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※第9話 ③

 帰宅した部屋は明かりもついていない。床に転がる新聞を踏みつけたのか、かさりと乾いた音がウーヴェの足下で響く。 「セブも君を探しに出た。マレの方に向かったはずだ」  拾い上げようと彼が屈む前に、アリは広い背中へひたと身を寄せていた。肩に回した腕はそれでも怯えを残し、情けなくなるほど力無い。がっしりした肩に頬を押し当て、そっと放たなければ、言葉は喉の奥へ詰まってしまいそうだった。 「もうこんなの嫌だ。一緒に逃げよう」 「明日だ。明日になれば出ていける」  肩胛骨が羽ばたくように隆起するのへ比して、ウーヴェの声調も上がる。 「その時は、一緒だ」 「違う! 今から空港に行って、一番早い搭乗の飛行機に乗るんだ。イタリアでも、日本でも、アメリカだって……どこだっていい、君となら。大金なんているもんか。独りじゃなきゃ、それでもう」 「分かってるだろう、アリ」  しがみつく体をふりほどく身のこなしは、さながら逃げるかのようだった。振り返ったウーヴェが浮かべていた表情は間違いなく怒りだが、その下に押し隠したものを知ってしまえば。彼の代わりに、アリはぽろりと涙を一粒流した。 「俺達は、世界の全てを敵に回して戦えるほど強い人間じゃない。どこかの街で、君はまた身体を売る。そうなったら、俺は許せない……俺自身だけじゃなくて、きっと、君のことも」 「どうして。どうしてさ……」 「ここで逃げたら、俺はきっと駄目になってしまう。もうこれが最後なんだ」  手をぐっと握りしめる無骨な両掌が、辛うじて水面に身を引き上げる。この場合、息が出来なくなるのはお互い様だった。熱く短い息が血の気の失せた指先に掛かり、汗と洗剤の混ざり合った彼の体臭が濃くなる。 「頼むよ、アリ。俺に証明するチャンスをくれ」 「どうして……」  泣き喘ぎながら、アリはそう何度も何度も繰り返した。 「あんまりだよ、こんなの」 「君が好きなんだ」 「やめてくれ、今、そんなこと言うなんて……君は卑怯だ、最低だ」  唇を求めたのはアリからだった。暗闇の中、鼻が触れ合う位置で見つめたウーヴェの瞳は、窓から差し込む街灯の光を反射し、ガラスよりも透けて輝く。そこには海があった。故郷とは違う、鮮やかで澄んだ、どこか遠い土地へと続く綺麗な海。  彼の接吻は女の子に与えるような優しく、そして巧みなものだった。薄く開いた唇と粘膜の縁を舌先でそっと撫で、反射的にひくつくその狭間へ滑り込ませる。這い寄る舌に、アリはもっともっととねだり、絡みつかせた。気持ちいい場所はここだと導けば、その通りに側面、裏側、上顎と撫でられ、舌の根が麻痺する。 「ぁ…は……」  詰まった鼻では息もままならず、溺れているかのように酸素を求め唇を外す。そのたび甘やかす仕草で、唾液の滲んだ口角へ唇で触れられた。いつかの週末、ミンダの邸宅で愛していた女の子にも、こんな優しい愛撫が与えられていたのだろうか。 「っ、そんな、腫れ物に触るみたいにしなくていい」  思わず顔を背け、そう吐き捨てる。 「男同士なんだから」 「男だから尚更だ。無理はしたくない」  相手の羞恥など頓着することなく、赤く染まった耳朶を軽く食む。舌を使わず唇だけで軟骨を締め付けるその触れ合いは、屈託なく思えて、官能に更なる薪をくべた。 「怪我をするだろう」 「へえ……よくご存知じゃないか。慣れてる?」  ここでセブや他の名前が出てきたら、平手打ちの一発でも食らわせてやろうかと思っていた。だがウーヴェは外した唇を耳へ触れるか触れないかという位置まで近付け、静かに囁いた。 「ムショへ入れば、くだらないことを覚えてくるものさ」 「ごめん」  あたかもナイフで刺されたかのように鳩尾の辺りが痛む。咄嗟に飛び出した謝罪は勿論本心からものだが、ウーヴェは聞き流そうとした。顎の終着点、頸動脈、そして首の付け根へと、じっくりと性感を高める口づけは、無言で施される。