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よそ者②

「清虎。明日の朝、一緒に学校に行こう!」  角を曲がりかけていた清虎が、驚いたように足を止めて振り返った。 「明日、七時半にここに迎えに来るから」 「えっ?」 「じゃあ、また明日!」  清虎の答えを待たずに陸は走り出す。あのままあの場に居続けたら、断られてしまうような気がした。わざわざ関西弁に戻して壁を作ったのは、こうして距離を詰められるのが嫌なのかもしれない。これから戦の場に立つ彼には、余計なこと以外の何ものでもないだろう。  だけど。と、陸は拳を握る。  彼を『よそ者』のまま、次の街へ行かせたくない。  人をかき分けるように走り続けた陸は、信号に捕まって足を止めた。汗が額から流れ落ち、呼吸が乱れて肩が上下する。舞台を控えた清虎が追ってくるわけがないのに、どうしてこんなに急かされるような、ソワソワした気持ちになるのか解らない。  汗を拭いながら顔を上げると、横断歩道の先に四角い店舗ビルが見えた。  一階はカフェスペースを備えた茶葉の売り場で、二階、三階はメゾネットタイプの住居区になっている。陸はそこで、両親と兄の四人で暮らしていた。  藍色の生地に白で茶益園(さえきえん)と書かれた暖簾が、客の出入りがあるたび揺れる。『茶益』は屋号で、本来の苗字である佐伯に縁起の良さそうな文字を当てはめたものだ。創業は明治初期と言うのだから、中々の老舗である。  信号が青になると、陸は飛び出すように再び駆け出した。店の裏手に回り、自宅の玄関に続く階段を勢いよく上る。そのまま自分の部屋に入るとベッドに倒れ込んだ。乱れた呼吸を整えるように、大きく息を吸う。  心臓が痛いのはここまで走ってきたせいだと、言い聞かせるように胸に手を当てた。今日出会ったばかりの友達が、一カ月後にはいなくなるのが怖いからじゃない。そう思い込もうとすればするほど、心臓は鈍く痛んだ。やがて来る未来を深く考えたくなくて、陸は逃げるように体を起こす。  充電中の携帯電話が視界に入り、新着メールを知らせるランプが点滅している事に気が付いた。『まだ清虎と一緒にいんの?』という短いコメントが、五分ほど前に哲治から送られている。 「哲治のやつ、よっぽど清虎と一緒に帰りたかったんだな」  今帰ったと返信すると、すぐに「了解」と一言だけ送られてきた。 「え、それだけ?」  もっと清虎のことを色々聞かれると予想していた陸は、拍子抜けしてベッドの上に携帯を放り投げる。  もしかして、店の手伝いのせいで一緒に帰れず拗ねているのだろうか。それなら明日の朝、清虎を誘ったと知らせれば機嫌が直るかもしれない。  投げた携帯電話を手繰り寄せて文字を打ちかけたが、ふと悪戯心が沸き上がり手を止めた。  何も知らせないままいきなりバス停に二人で現れたら、哲治はどれほど驚くだろう。喜びも倍増するのではないか。 「そうだ。清虎が楽しい思い出いっぱい持って次の場所へ行けるように、哲治に協力してもらおうっと」  だけど清虎が標準語を話せることは言いたくないなと、ベッドに寝転がりながら陸は目を閉じる。  何だかその事実は、誰にも知らせず自分だけの秘密にしておきたかった。

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