものを目にする機会が多かったから。めざとく見つけられるんだ。
―― あ、りがとうございます。急にデートって言ってもらえたので。えへへ。
良くも悪くもあの人は人のそういう毒に鈍い。ブラック企業に勤めていたら、そういうのを感知……しないか。むしろ、そういうのを感知できないから、そんな企業に入ったのか。
「……」
別に僕の気苦労に終わるならそれでいい。
普通ならそこまで気にしない、で済むのなら、それで構わない。けれど、あの兄があんなに宝物のように思っている彼を、僕も大事にしてあげないと。
―― はい! あの、ありがとございます!
「……もしもし」
『あの、すみません。先程の件なのですが』
「?」
電話はさっき話を終えたばかりの教室を担当してくれているスタッフからだった。
『あの……小野池さんの予定調べたんですが』
「……」
『あ、あの、しばらくレッスンは予約が慢杯だったんです。でも、今日、たまたまキャンセルが出たみたいで、そのキャンセル待ちで』
「彼が?」
『えぇ、先程確認しました』
「! ありがとう。あぁ、そしたら僕の方に今日の参加者リストを送ってもらえますか?」
『え? あ、はい』
キャンセル待ちなら狙って遭遇はないかもしれない。すごい偶然が重なって、その雨の日と、ホテルのロビーでの遭遇がとても稀な偶然の重なり、だったのかもしれない。けれど――。
「!」
僕は、毒を持っている人を見たことがたくさんあるから。
わかるんだ。
「もしもし? ごめんなさい。兄さん」
今日は、都内での仕事だった。兄のスケジュールなら全部頭に入っている。今日の生花の教室に使っているホテルからはそこまで遠くはない。タクシーなら、渋滞をしていなければ。
「この後の仕事の方は僕がどうにかします」
『雪隆?』
「いますぐ、うちが今日開いている生花教室の方へ行ってもらえますか?」
『何か』
「いいから! 仕事は僕の方で対応します。今すぐ、向かってください」
あの、愛も恋も諦めた、枯れかけていた兄の背中を知っている。その兄が水を得て日の光に顔をあげ、伸びやかに上を向く横顔を、背中を知っている。だから僕も守ってあげないとって。
『雪隆? 拓馬に何か』
「リスト、えっと、男性の受講者」
拓馬さん以外の、男性の名前。
「あった!」
スマホを見ながら急いで歩いているから、何度もつまずいた。人にぶつからないように避けながら、何度か転びそうになった。でも、急がないと。
冷静沈着、いつも、おとなしくて、目立たなくて物静か、そんな印象を持たれることが多い。
けれど今はバタついていて、騒がしくて、そそっかしい。
「とりあえず、兄さんは教室に参加している拓馬さんを見つけてください! 後で僕もそちらに向かいます」
兄の大事な人だから。僕には到底なれない上条家当主の大事なパートナーだから。
「…………もしもし? 環さんですか?」
でも、それだけじゃない、かな。
僕は結構あの人、気に入ってるんだ。僕にはできないことをできる人だから。
―― 俺は、別れません。むしろ、世界中に言いふらしたっていいです。
僕にはあんなに真っ直ぐ言う勇気はなかったから。僕よりもずっと強くて、尊敬する人だから。僕も彼を守ってあげないとって思うんだ。
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