その頑なさが、闘志を掻き立てた。 「待って、服を脱ぐよ」  そう囁けば、すぐに身を離すお人好し具合が可愛い。遠慮なく付け入り、肩を突き飛ばす。どすんと床へ尻餅をついたウーヴェが起き上がる隙すら与えず、脚の間へ身を滑り込ませた。 「そんな昔のことなんて、全部忘れさせてあげる」 「アリ」  前立てのホックへ手をかければ、本気で焦った声が降ってくる。すかさず、まだ潤んでいる瞳で上目を作り、小首を傾げて見せた。 「それとも、積極的な相手は嫌いかな?」 「別に無理しなくていいんだ」 「僕がやりたいんだよ。さっきの口直しをね」  最後の一言は余計だったかもしれない。引き下ろしたファスナーの向こうから現れた性器は、まだ柔らかいままだった。  本当に? これで勃起していない状態? 下着の中から現れたものに、思わずアリは息を詰めた。大蛇だとか何だとかは、全く比喩ではなかった。一体何センチあるのだろう。花嫁のベールを掲げる少女の恭しさを以って、両手で掴み出せば、ずっしりとした質感が汗の滲んだ掌に与えられる。人よりは遙かに他者のものを見慣れていると思っていたが、これは正直想定外だった。  まじまじと見つめたまま、アリは考えを巡らせた。口に入れたらどこまで行くか。喉が詰まるどころの騒ぎではないかもしれない。例え呼吸を止める覚悟でも、全部を納めるのは無理だろう。そもそもアリは、フェラチオを施すことがそこまで好きではなかった。  気まずい沈黙を破ったのは、頭上でくっと鳴らされる喉と、追いかけて響く含み笑いだった。「何だよ」と唇を尖らせ顔を上げれば、目尻に皺を刻んだウーヴェの、拘泥ない笑みに迎えられた。 「君のそんな顔、初めて見た……本当に、無理しないでいい」 「待てってば、ちょっと段取りを考えてるだけだよ……婚約者の子、これを見たら裸足で逃げ出したんじゃない?」 「彼女とはキス以上のことをしなかった」 「清い関係って奴か」  ならばお綺麗なピアニストには想像すら出来ない、淫蕩な真似を披露してやらなければ。えいままよ、方法なら幾らでも知っている。伊達に10年以上、金を貰って技巧を披露してきた訳ではない。  片手で捧げ持つ幹へ、伸ばした舌をつと滑らせれば、粘膜の上でびくりと大きな反応がある。滑り出しは上々のお利口さん。まだ柔らかさを保っている裏筋を浮き出させるように下まで辿る距離が、やたらと果てしなく感じる。ようやく到達した睾丸を口に頬張る為、右側の太腿を少し持ち上げても、ウーヴェは抗わなかった。  ここもペニスへ比例して大きかった。噛みちぎらない程度に顎へ力を加え、袋の中のこりこりした丸い形を舌の腹で味わう。窄めた頬で少し押し潰してやれば、がっしりした腰が少し震えた。  たっぷりしゃぶってやってから、また幹へ戻り、今度は上へと。唇越しに前歯でくわえ、括れをぐるんと舌先で抉る。けれど亀頭には触らなかった。  それを何度も何度も繰り返していれば効果は覿面、重い息は一度こぼれれば止めどない。 「う、あ……」  頬を肩口へ押しつけ、ウーヴェは荒い息をシャツの襟元に吸い込ませる。きつく閉じられた瞼の縁で、長い睫が絡みもつれ、宵闇の中で蜻蛉の羽のようにはたつく。どこか被虐さすら醸す官能の表情から、アリは目を離すことが出来なかった。ふー、ふーと手負いの獣を思わせる呼気が鼓膜を震わせるのに誘われ、思わず股座から手を滑らせて、奥へと指を忍ばせる。  ポンティアックで披露させられたオナニーショーのおかげで、アナルは人差し指一本位なら苦もなく飲み込む。公園でのお芝居とは土台違う。きゅっと締め付ける括約筋に、口腔内へどっと唾液が湧き出した。  そろそろ意地悪は止して、いよいよ腹を括るとき。半ば程まで芯を通し、しなりを帯び始めた性器へ唇を被せていく。思った通り、顎が外れそうになるほど大口を開けなければならない。だらだらと顎へ流れ落ちていく唾液と先走りを指で拭い、幹の飲み込みきれない部分へなすりつける。 