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金木犀②

 暖簾をくぐると肉の焼けるいい匂いがして、途端に腹の虫が鳴った。カウンターの中で調理中の父親に哲治が声をかける。 「ただいま。友達連れて来たんだけど、俺の部屋で食った方が良い?」 「おう、おかえり。まだ混まねぇからここで食っていいぞ。お、そっちはもしかして、婆ちゃんの言ってた子か? 良く来たな、腹いっぱい食ってけよ。陸はいつものでいいか」 「うん、いつもの! あ、ご飯もつけてほしい」  腹をさすりながら答える陸に、哲治の父親が笑いながら「おう」と返事をした。清虎は壁に貼られたメニューをぐるっと見回してから、「俺も陸と同じので」と告げる。 「よっしゃ。座って待ってな」  カウンター近くの四人掛け席に落ち着くと、清虎は照れ臭そうに目の前に座る陸に笑いかけた。 「実はな、俺、友達と外で飯くうの初めてやねん」 「え、ホント?」  ソワソワと落ち着かない清虎がこくりと頷く。清虎の口から「友達」と言う単語が飛び出て、それが自分のことを指していると思うと嬉しくてたまらなかった。 「じゃあ、また来ようよ」 「そうやなぁ。でも、舞台終わった後も稽古あるし、あんまり頻繁には出てこれんかな」  ごめんなと、清虎はいつものようにおどけて肩をすくめたが、伏せた目はどこか寂しそうに見える。 「ねぇ、芝居が大人気で毎日行列なんだから、もう一カ月滞在期間延ばせないの?」 「いや、無理だろ。次来る劇団決まってんだろうし」  すがるような陸の言葉を、哲治がぴしゃりと跳ね除ける。清虎も困ったように眉を寄せた。 「んー、そうやな。俺たちも次の場所に行かなあかんしな。しばらく浅草におれたら良かったんやけど」 「次……どこに行くの?」 「次は地方の健康ランド。そこの宴会場で一カ月公演すんねん。健康ランドとか温泉地はええぞ。毎日デカい風呂に入れんねんから」  清虎はあっけらかんと答えたが、陸の気持ちはますます沈んでいく。それでも何とか顔に出ないよう、唇は笑みの形を保たせた。今日は体育の授業がバスケだったとか、給食がイマイチだったとか、他愛のない話でも清虎は楽しそうに相槌を打ってくれる。  少しずつ息が苦しくなった。  せっかく目の前に清虎がいるのだから、今を楽しまないと勿体ない。そう思っていても、どうしても清虎のいない未来が頭を掠めて上手く笑えない。出会った瞬間から別れのカウントダウンは始まっていた。一ヵ月しかいない。解っていたはずなのに。 「陸くん、清虎くん、お待たせ。二人とも唐揚げ定食よね?」  俯きかけた陸の頭上から、哲治の母親の声が降ってきた。目の前に置かれた盆の上には、見るからに揚げたての唐揚げと、湯気の立ち上る白米に味噌汁が並んでいる。 「哲治はもう晩御飯作っちゃったから、野菜炒めね」  有無を言わさず置かれた皿に、哲治は不満げに顔をしかめた。 「ええやん、それもウマそうで」 「じゃあ、清虎の唐揚げ一個くれよ。もやしとピーマンあげるから」 「肉もくれたら考えてやってもええぞ」  いただきますと手を合わせた清虎が、大きな口を開けて唐揚げをがぶりと頬張る。 「うんま! やっぱ哲治にやれへんわ。めっちゃ美味いやんけ」 「ケチだな。一個よこせ」  哲治が冗談めかして箸を突き立てるポーズを取ると、清虎が皿を持ち上げてオーバーに体を反らせた。清虎と哲治が仲良くしているのが嬉しくて、陸は声を立てて笑う。 「ね? 美味しいでしょ」  陸が笑いかけると、白米を掻き込みながら清虎が深く頷いた。

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