10 / 164

*第四話* 手負いの虎

 翌朝、時間通り劇場前に着くと、既に清虎の姿があった。ズボンのポケットに両手を突っ込み、眠そうな顔で空を眺めている。 「おはよ」  満面の笑みで駆け寄る陸に、清虎はわざとらしく大袈裟にため息を吐いた。 「よくそんな能天気でここに来れたなあ? 俺がおらんかもしれんって、不安に思わんかった?」 「思わなかったよ。だって、清虎はハッキリ断らなかったし。俺を置いて、黙って先に行ったりしないでしょ?」 「ほぉ」  陸の返答は予想外だったようで、清虎は感心したような声を上げた。それから考察するように、顎に手を添えてにやりと笑う。 「あれやろ。陸はきっと末っ子やな? そんで、年の離れた兄ちゃんか姉ちゃんがおるやろ」 「えっ、何でわかったの? うん。八コ年上の兄貴がいるよ。清虎ってすごいね」  陸が歩きながら清虎の横顔を見上げる。その目があまりに屈託なくて、清虎は照れ隠しなのか敢えてツンと澄ました。 「すぐ解るわ、そんなもん。なんつーか、『絶対に愛されてる自信』みたいなのあるやん、陸って。年の離れた兄貴がおるから尚更なんやろなぁ、可愛がられることに慣れとる感じがすんねん」 「甘ったれってこと?」 「甘え上手ってコト。あとなぁ、言っとくけど俺、劇場に寝泊まりしてる訳ちゃうぞ。ここに迎えに来んでええんやで」 「えっ、そうなの?」  早朝でまだシャッターの閉まった仲見世通りに、陸の素っ頓狂な声が響いた。劇場に住み込んでいると信じて疑わなかった陸は、意外そうに清虎の顔を見返す。 「まぁどの道、明日からは直接バス停で待ち合わせたらええやろ。それより哲治やったっけ。あいつ、俺と一緒に行くことになって嫌な顔せんかった?」 「哲治には言ってないよ。だって驚かせたいじゃん。昨日、清虎と一緒に帰れなくて残念そうだったでしょ? 喜ぶだろうなと思って」 「それ本気で言ってんの?」  関西弁が消えた清虎の声には、怒りの色が滲んでいるような気がした。何がいけなかったのか解らないまま、咄嗟に「ごめん」という言葉が口をついて出る。それが余計に腹立たしかったようで、短く息を吐いた清虎はくるりと身をひるがえした。 「俺、忘れ物してもーた。取ってくるから先行ってて。俺のこと、待たんでええから」  バス停は目と鼻の先だった。流石の陸でも清虎が嘘をついていると解って、立ち去ろうとするその腕を慌てて掴む。 「待てよ。何で怒ってるの? 哲治に黙ってたから?」 「怒ってへん。忘れ物言うとるやろ」  陸の手を振り払った清虎は、ハッとしたような表情をした。その視線は自分を通り越した先を見ていると気づいた陸が、振り返る。 「忘れ物がどうしたって? ところで、何で陸と清虎が一緒にいるワケ」  こちらに向かって歩いてくる哲治の姿を見て、陸は気まずそうに眉を寄せた。その表情が助けを乞うているように見えたのか、哲治は「大丈夫だよ」と優しく笑う。それから清虎を真っ直ぐ見た。 「今から戻っても遅刻するぞ。一緒に行こう、清虎」 「は?」 「ほら、早く来いよ」  哲治の思考が読めない清虎は一瞬身構えたが、バスが到着したのが見え、仕方なく従った。  哲治は不安そうな陸の背中を押して、いつものように先にバスへ乗せる。 「なんなん、お前。甘やかすんは陸だけとちゃうの? なんで俺にまで優しくすんねん。怖いわ」  清虎がバスの運賃箱にカードをかざしながら、哲治に耳打ちした。

ともだちにシェアしよう!