「あ゛、ア、アリ……っ」  膝が何度も跳ねて耳元を掠めた。痛々しく充血していた亀頭を上顎へ押し当て、沿わせながら咽頭へ導く。こんなにも体の内部が満ち満ちているという感覚は味わったことがない。これが腹の中へ入ってきた暁には、一体どうなってしまうことだろう。怖くて、同時に期待してしまう。まだ碌に解していない、直腸の奥の奥が疼いてたまらなかった。  鼻先が陰毛へ触れるまで顔を沈め、持ち上げていた脚の脹ら脛を自らの肩に預けさせる。勢いよく輪になった喉の筋肉を締め上げ、亀頭の傘が逆さになる勢いで引っかけた。その間にも幹を舌で擦り立てるのは忘れない。  びくっと揺れた肩へ弾かれたように、ウーヴェは頭を仰け反らせる。煽り立てようと掌で睾丸を撫でさすってやり、反対の手では少し乱暴過ぎる勢いで自らのアナルを攪拌した。ぬぷぬぷと粘着質な音が腹の奥から響いて、皺に押し止められる。ねっとりした熱と粘膜がまとわりつくのを指で感じるのは、あまり愉快なものではない。だが準備なんてものは往々にして退屈なものだ――今日ばかりは、気が逸って仕方がない。  ウーヴェの息はますます乱れ、額に当てられた掌はきつく丸め込まれて爪を食い込ませる。今すぐ腰を突き上げたくて堪らないだろう。だが彼は、口淫を施す後頭部へ手を添えることすらしない。寂しくて、アリは頬をジーンズに包まれた内股へ押し当てた。あまり洗濯をしない、固いデニム生地から濃く匂い立つ、雄の体臭へ酔い痴れる。まさぐる内臓が、生ぬるいぬめりを帯びたような気がした。  もはやウーヴェは、呼吸を整えようとする努力を放棄したらしかった。細く絶え絶えの、詰まったような息の音と共に、瞼が半ば開かれる。放たれる一筋の光に、アリは捕らわれた。走り抜ける興奮へ、頭から爪先まで串刺しにされるかのようだ。 「頼む……っ」 「そう、だね」  ペニスを追い出しても、顎の筋肉は麻酔でも掛けられたかの如く痺れ、淡く開いた唇から滴る唾液はシャツに染みを作っている。  もっとも、布地を黒くするのはこれだけが原因ではない。夜気は冷え冷えとしているにも関わらず、全身は薄く汗を掃いている。ボタンを外し露わにした胸へ掌で塗り広げる際、つんと立ち上がった乳首をなぎ倒せば、甘い痺れが臍まで走った。揺れる腰へ視線を奪われたウーヴェが、喉仏を上下させたのは間違いない。 「そうさ、それでいいんだ」  薄暗がりの中でも分かるほど赤く汗ばんだ顔を見下ろし、アリは完爾と微笑んだ。 「僕は君に、獣みたく挑みかかられたい。セブへしてるみたいにさ……いつも彼が羨ましかった。だって、君と本音でぶつかり合える」  蹴るようにしてジーンズを追いやる前に、ポケットへ入れっぱなしにしていた使いきりのゼリーを歯で破り開ける。中身をぶちまけた太腿が粟立つが、しばらく膝を擦り合わせていれば居心地悪さはすぐ霧消する。 「でも僕は、セブよりずっと君を気持ちよくできるよ……天国へ連れてって、あげ、る」  手も使って尻たぶまでまぶせば準備は万端。跨がろうとした身体は、しかし次の瞬間、唐突に起き上がる。そのまま抱き竦められ、俯せに床へ押し倒された。ぶつけた胸の衝撃に息を詰めるまで、アリは自分の身に何が起こったか理解ができなかった。 「君は勘違いしてる」  喉の奥で唸りながら、ウーヴェは今にも燃え出しそうな耳へがぶりと歯を立てた。 「俺はいつだって本気だ。心の底からしたいように君へ接してきた。今は君を抱きたい。君が君でなくなるほど、激しく」  その台詞が、彼のフランス語の限界だった。だがどすの利いたその物言いは、どんな饒舌さよりも、アリの心臓を激しく波打たせた。  どこまでも優しく野性的なウーヴェ。アリの太腿をぴっちり閉じさせると、尻たぶを削るようにして、隙間にすっかり育ったペニスを押し込む。灼熱の塊に敏感な内股から睾丸までを擦られ、アリは鋭く息を飲んだ。 「君が欲しい、アリ」  間髪入れずに指を挿入されたアナルは、異物を喜んで受け入れた。