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ごちゃ混ぜの感情③
浅草で生まれ育っているにも関わらず、劇場に足を踏み入れるのは初めてだった。少しだけ緊張しながら、チケット売り場に立つ関係者らしき年配の男性に声を掛ける。
「あの、俺たち清虎くんの同級生なんですけど、プリントを預かって来まして……」
陸が言い終わらないうちに、その男性は「ああ!」と嬉しそうに手を叩いた。
「もしかして陸君と哲治君かな」
自分たちの名前を言い当てられ、驚きながらも陸は頷く。
「清虎は今、舞台の真っ最中でね。君たち時間あるなら、せっかくだし芝居を見ていきな。後ろの席ならまだ空いてるから」
「あ、でも俺たちこれから塾があって」
「そうか、そりゃ残念だ。けどこのまま帰しちまったら清虎にどやされるし、塾が終わった後、ちょっと寄ってけないかい? 八時には清虎の出番は終わってるから、顔だけでも見せてやってくれないかな」
男性にせがまれて、陸は「はい」と勢いよく返事をした。隣で哲治が陸を小さく睨んだが、気付かないまま言葉を続ける。
「塾も八時に終わるんで、帰りにまた寄ります」
「本当かい、ありがとうね。清虎も喜ぶよ」
ホッとしたように男性が胸に手を当てた。「また後で」と挨拶して劇場を離れると、哲治がこめかみを押さえながら大袈裟にため息を吐く。
「塾帰りに寄るなんて、勝手に返事すんなよ」
「ごめん、用事あった? だったら俺一人で行くよ。どうせ帰り道だし」
「用なんてないし、一緒に行くけど……そういう事じゃなくてさぁ」
苛ついたような声色に、陸は何がいけなかったんだろうと考えながら首をすくめた。
「勝手に返事して悪かったってば」
「もういい、俺帰るわ。また塾で」
「え。あ……うん」
気まずさを残し、大衆劇場の前で哲治と別れた。塾の帰りに清虎に会えるのは嬉しかったが、哲治を怒らせてしまった重い気分も同時に湧いて、ごちゃ混ぜの感情のやり場に困る。
喧嘩と呼ぶには程遠い些細なやり取りだったが、それでも哲治が陸に対してあんなにハッキリ不快感を示したのは初めてだった。
帰宅後に自室で着替えながら、改めて哲治の機嫌が悪くなった原因を探してみたが、決定的な理由が陸には見つけられない。
不安な気持ちを抱えたまま塾に着くと、哲治は既に教室にいた。陸に気付いた哲治は、視線だけ向けて軽く手を上げる。どことなくよそよそしい感じがして近寄りがたく、声を掛けられないまま授業が始まってしまった。
講義の内容は少しも頭に入らず、チラチラと何度も時計を見てしまう。恐ろしく長く感じた九十分を終え、出口に向かって歩き始めた所で哲治に肩を叩かれた。
「何か今日の授業難しかったな。あー腹減った。清虎んとこ行くんだろ? 早く行こ」
「あ、うん」
まるで何もなかったかのような哲治の態度に戸惑いながらも、陸は一先ず頷いた。彼なりの「もう怒ってない」と言う意思表示なのかもしれない。
「清虎のとこ行った後、うちの店で飯食ってく?」
「あーいいね。久々に唐揚げ食べたいな。じゃあ……」
清虎も誘おうか。そう言いかけて言葉を飲み込む。なんとなく今は、自分から何かを提案するのが躊躇われた。
「清虎も呼びたい?」
まるで見透かされたように問われ、「うん」と答えていいものかどうか迷いながら哲治を見上げた。
「陸は一緒に行きたいんだろ? いいよ、声かけてみよう。来週の運動会でもうお別れだしな」
「うん、ありがとう」
ホッとしながら礼を述べると、哲治は目を伏せた。停めてあった自転車にまたがり、「なんで……」と小さくこぼす。語尾は声が小さくて聞き取れなかった。
「え? 何て言ったの?」
「何でもないよ」
走り出した哲治の後を、陸は慌てて追った。
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