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痛みを感じないで済む場所③

 噂が事実かどうかはさておき、誰と恋愛しようとそれは清虎の自由だ。なのになぜ、裏切られたような気分になるのだろう。 「おー! 二人ともおかえり。仲良くて羨ましいよ。結婚式には呼んでくれよな」 「清虎、転校しても浮気すんなよ!」 「やだぁ、何言ってんの。ねぇ? 清虎くん」  戻って早々に囃し立てられた遠藤が、頬を赤く染めて清虎を見上げる。清虎は首を傾げながら、困惑気味に笑った。 「ホンマに、なんのこっちゃ」 「またまた。照れんなって」  クラスメイトが清虎の肩に腕を回し、楽しそうに顔を見合わせる。遠藤は相変わらず清虎の横に居座って、くすぐったそうに微笑んでいた。  それはまるでレースのカーテン越しに眺めているような、そんな隔たりを感じる光景だった。  清虎の隣で笑っているのが自分ではない。  たったそれだけのことで、こんなにも孤独になるなんて。  手を伸ばせばいい。声を掛ければいい。すぐそこにいるのだから。  なのに体は少しも動かない。  頭から垂れ流されたコールタールのように黒くて粘着質な液体が、べったりと張り付いて徐々に体を覆っていくようだ。  上手く息が吸えず、飲み込まれてしまいそうで、陸は思わず目を閉じる。   「陸、大丈夫? 酷い顔してるよ」  耳元で哲治の声がした。  陸の体がぐらりと傾いて、哲治にもたれかかるような格好になる。陸の体を支えながら、哲治が「可哀想に」と呟いた。 「俺は……別に、可哀相なんかじゃない」 「でも、清虎の一番近くにいるのは自分だと思ってたんだろ? なのに本当は違うって気づいた。陸は今、嫉妬してるんだよ。凄く苦しそうだ。可哀想にね」  正体不明のドロドロした黒い液体を「嫉妬」と名付けられてしまった。陸は痛みを自覚して、引きちぎったはずの根に再び絡め取られそうになる。  今、自分は嫉妬していたのだろうか。  陸は胸の辺りを押さえながら自問する。嫉妬していたのなら、一体どんな理由で。  清虎が遠藤と付き合っているかもしれないから?  クラスメイトが肩を組んで清虎と親し気に話していたから?  そんなことくらいでと馬鹿馬鹿しく思えたが、笑い飛ばすことも出来ずにいた。 「陸、俺はもうリレーの召集でここ離れるけど、一人で大丈夫? 保健室行くなら連付き添うよ」  哲治の問いかけに、陸は無言のまま首を横に振る。ここにいても保健室にいても、どこにいたって同じだろう。訳のわからない痛みが、消えるとは到底思えない。  気遣わし気な手が肩に置かれた。ポンポンと軽くたたいた後、哲治は陸から離れていく。それと入れ替わるように、清虎が陸の隣に並んだ。俯く陸の顔を、下から覗き込む。 「具合悪いん? それとも哲治になんや言われたんか」 「ううん。違うよ」    清虎と目を合わせることが出来ず、逸らすように陸は顔を上げた。 「清虎もこれからリレーだよね。頑張ってね」  肝心なことは聞かないまま、陸は清虎を送り出す。今の段階ではまだ、ただの噂話だ。下手に尋ねて清虎に肯定されてしまえば、もう感情の逃げ場がなくなってしまう。 「……ホンマに大丈夫?」  怪訝そうな声色に、陸は慌てて笑顔を作った。余計な心配をかけて、競技の邪魔はしたくない。 「うん、平気だよ。いってらっしゃい。応援してるね」 「なら、ええんやけど。ほな行ってくる」    去り際に清虎が陸の頭を撫で、その瞬間、視線が交わった。  陸はハッと息を呑み、清虎の憂いを帯びて揺れる瞳が、この先もずっと自分だけを見ていてくれたらいいのにと願う。  心臓が痛い。  感傷ではなく、本当に内臓が軋んでいる気がする。

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