自分のものより太く固い感触は、こめかみをびりびり痺れさせ、気持ちいい。まだ乾いている皮膚に、襞という襞が蠕動して吸いついた。繊細な動きを我が物顔で押し退け、遠慮会釈なく大きなストロークで探られるのもまた興奮を煽る。尻へ押し当てられた彼の掌が信じられないほど熱く、激しく動かされて肌と肌が重なると、溶けてしまいそうだった。 「っふ、あ、ん……はやく、奥まで……っ」  喘ぎながら、アリはさっきから覚えている疑問を確かめるため、自らの股間へ手を伸ばした。まさかとは思っていたが、ウーヴェが腰をぬりぬりと前へ突き出すたび、太腿の間から先端が突き出している。  少年のような上半身に比し、アリの下肢は身を流れるアフリカの血によって触れなば落ちんといった成熟を帯びていた。遊びたがる男はこれまでにも数多かったが、それは大抵は逸物を先端までぴっちり包み込む肉を楽しむため。ウーヴェのものは間違いなく規格外だった。しかも明らかに、先ほどアリが可愛がってやった時よりも、硬度や角度を増している。  堪能させてやれないのがちょっと可哀想になり、自らも彼の動きに合わせて身を揺する。だがウーヴェは、このささやかな慰めを意趣返しだと受け取ったらしい。探り当てた前立腺をぐりっと強く押しにじる。 「あ、あぁっ!! そこ、き、きて、もっと……!!」  それまで周囲の一際深く沈む粘膜をくるくる撫でるだけでも、十分はアリを落ち着かなくさせていたのだ。遂に訪れた強烈な刺激に、アリは顎を逸らして悲鳴じみた喘ぎを放った。 「ぃ、いたぃ、いたい、ウ、ヴェ、それ、いい! たくさん、して!」  項に掛かるウーヴェの息が荒さを増す。先走りも相まって滑りが良くなった腿の間でペニスは凶暴に暴れ回り、先端がきつくアリの性器をかち上げる。間違いなく痛くて気持ちいいのに、そこは半ば程しか芯を持たない状態で、ひっきりなしに白濁混じりの液体を漏らしていた。  きっと、腹の中の快感が強いせいだ。いつの間にか2本、そして今3本に増えた指は捻られたり、時折広げられたり、自分の内臓が伸びきり、つるんとなめし皮を思わせる平坦さを持っている様子を、アリは想像した。脇腹の辺りが震えるのは、それがとてつもなく魅力的な妄想だからだ。好きな男に身体を作り替えられるなんて、夢にも思わなかった。  絶頂の縁で爪先立つイマジネーションへ最後の一押しを与えたのは、掻くようにして指先で摘み上げられる、腫れぼったい前立腺だった。 「ぅ、ぐ……っは、あ、んっ……」  壊れた蛇口みたいな有様の鈴口から、どろっと一際多量の精液が溢れ出る。内臓で味わうオーガズムに連動する、長くゆっくりした射精。がくがくと腰を震わせているのに、ウーヴェは脱力したアリの身体を羽交い締めにし、膝立ちで身を起こした。無理な姿勢を取ることによる緊迫と、射精が生む張り詰めが腹筋とその奥で混線し、増幅する。頭が一瞬スイッチを切ったかの如く真っ暗になった。  柔くすべすべした内腿の間で先端を揉み潰す、短く乱暴な前後の摩擦の後、彼もまた放つ。股間一面を濡らす体液は黄み掛かって見えるほど濃い。薄い自らのものと床の上で混ざり合う様子に、目眩がしそうだった。  そのまま崩折れそうになった膝は、腹へ回った両腕に抱き留められる。肩越しに首を伸ばし、ウーヴェは唇を寄せた。伏せられた瞼は唇と並び、男性らしい固さを持つ彼の肉体の中で、数少ない柔らかな場所だ。涙で滲む視界を必死にこらし、アリは見とれていた。 「まだ、足りない」  柔く、何度も短く重ねるキスの合間にウーヴェが囁いた。やはり、まだまだ気取っている。鈍い動きの舌で精一杯淫靡にぺろりと唇を舐めてやり、アリは言ってのけた。 「これで終わったら、きみを、殺してやる」  言葉は最後まで放たれない内に、熱い口腔内へ飲み込まれる。すぐさま舌を奪い、絡みつく舌は粗野さを隠しきれていない。時折がちっと歯がぶつかり、お互いの唾液が口元をべたべたに汚しても、もうお構いなしだ。