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*第十九話* 仕方ない
案の定、送信元は哲治だった。
時刻はもうすぐ九時を回ろうとしている。金曜の夜の串焼き屋にとって、決して暇な時間帯ではないはずだ。
無視しようかとも考えたが、恐らく出るまで掛け続けてくるだろう。諦めたように「ちょっとすみません」と深澤に告げ、背を向ける。
「もしもし。哲治、どうしたの?」
『ああ、陸。まだ外にいるんだね』
心臓が跳ね上がった。どこかから見られているのではないかと、思わず辺りを見回してしまう。
『うちの親から、茶益園に買い物に行った時に陸を見たって聞いてさ。会社の同僚と来てたの? まだ帰宅してないってことは、今も一緒にいるのかな』
一先ず清虎に会っていたことが知られた訳ではなさそうだった。胸を撫で下ろし、「もう帰るところだよ」と適当に嘘を吐く。
『もう帰る? そんなこと言わないで、同僚と一緒に店に来いよ。今なら席も空いてるし。会社で陸はどんな感じなのか、聞いてみたいんだよね』
やめてくれ、と言いそうになるのを堪えながら、「また今度ね」とやんわり断る。しかし哲治は引き下がらなかった。
『うちに連れて来れないなんて、何かやましいことでもあるの?』
「ないよ。ないけどさ……。ごめん、先輩待たせてるから」
そう言いながら振り返った陸は、すぐ後ろにいた深澤に驚いて身を反らせた。深澤は、心配そうに陸を見降ろしている。
「電話、彼女さん? 浮気を疑われてるんなら、俺が代わって誤解を解こうか」
「あ、いえ。彼女じゃないんで、大丈夫です」
深澤との会話は哲治にも聞こえたらしい。ははっと乾いた笑い声がスマホから漏れる。
『ねえ陸、その先輩に代わってよ。うちの店に招待するって伝えたいから』
「いや……」
『ほら、早く』
畳みかけられ、陸の思考は停止する。
「わかった、今から行くよ」
『うん、待ってる』
満足そうな哲治の声。また我儘を受け入れてしまったと思いながら通話を切った。
「あの。友達の家、炭膳 って言う焼き鳥屋なんですけど、今から来ないかって」
「え、炭膳? そのお店も雑誌で見たことあるよ!」
佐々木が目を輝かせて「行きましょう」と陸の提案に同意した。
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