85 / 164
合縁奇縁⑧
その後、大取 の座長の舞踊が終わっても、陸は椅子から立ち上がれず、頭を抱えたような格好で身を縮めた。
全体で二百席ほどしかない劇場だ。きっと舞台上からも客の顔は良く見えるだろう。清虎に今日来たことを気付かれたかもしれない。そう思うと、どうにもこうにもバツが悪かった。
このまま何食わぬ顔で帰れるのならまだ救われるのだが、どうやら役者たちが劇場の出口に立ち、客を見送ると言うシステムがあるらしい。
逃げ出したいと嘆きながら、陸は椅子の上で一層体を丸めた。
「何やってんだよ。ほら、行くぞ」
深澤に腕を掴んで引き上げられ、渋々立ち上がる。階段を降りると、チケット売り場の先で衣装を着たままの役者たちが一列に並んでいるのが見えた。陸の前にいる佐々木が、はしゃぎながらこちらを振り返る。
「どうしよう、列の最後の方にあの綺麗な花魁さんがいる! あんな人と握手できるなんて、夢みたいじゃない? 私、毎日劇場に通っちゃおうかな。って言うか、いっそ浅草に引っ越そうかな」
能天気で羨ましいと思いながら、陸は溜め息をついた。
「あの人たちは来月になったら、また違う街に移動するんだよ。ずっと浅草にいる訳じゃない」
「えっ、そうなんだ。それなら追っかけしようかな。一緒に日本全国巡るの、楽しそうじゃない?」
やはりバイタリティーの塊だなと感心してしまう。
客の方も一列になり、役者たちと握手をしながら少しずつ前へ進んだ。何とか顔を合わせずに済む方法はないかと思案したが、列を抜けたところで清虎の前を通らずに帰る道はない。
順調に列は進み、ついに清虎の前に来てしまった。うつむいて固まる陸の手を取って、清虎が微笑む。
「お兄さん、今日は両手に花やんなぁ。美人な彼女とかっこええ彼氏、どっちがお兄さんの恋人なん?」
佐々木と深澤のことを言っているのだろうかと、一瞬戸惑う。
「ど、どっちも恋人じゃないです」
「へぇ、そうなん? 手ぇ繋いで客席に入ってきよったから、てっきり恋人なんかと思ったわ」
深澤に腕を掴まれながら客席まで移動したのを、見られていたのかと冷や汗が出た。黙り込む陸を見て、清虎は口の端を上げる。
「まぁ、別にどうでもええけど」
握手している手に力が篭る。
女神のような笑みの中に、意地悪さが混じっているような気がした。
ともだちにシェアしよう!