精一杯首を捻り、彼の頬に掌を当てて引き寄せすらしながら、アリは没頭した。  ドアをばたんと閉めた時点で、部屋の中の出来事を察知していたはずだ。けれどセブはもつれる吐息の二重奏に立ち竦む。まるで部屋の外へ鼻っ柱の強さを置いてきてしまったかの如く、今の彼は無防備に見えた。  凝視に晒されても、ウーヴェは動じない。投げかける一瞥の冷酷さと言えば、いっそ惚れ惚れする程だった。寧ろそのまま濡れたアリの唇にかぶりつき、見せつける真似すらする。  酸欠で頭がぼんやりしていたし、胸に被さる厚い皮の張った掌に、興奮で突き出た乳首を転がされていたものだから、セブの呟きを聞き逃してしまう。だがその「ちくしょう」は何度も繰り返されるにつれ、濃密な空気を揺るがす。壁へ叩きつける勢いで肩が押し当てられたかと思ったら、次は頭をぶつける番だ。ごん、と一度鳴り響いた音の奥から、呪詛は低く地を這って2人の身体に巻き付き、一層分かち難いものにする。 「ちくしょう、まただ。また置いてけぼりにされた。くそっ、お前らいつの間に……」  酷く鼻へ掛かった声に、彼が泣いているのかと思った。実際に泣いていたのかもしれない。嫌々をするようにこめかみを壁に擦り付け、漏れる鼻息を押さえ切れもしなかったのだから。  ウーヴェは相変わらず平静を崩さない。ドイツ語らしからぬ静かな抑揚は、真っ直ぐに相棒まで届いたらしい。「うるせえ」とセブは盛大に吼え立てた。 「分かってる、この盗人、ゲス野郎……」  言葉を掛けようと開きかけたアリの唇は、抓られた乳輪によって喉で止まり、結局跡形もなく消えてしまう。 「放っておけ」  アリの舌へと纏わりつく舌に、ウーヴェは毅然と言葉を乗せた。それは余りにも酷な話だと、さすがのアリにも分かっていた。けれど、今ようやく掌中へ納めることの出来た男を手放すことは、何があっても出来ない。彼の身体が、心が与えてくれる快楽に屈服する。セブはくれなかったものだし――そもそも自らが、彼に求めていなかった。  もうしばらく、セブは微動だにせず俯いたままだった。食い縛られた歯の間から、鋭い噴気音が漏れこぼれる。やがて顔を背けたまま、早口で言葉が吐き捨てられた。そんな物言いを作らなければ、きっと声の震えを隠せなかったに違いない。 「ウーヴェ、くそったれ。許してやるよ、おまえはダチだから……そうやって2人して古傷舐め合うみたいに乳繰り合ってりゃいいや。俺はごめんだ、てめえらなんか置いてってやる」  足早にすれ違う背中へ伸ばそうとした腕すら、ウーヴェは許さなかった。セブが寝室へ閉じ籠もるよりも早く、絡め捕らえた指先へ唇を押し当てる。甘ったるい仕草と裏腹、尻に押しつけられる彼の性器はもう勢いを取り戻していた。  ひくひくと狂い不規則な痙攣を繰り返すアナルへ、丸く充血した亀頭が押し当てられては滑る。されるがまま引きずられ、綻びの直径を大きくする窄まりは、狼藉者が戻ってくるたびに、歓迎の意を露骨にする。ちゅっと粘っこい音を立てて先端に吸いつき、結合の予感が強まるのと裏腹、アリは急に胸を就かれたような寂しさを覚えた。 「ゃ、ウーヴェ……きみの、かおが見たい」  訴えを合図に、固く身体を抱き竦めていた腕が僅かに緩まる。すっかりふらふらになったアリを床の上へ横たえさせる前に、ウーヴェは今更ながら脱ぎ捨てられ、丸まっていたシャツを引き寄せ、身体の下へ敷いた。目と鼻の先にあるソファなど全く眼中にない。彼はただただ、アリを見つめている。  やっと望むものを見ることが出来た。涙の後の充血を思わせる白目の中心で、その青い瞳はさながら揺らめく炎。一番温度が高く、皮膚の奥の奥まで火傷を負わせる、恐ろしい色だった。  ぞくぞくと震えを帯びる身を叱咤し、アリは身体を起こした。汗の流れ込んだ眦に口付ける。それから、従順に落とされた瞼へも。触れるときは、持てる限り最大限の恭しさを込めたつもりだった。 「君は僕の王様だ。