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誰よりも特別②

 たかが運動会の百メートル走で、こんなに血が(たぎ)るなんて。  いや、「たかが」じゃないな。陸は自身の思考をすぐに取り消す。清虎にとってはきっと、最初で最後の運動会になるだろう。それを抜きにしたって、自分にとっても中学最後の運動会だ。  今日を勝って終わらせたい。  スターターピストルの合図と同時に飛び出した。歓声が塊となって背中を押してくれる。前に倒していた上半身を徐々に起こし、一気に加速していった。    視界の端に自分と並ぶ影が映り、トップスピードに乗った陸は、引き離したくて歯を食いしばる。それでも振り切ることが出来ず、むしろ追い抜かれそうになって気が焦った。 「陸!」  嵐のような大歓声の中、確かに清虎の声を聞いた。矢のように真っ直ぐ飛んで来た声が、陸の体を貫く。その瞬間、陸の頭の中で重い鉄製の足枷が粉々に砕けるイメージが沸いた。  気付くと目の端に映っていたライバルの姿は消え失せ、陸はトップでゴールを駆け抜けていた。弾む息のまま応援席を振り返ると、清虎が両手の拳を突き上げて、嬉しそうに飛び跳ねている。 『よっぽど特別な子なんだね』  兄の言葉が脳裏に蘇った。  あの時はよくわからないと答えたが、今なら迷わず言い切れる。清虎は、誰よりも特別だ。あんな土壇場に、声を聞いただけで自分でも信じられない力を発揮してしまう程に。 「陸、凄かったなぁ! 競り勝って、めっちゃカッコ良かったで。俺、あないに興奮したんは初めてかもしれん」  応援席に戻った陸に向かって、清虎が早口でまくし立てた。余程熱心に応援していたのか、清虎の頬は紅潮し、瞳が僅かに潤んでいる。  走り終えたばかりで気持ちが昂ったままの陸は、思わず清虎の首に両手を回して抱きついた。驚きのせいか、清虎の体が強張る。 「陸?」 「清虎の声、聞こえたよ。だから俺、勝てたんだ」  清虎の肩に顔を埋めたまま陸が告げる。「そっか」と耳元で嬉しそうに返事をした後、清虎が陸の背中を優しくぽんぽんと叩いた。 「あっ、陸だけズルい! 俺も頑張ったから清虎にヨシヨシされたい」 「俺も俺も」  百メートル走を終えた他のクラスメイト達が清虎に群がって、あっという間に団子状態になった。中心にいた陸まで一緒に抱きしめられて、思わず笑い声をあげる。 「あははは。超暑苦しい」 「ちょぉ、陸が潰れてまうやろ。お前らちょっと加減せぇや」  陸の体を支えながら、清虎も笑った。 「おいおい、怪我する前に止めとけよ。ほら、飯食いに教室戻るぞ」  呆れたように哲治が声を掛けると、クラスメイト達は空腹を思い出したようで、「腹減った」と口々に言いながら清虎と陸から離れていく。 「大丈夫?」  哲治が気遣わし気に陸の髪を撫でる。それから清虎に視線を移し、ため息を吐いた。 「お前も団長なんだから、応援合戦の前に怪我すんなよ」 「なんや、優しいな。俺は平気やで。それより、早う戻って弁当食お」  校舎に向かって駆け出した清虎が、早く早くと二人を急かした。

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