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初旅行編 3 熱々バーベキュー

「はぁ? バーベキューしたことないって、さっすが上流階級」 「あります! こういうバーベキューは初めてってことです!」 「もしかして、それって、あれのことか? あれはバーベキューって言わないだろ」  テキパキと準備をしながら環さんが笑った。  大昔、それこそ僕がまだ子どもだった頃のこと。初等科から中等科へ、エスカレーター式の学校だったから、誰もが当たり前のように中等科へ進むんだけれど、その直前だった。オリエンテーションの一環で、中等科と合同でキャンプがあったんだ。日頃、そういうアウトドアをしない生徒が多いから、助け合いながら中等科はどんなところなのか、どんな先輩たちがいるのかを知れるいい機会だって。学校に通うのは、いわゆる上流階級の家の子どもが多かったし、コネクション作り、でもあったんだ。みんな率先して交流してたっけ。まぁ、学校側にもそういう意図はあったんだろう。  その中に、環さんがいて。  もちろん兄もいたけれど。 「カレー作って食っただけ」  僕の同級生がたくさんそこに群がっていた。 「っぷは」 「な、何急に笑うんですか」 「だって、おま、あん時、すげぇ不器用でさぁ」 「……」  あんな大昔の、しかもほんの数秒の出来事、覚えててくれた……なんて。 「一人、じゃがいもと格闘しててさぁ」 「! だ、だって」  料理なんてしたことなかったんだもの。  ゴロゴロとしたじゃがいもが切れなくて困ってたんだ。みんな、中等科の人に教わりながら料理していたけれど、そういうの上手に訊けなくて、一人でやってた。  ――貸してみろ。  そう言われて、顔を上げると環さんがいて、心臓が飛び出るくらいに驚いた。  ついさっきまで、あっちの人だかりの真ん中にいたはずなのにって。 「指、切りそうでヒヤヒヤした」 「……」  覚えてて、くれた。 「すみません。不器用なもので」 「一生懸命やってて可愛かったよ」 「!」  僕のへそ曲がりな物言いにも優しく微笑んで、その笑顔を見つめる僕にキスをくれる。 「すげぇ、可愛い」 「そ、そんなの思う人、環さんくらいです」 「そうかぁ? お前、結構、あの時、人気だったんだぜ? 中等科の奴らがお前のこと可愛いって」 「そんなのっ、知りません」 「そりゃそうだ。知られないようにしてたからな」  上条家の……あの、上条敦之の……と言われることはあったけれど、そんなの一度だって。 「それに、俺が牽制しまくったから」 「……」 「俺のだ、って」 「……」 「ほら、焼けたぞ」 「……」  そう言って僕のお皿に乗せてくれたのは、ちょうどよく焼けた人参に玉ねぎ、ピーマン、それからお肉。 「人参、あの頃よりは食えるようになっただろ?」 「!」  そこでまた環さんが笑った。今でこそ、好き嫌いなんてなくなったけれど、子どもの頃は苦手な食べ物が多くて、好き嫌いのない兄とは大違いだった。子どもが好きじゃなさそうな野菜は全般的に苦手で、もちろん人参も。 「あの時、お前、人参のことすげぇ睨んでんだもん。そんで、よそる時も少なめにしようとしててさぁ」 「! な、いつから見てたんですかっ」 「ぷははははっ」  だって、嫌いな野菜だったから。ちょっとでも自分のカレーにやってくる量を減らしたかったんだ。適量に用意されていた全部を切って、鍋に入れればいいのだけれど、人参をどうにか減らせないかなと睨みながら、じゃがいもを切ってた。もちろんよそる時だって、選り好みはいけないとわかっていながら、一生懸命によけたりして。 「もぉ、忘れてください」 「やだね」 「……」 「ずっと見てたんだ。お前のことだけ」  ずっと見てたのは、僕の方。  ずっと貴方だけを、見てたんだ。 「わ、デザートもありますよ」 「あぁ、何? マシュマロ?」 「焼いて食べると美味しそう」 「あぁ、いいかもな」  焼いてその場で食べるのが楽しくて、ほくほく顔でそれをバーベキューセットの中にあった串に差した。 「あ、チョコレートソースもありました」 「っぷ、よかったじゃん」 「む……何か、子ども扱いされてる感じが」 「だって、お前」  そこでまた笑ってる。 「環さんだって」  今日はちょっとお酒を飲むペースが早いもの。少し、はしゃいでるでしょう? 「お前、結構、こういうの好きだよな」 「?」 「いつもはおしとやかで、清楚で、高潔」 「……」 「けど、案外、土まみれに顔黒くして、日差しに負けないくらい嬉しそうに屋外で花の世話してて」  本当に。  この人にたくさん見られてたって、こんな時、知ることができる。家にある大きな庭の端が僕にとっての楽園だった。あそこなら僕は僕らしく花を生けられる。上条家次男じゃなくて、ただ、花の世話が好きでたまらないただの上条雪隆でいられた。 「ワ、ワイン、もうなくなっちゃうから、部屋から持ってきます」  気恥ずかしくて、頬が熱くてたまらなかったんだ。もう部屋に戻るからいいと言う環さんをそこに置いて、一旦、呼吸を整えに部屋へと石畳を渡って戻ることにした。  今日の環さん、いつも以上に教えてくれるから。  僕のことを見ててくれた。  僕のことをずっと前から好きでいてくれた。  そんな、僕の知らなかった、彼の片思いをこうして聞いて、教えてもらえると、あの頃に僕が抱えていた切ない片思いさえ嬉しくて。 「おい、走らなくていい。雪、危ねぇから」  すごくすごく切なくて仕方なかったのに、その片思いさえ、してよかったなんて思えてきて。 「大丈夫ですよ。全然っ、ぅわっ」 「バカ、雪っ!」  石畳をトントンって渡って。ワイン片手に環さんの元に帰ろうと急いだ時だった。 「おい! お前、怪我はっ、ワインでっ」  びっくりした。  足、滑っちゃった。 「ったく、ビビらせるなよ」  そんな僕を庇おうと、環さんも一緒に水に落ちちゃった。 「……っぷは」  二人して、酔っ払って、びしょ濡れで。 「そういや、お前、ちょっとドジだもんな」 「……」 「よく体育の時、すっ転んで膝擦りむいてたっけ」  そんなのよく――。 「ずっと見てたっつったろ? ずっと」  びしょ濡れになってしまったけれど、ちょうどよかったかもしれない。 「ずっと好きだったって」  気恥ずかしさに恋しさに酔っ払って、とても熱かったから、ほら。 「……環、さん」  水の冷たさが心地良いほど、とても熱くてたまらなかったから、ちょうどよかった。

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