いや、それ以上さ……今僕は、神様よりも、君の前に傅きたい」  熱烈な告白へ、ウーヴェはぐっと眉間に皺を寄せた。ごまかすように頬へ唇を落としながら、不承不承の言葉を返す。 「すまない。その……熱くなり過ぎて、君が何を言ってるか分からなくなるかも知れないし、上手く話せなくなるかも」 「ああ」  今ほど厳粛な場にも関わらず、何ていじらしいことを言うのだ、この男は。思わずアリは、ははっと声を上げて笑った。 「ドイツ語で構わないよ。フランス語じゃなくて、君の声が、僕好きだな」 「辛かったら、殴って止めてくれ」 「しないよ、そんなことするもんか」  一杯になった胸はそれだけに飽き足らない。首へ腕を回し、ぎゅっと抱きしめる。ウーヴェも背中を支えていた手を、更に下へ進めた。乱暴な手つきで尻の肉を掴まれ、割り開かれれば、それだけで身も心も歓喜に満ちる。 「あぁ、あっ、来た、ぁ……」  ゆっくり突き入れると逆に圧迫感を強めると知っているのだろう。止めることなく、腰は進められる。  幾ら何でもここが根本だろうと、立てた予想は何度も何度も裏切られる。そのたびに、正直なことを言うと、アリはたじろいだ。  まるで掌の大きさで長さを測っているように、ウーヴェはすっきり平らなアリの腹に手を当てた。軽い圧迫が、はらわたの中で暴れるものの存在を知らしめるようで、違和感が勝る。どこか曲がり角で引っかかって、腸壁が破れてしまわないか、不安すら覚えた。 「は、ぁ、あ……ウ、ヴェ」  気を紛らわす為に寄せた顔へウーヴェはすぐ応えてくれた。幸い押さえる手も外れ、乳首が指先で転がされる。軽く爪を立てて遊ばれ、荒れた指の腹で揉み込まれるのは心地いい。性器周りで感じる乱暴なものとは違う、じいんとした快感が上半身に回る。 「んっ、それ、気持ちい」  擦り合わせる唇の粘膜。臼歯から前歯に向かって、歯肉との境界を丁寧に確かめ辿る尖らせた舌。全ては今内臓の中で起こっていることに同調する。口移しで与えられる唾液をひっきりなしに飲み下し、アリは何とか恐怖を捻じ伏せた。  それに、ちっとも気持ちよくない、ということではないのだ。ペニスの脈動を襞の一枚一枚で味わう。空間は幹のしなる角度さえ言い当てられそうな程、隙間なくぴっちりと占められていた。今だけはしっかりと、完璧に彼のものだ。 「あ、ぐ、」  好き放題に触られた前立腺が抉られ、尻が跳ねる。「あ、待」 「くそ、」  ウーヴェが声を詰まらせるのとほぼ同時に、持ち上がったアリの下半身と、押し出されたウーヴェの腰が噛み合った。あらかじめ一つの鍵と鍵穴であったかのように――ぐぽっと酷い音が体の中で鳴った。突き破られたのだ。息が止まる。  そのまま目を見開き硬直しているアリを、ウーヴェは慌てて抱き寄せた。拍子に、奥の窄まりへ引っかかっていた雁首が隘路を撓ませる。これは彼にとってもかなりの刺激になったようで、咄嗟に食い縛られた歯が耳元で固い音を立てた。 「アリ、大丈夫か」  切れ切れになった息での問いかけに、アリは何度か小刻みに頷いて見せた。 「な、んだこれ……しんじられない、こんなとこ、入ったことない」 「俺も、入ると思わなかった」  彼がゆっくりと両肘をついてくれたお陰で、背中を床に下ろすことが出来た。僅かな振動でも、身体の無関係な筋肉が勝手に収縮する。身体の統制権は根こそぎ奪われていた。文字通り串刺しにされ、為す術がない。それなのに、額へ張り付いた髪を払うウーヴェの手つきが、まるで宝物へ触れるかのようだとなれば。触れてきた掌へ頬を擦り寄せた時、アリはもう微笑みを浮かべていた。 「すき、ウーヴェ、君がすき」  口にすれば、鼻がつんとなる。涙がこぼれてしまいそうだった。自分の心なんてよく分からないが、この瞬間の感情は決して嘘ではない。  母語ではない告白を、ウーヴェはちゃんと聞き届けてくれたようだ。額へ、眦へ、頬へ、鼻先へ、そして唇へ。顔一面にキスを与える。とても手慣れた愛戯にも、今ばかりは嫉妬を感じない。