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合縁奇縁⑨

 清虎にしてみれば、零と名乗って素性を隠し、もう会いたくないとまで告げたのに、お構いなしに正体を暴かれたのだ。その上、劇場にまで無遠慮に来られたら、そりゃ腹も立つよなと陸は項垂れる。  下を向けば、陸の手を包むように握る清虎の両手が視界に入った。  同窓会の夜、自分の体を優しく撫でた手。邪な願望が首をもたげそうになり、甘く疼く感情に慌てて蓋をする。そんな気持ちを知ってか知らずか、清虎は陸の手を自分の方へ引き寄せた。 「また来てくださいね」  今まで声をひそめていた清虎が、営業用の明るいトーンに切り替える。弾むように楽し気な声色なのに、なぜか突き放されたような気がして陸は唇を噛んだ。  これ以上、嫌われたくない。 「ごめんなさい」    それだけ告げて、陸は逃げるように列を離れる。   「あれ。佐伯くん、座長さんと握手しなくて良かったの?」  役者全員と握手を終えた佐々木が、自分よりも先に列を抜けている陸を見て首を傾げた。 「あ、うん。なんか疲れちゃって」 「確かに。役者さんと話すの緊張しちゃうよね。でも楽しかったなぁ」  佐々木が手を叩きながら無邪気に笑う。深澤も満足そうだった。 「今度来る時は、芝居もちゃんと観てみたいな。予想以上に気分転換になった」 「わかります。非日常感、癖になりそう」  興奮気味な二人を前に、陸は愛想笑いを浮かべるのがやっとだった。一刻も早くここから立ち去りたくて、陸は佐々木に声を掛ける。 「花やしきはどうする?」 「今日はもう大満足だから、次の機会でいいかな。それより、お腹空かない? 軽く何か食べて帰りませんか」  腹を押さえながら、佐々木が陸から深澤に視線を移す。「確かに」と深澤が笑った。 「佐伯くんに頼ってばかりで申し訳ないけど、お勧めの店ある?」  深澤に尋ねられ、真っ先に哲治の店が浮かんだが、直ぐに候補から外した。せめて職場だけは、陸のテリトリーにしておきたい。二人を哲治に会わせてしまえば、その領域まで浸食されてしまうような気がした。 「ホッピー通りに行きましょうか。レトロな大衆酒場、意外と楽しいですよ」 「いいね」  それじゃあ、と案内しかけた時、ジャケットの内ポケットでスマホが震えた。嫌な予感を抱きながら、恐る恐るスマホに手を伸ばす。

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