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メーデー⑥
「なんでアイツの名前を呼ぶんだよ。なんで俺を選ばないんだよ。なんで離れようとするんだよ。いつもいつもいつも……!」
反論しようにも大きな手で口を覆われているので、一つも言葉を発せられない。振り払うために身体を揺らして抵抗したが、強い力で勢いよくテーブルに押し倒された。肩を酷く打ち付けて、痛みに呻く。それでも構わず、哲治は陸に馬乗りになった。ひっくり返そうと暴れても、体格差のせいでどうにもならない。
哲治は陸の口を右手で塞いだまま、鼻先が触れそうなほど顔を近づけた。陸の前髪を掬い上げるように撫で、至近距離で目を覗き込んでくる。哲治の薄く開かれた唇の隙間から、舌先が見えた。
次の瞬間、眼球を舐められ、あまりのおぞましさに陸は悲鳴を上げた。どれだけ叫んでも口を塞がれているので、くぐもった声だけが虚しく店内に響く。
物音に気付いて哲治の両親が様子を見に来てくれないかと願ったが、店舗と自宅は別棟なので望みは薄い。このまま清虎にも気づかれなかったらと思うと、恐ろしくて血の気が引いて行く。
哲治は舌を陸の首筋に這わせ、髪を撫でていた手をシャツの中へ滑り込ませた。自分の体をまさぐるその手に激しい嫌悪感が湧き、陸は全身で哲治を拒む。必死に抗っても力では及ばず、陸は無我夢中で口を塞ぐ哲治の手に噛みついた。
「痛ッ!」
くっきり歯形の付いた手を押さえながら、哲治が痛みに体をのけ反らせる。
陸を見下ろす哲治の目が光ったような気がした。同時に、骨と骨がぶつかり合うような鈍い音が鳴る。
視界が一瞬揺れた。
左の頬が熱い。
口の中にじわじわ鉄の味が広がっていく。
何が起きたか理解するのに、数秒かかった。
「ご……めん」
呆然としながら、哲治は謝罪の言葉を口にした。自分のしでかしたことが信じられないと言う顔をしている。
痛みよりも、殴られたと言う事実に打ちのめされて、陸はテーブルの上で仰向けのまま固まった。
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