世慣れた物腰は、いっそ興奮を呼ぶ。 「俺もだ。俺も……」  アリの発声をなぞるよう、柔らかくそう囁く。彼の低く掠れた声で放たれると、その抑揚は祈りの場で放たれるものに近くなった。  アリの呼吸が深くなって、僅かなりとも緊張が解けたところを見計らい、ペニスがにじり入れられる――まだ続きがあったのだ、目眩がしそうだった。  文字通り処女地の粘膜は、未だ固さを残している。だが猫が毛並みを整えるように襞を一定方向へ薙ぎ倒される感覚を、快楽だと捉える程度にはふしだらだった。 「ああ、あ、ぁ……」  大きく品のない音を立てて亀頭が結腸から抜け、うねる肉筒の中を掻き混ぜる。薄いアナル周りの肌に、ウーヴェの濃い下生えが擦れる。 「ぅ……ぁ、ん……もっと、強く……」  そんな派手に動かさないで、と懇願するため開いた口なのに。アリは媚びにまみれた声でそう訴えていた。本当に、自らが欲するものを手に入れるため。 「奥を、た、叩くみたいに、されるのが、すき……もう、君のことしか、考えられなくなるようにして……」  ウーヴェは黙りこくったまま、しばらく腰を小刻みに動かし続けた。慎重に、慎重に、具合を確かめている。彼が最大限の忍耐を発揮していることは、骨盤を万力のような力で掴む両手が証明した。  すりっと前立腺を擦られ、引っ掛ける動きと共にぶよぶよとした粘膜をゆっくりした動きでめい一杯広げられる。その度しくしくとした痛みが快感に変換され、おかしくなってしまいそうだった。いや、実際にもう、感覚の受容器官は狂っている。拷問に等しい、重く緩慢な刺激へ混乱して、とうとうアリはべそを掻き始めた。強く目を閉じ、唇を噛むことで、辛うじて嗚咽を封じ込めることには成功したものの。 「アリ、アリ、泣かないでくれ」 「、だって……っ」  すっかり憔悴しきった声でウーヴェは懇願し、それでも解決しないとなると唇を押し当てる。彼の熱いくちの中へ火のような息を吐き出し、アリはぐずっと鼻を啜った。 「言うこと、聞いてくれよ……!」 「え……」 「ああ、もう……僕を泣かせたくないなら、もっと……」  恐らくウーヴェは聞き取れなかったのだろう。ただこれは彼の問題だけではなく、もつれるアリの舌にも大いに非があるから、一方的に責めることは出来ない。  それでも真面目なドイツ男は真剣に耳を傾け、そして肌で理解する。ずっと引き抜かれるペニスへ後れを取った腸壁は、何が起こったか分からないと言わんが如く咄嗟にまつわり付く。怖気を震いながらも、アリは心の中で「来る、来て」と叫んだ。  期待通りに、立派なものはすぐさま戻ってくる。勢いの良い突き入れに身体がずり上がり、背中の下でシャツが皺を刻む。一息で結腸への帰還が果たされ、アリは思わず濁った悲鳴を上げた。  抽出運動は大きな動きでこなされる。ウーヴェはアリの身体を余さず堪能するつもりらしかった。必ず根本まで納められ、それから亀頭の括れが括約筋を内側から押し出そうとする位置まで戻る。腸は従順に緩み始めた。空気は攪拌され、泡立つ粘液がぷちぷちと潰れる音が、ぴっちり隙なく詰まったペニスに閉じ込められてしまう。腹の中で反響する音は余りにも卑猥で、さすがのアリも赤面した。  頬に上った血はけれど、幾らもしないうちに違う由来へとすり替わる。受け入れる場所が十分広がったと見て取るや、ウーヴェはストロークを短いものに変える。がつがつと乱暴に振り立てられる腰の動きは、もはや暴力だった。ただただペニスを内臓がぎっしり食み締めている、その事実で頭が占められた。  それで構わないのかも知れない。嬉しくなるほど魅力的な決死の表情を浮かべ、懸命に悦びを貪っているウーヴェを見上げていったら、思えてくる。全身揉みくちゃにされ、頭がぼうっとしてきた――ところで、こんなはしたない声を上げて、高く甘く喘いでいるのは、もしかして自らなのだろうか。  喉元に触れたウーヴェの無骨な指がゆっくりと這い上がり、顎を渡って唇に触れる。