47 / 164
痛みを感じないで済む場所③
噂が事実かどうかはさておき、誰と恋愛しようとそれは清虎の自由だ。なのになぜ、裏切られたような気分になるのだろう。
「おー! 二人ともおかえり。仲良くて羨ましいよ。結婚式には呼んでくれよな」
「清虎、転校しても浮気すんなよ!」
「やだぁ、何言ってんの。ねぇ? 清虎くん」
戻って早々に囃し立てられた遠藤が、頬を赤く染めて清虎を見上げる。清虎は首を傾げながら、困惑気味に笑った。
「ホンマに、なんのこっちゃ」
「またまた。照れんなって」
クラスメイトが清虎の肩に腕を回し、楽しそうに顔を見合わせる。遠藤は相変わらず清虎の横に居座って、くすぐったそうに微笑んでいた。
それはまるでレースのカーテン越しに眺めているような、そんな隔たりを感じる光景だった。
清虎の隣で笑っているのが自分ではない。
たったそれだけのことで、こんなにも孤独になるなんて。
手を伸ばせばいい。声を掛ければいい。すぐそこにいるのだから。
なのに体は少しも動かない。
頭から垂れ流されたコールタールのように黒くて粘着質な液体が、べったりと張り付いて徐々に体を覆っていくようだ。
上手く息が吸えず、飲み込まれてしまいそうで、陸は思わず目を閉じる。
「陸、大丈夫? 酷い顔してるよ」
耳元で哲治の声がした。
陸の体がぐらりと傾いて、哲治にもたれかかるような格好になる。陸の体を支えながら、哲治が「可哀想に」と呟いた。
「俺は……別に、可哀相なんかじゃない」
「でも、清虎の一番近くにいるのは自分だと思ってたんだろ? なのに本当は違うって気づいた。陸は今、嫉妬してるんだよ。凄く苦しそうだ。可哀想にね」
正体不明のドロドロした黒い液体を「嫉妬」と名付けられてしまった。陸は痛みを自覚して、引きちぎったはずの根に再び絡め取られそうになる。
今、自分は嫉妬していたのだろうか。
陸は胸の辺りを押さえながら自問する。嫉妬していたのなら、一体どんな理由で。
清虎が遠藤と付き合っているかもしれないから?
クラスメイトが肩を組んで清虎と親し気に話していたから?
そんなことくらいでと馬鹿馬鹿しく思えたが、笑い飛ばすことも出来ずにいた。
「陸、俺はもうリレーの召集でここ離れるけど、一人で大丈夫? 保健室行くなら連付き添うよ」
哲治の問いかけに、陸は無言のまま首を横に振る。ここにいても保健室にいても、どこにいたって同じだろう。訳のわからない痛みが、消えるとは到底思えない。
気遣わし気な手が肩に置かれた。ポンポンと軽くたたいた後、哲治は陸から離れていく。それと入れ替わるように、清虎が陸の隣に並んだ。俯く陸の顔を、下から覗き込む。
「具合悪いん? それとも哲治になんや言われたんか」
「ううん。違うよ」
清虎と目を合わせることが出来ず、逸らすように陸は顔を上げた。
「清虎もこれからリレーだよね。頑張ってね」
肝心なことは聞かないまま、陸は清虎を送り出す。今の段階ではまだ、ただの噂話だ。下手に尋ねて清虎に肯定されてしまえば、もう感情の逃げ場がなくなってしまう。
「……ホンマに大丈夫?」
怪訝そうな声色に、陸は慌てて笑顔を作った。余計な心配をかけて、競技の邪魔はしたくない。
「うん、平気だよ。いってらっしゃい。応援してるね」
「なら、ええんやけど。ほな行ってくる」
去り際に清虎が陸の頭を撫で、その瞬間、視線が交わった。
陸はハッと息を呑み、清虎の憂いを帯びて揺れる瞳が、この先もずっと自分だけを見ていてくれたらいいのにと願う。
心臓が痛い。
感傷ではなく、本当に内臓が軋んでいる気がする。
ともだちにシェアしよう!