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助っ人さん、いらっしゃい編 7 こんな毎日も

 ――雪隆、すまないが、途中、メガネを買いたい。  ――?  ――ほら、一応、変装した方がいいだろう?  また楽しそうに何を言い出すのかと思ったら。  変装するために、伊達メガネ、なんて安直な。 「……雪は目、悪かったか?」 「…………いえ」  イタズラっぽく環さんが隣で笑っている。  僕は、そんな環さんとは逆方向のへの字に口元を曲げた。  兄には、なんて安直な、って思ったのに。 「へぇ……」 「んなっ、なんですかっ、これはっそのっ」  結局、兄と同じような変装しか思いつかなかった。  兄と同じようなことしか思いつかなかったことがとても悔しくて、じっとこっちを見つめる環さんからプイッと視線を背けた。  だって、仕方ない。市場に行けば、知り合いが何人もいる。上条家が贔屓にしている花卉(かき)農家がいくつもあるから、会えば僕だって気がついてしまう。 「? あのぉ、どこに行けば」 「こっちです。ついて来てください」 「は、はいっ」  競りはモニター越しに行われること多い。指先で値段を提示して、交渉。  きっと魚の市場なら磯の香りがするのだろうし、農作物の市場なら土のかおりがするのだと思う。花の市場では。 「すごい……お花の良い香り」 「そうですね。バラを売っている所に行けば、もっと香りが強いと思いますよ」  小さな頃はここに来るのが好きだった。兄と一緒に、必ず手を繋いで。でないと、人の行き来が激しいから迷子になってしまう。父は市場を歩いているとよく人に捕まったっけ。あっちこっちで声をかけられて、その度に足を止めて、しっかり向き合って話をするからちっとも進まなくて。  一番好きな花のところに早く行きたいのに焦ったくて仕方なかったのを覚えてる。 「詳しいんですね」 「……まぁ」 「こっちです」  ほら、してきた。 「わっ」 「摘みたて出し、朝だから香りがすごいんです」 「わぁ」 「早く仕入れましょう。いいのがなくなってしまう前に」 「は、はいっ。あのっ、今日、お店の後におばあちゃんのお見舞いにお花、持って行きたいんです」  自分で花束を作って持って行きたいんだと。  それなら尚更、一番良い香りのするバラを手に入れないといけない、と、僕らは急いで溢れるほどのバラの中へと向かった。  市場での買付を終えて、車の中をまるで花畑のようにいい香りにしながら花屋へ戻ってきた。  そこからは昨日と同じ。  花の水揚げに、花瓶の水の取り替え。外にも花を出してあげて。植木鉢の花たちも日光浴をさせるため外の店先へ。  そうこうしているうちにお昼がやってきて。  時期的に予約の問い合わせが多かった。  卒業式に入学式、あちらこちらで花束が重宝される時期だから。 「……はい。花束五つ。賜りました。……失礼します」  同じ花を扱う仕事だけれど、全く違う。  毎日違う花を、毎日違う場所で活けている。  ここでは毎日同じことの繰り返しで。それがとても心地よい。お気に入りの花の香りに包まれながら。 「今日は予約の電話が多いな」 「ぁ、環さん。はい。季節的に。彼女は?」 「今、休憩しながら、生花の本を読んでる」 「!」 「安心しろ。上条家の、とかじゃなかった」  びっくりした。兄もいくつか生花の本を出しているから。 「にしても、花の市場、なんてあるんだな」 「そりゃ、まぁ、あります」  環さんは口元だけで笑ってから、レジカウンターのところに来ると、花瓶に入っている百合の花に鼻先を近づけた。 「よくああやって買い付けに?」 「上条で? まぁ、たまに。でも、もっと花卉農家の方が気を遣ってくださいます。上条で花を使ってもらえたら、すぐに噂になって、人気の花卉になれますから」 「へぇ」  今日は淡々と花を選べて楽しかった。  いい花の目利きは上手いと思う。あそこの市場は子どもの頃から通っていたし、齧り付くようにいつも花を眺めていたから。 「楽しそうだった」 「僕が、ですか?」 「あぁ」 「……まぁ」  楽しい、よ。だって。 「そりゃ、そうです。ここには突拍子もないことを突然言い出す兄がいないので」 「あはは、確かにな」  楽しいけれど、僕にもあと二日後には自分の仕事が待っているのだから。僕のような花が好きなだけの華道家ならたくさんいる。ここのお店のおばあちゃんと同じ。兄のように背負って活けているわけではないから。 「すみませーん。休憩、ありがとうございました」 「いえ」  そこに心愛さんが休憩を終えて戻ってきた。 「あのっ、あのっ、こんな感じの花束を作りたいんですっ。おばあちゃんの好きな花ばっかりにして」 「いいですね。じゃあ、閉店間際に作りましょうか」 「はい!」  楽しいけれど。  こんな平凡な花好きなだけの僕にも、花卉農家の活性、花市場の人気上昇に少しくらいは貢献できるのだから。 「じゃあ、午後も頑張りましょうか」 「はいっ!」 「あ、今度、近くの保育園から花束の予約が入りました。それから同じ日に、卒業式で使う植木鉢も」 「は、はいっ」 「おばあちゃんのお店は人気ですね」  その頃には戻ってきているだろうから。 「これからも手伝ってあげてくださいね」 「! はいっ!」  それまでに花束を作れるようにならないとですねと呟くと、今日一番、まるで競りをしている花卉農家のように元気な返事が店内に響いてた。

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