しばらくの間、厚い爪を断続的な呼気でふやかしてから、アリはくわえ込んだ。そうしないと悲鳴を上げてしまう。がくがくと揺さぶられ、床にぶつかる後頭部の刺激を意識の浮標にし、両腕を伸ばした。 「ウーヴェ、ウーヴェ……!」  ウーヴェは尻を両手で抱えて持ち上げることで、相手を自らの胸へ迎え入れる。すなわち、結合はこれ以上なく深まった。  はまった亀頭で最奥の窄まりをこね回され、吐きそうな程気持ちいい。せっかく彼を抱きしめているのに、指先はびりびりと痺れて感覚を失いつつあった。項を懸命に掻くことで、自らがまだ大丈夫なこと、それどころかこんなにも気持ちいいことを教える。  ゆさゆさと尻肉を揺さぶられる挿出に、先走りが身体の奥に溜まっていく。これを後で排出してしまうのはとても惜しい。何とか吸収できないか――腹の中はウーヴェが出しているもので薄く、満遍なく濡らされている。自らの腸液と彼のカウパー、どちらも微かに濁った生温かい液体は混ざり合うと見分けが付かなくなるに違いない。それが押しつけられる幹によって襞から掻き出されては、擦り込まれる。  滑りが良くなるにつれ、ウーヴェの暴虐をより強く意識した。人の身体を滅茶苦茶にしておきながら、目の前の男はこんなにも苦しげで、切なげだった。立てられた眉間の皺すら、端正な顔立ちの中で魅力となるのだからつくづくずるい。張り詰めた表情を少しでも慰撫しようと、撫で回している自らの手を想像する――思い浮かべるだけだ。実際のところ、腕はいつの間にか床へ落ちて脱力したきり、ぴくりとも動かすことが出来なかった。最高の純度を誇るスピードボールを打ったときでも、こんなに充足し、安心して快楽に身を委ねたことはない。  すっかり浸りきっているアリの顔を覗き込み、ウーヴェは喉仏を上下させた。一度アリの分からない言語で放とうとした言葉は中途で取り消され、辿々しい異国語が何度も繰り返される。 「Do...Do you like it? Do you like it?」  Ouiは英語で何と言うんだった? こんなにも初歩的な単語が出てこないなんて。  口をはくはくと動かし、掠れた声で言おうとしたのは、愛してるの一言。ちゃんとウーヴェの耳へ届いたことを祈る。  ウーヴェは背中を丸め、敷き込んだ身体を世間から隠すように覆い被さる。射精は信じられない量が放たれた。しかも最奥で。びちびちと飛沫が跳ね回りながら連なり、やがてどっと奥へ流れ込む。結腸に栓をするような形だから、逆流するものは全て敏感になった亀頭へぶつかって砕けるのだろう。アリの体の上で腰は何度も大きく跳ね、呻きが奥歯で噛み殺された。  あり得ないところが濡らされ、胃まで逆流しそうになる。ウーヴェに身体を貫かれ、満たされる。その恐怖と満足感、そして最後の一滴まで吐き出そうとするいじましい腰の前後運動により、頬張る場所がくちゅくちゅと音を立てながら歪められることで、腹の奥がずうんと重くなった。その感覚はやがて放出されると、絞るような痛みを伴いながら腹へくまなく広がり、挙句には身体の隅々にまで。  塗り潰すような絶頂は薄まることなく持続し続ける。声すら出せなかった。投げ出されたままの掌に指で触れられると不快だ。どんな些細な触覚でも、与えられればびりびりとした刺激に変わる。  膜が張っていたような耳の奥が徐々に音を取り戻し始めたとき、一番に飛び込んできたのは二人分の乱れた息。そこに混ざる自らが鼻を啜る音。火照った頬にはいつの間にか、幾筋もの涙の跡が刻まれている。 「アリ……」 「キス、して」  仕事の時は決して明け渡さない場所を無条件に晒すどころか、自ら差し出す。ウーヴェの口付けはあくまでも優しかった。これが愛されているということなのだ。つまり、大事にされるということが。  ようやく納得して、アリは薄く口を開き、与えられるものを素直に受け取った。

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