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メーデー⑧
「陸、その顔……!」
陸を振り返った清虎が凍り付いた。殴られた頬は、そんなに酷い事になっているのだろうか。感覚が麻痺していて、痛みはまるで感じない。
清虎は怒りに任せ、足を投げ出し虚脱している哲治の襟首を掴んで揺さぶった。
「お前、運動会の日のこと覚えてるか。俺はハッキリ覚えてるぞ。リレーのあと、『お前とは、本当はいい友達になれたかもしれないのにな』って俺に言っただろ。俺、それ聞いて、哲治ならいつかちゃんと陸のこと大事にするだろうって思ったんだぞ。なのに、どうして」
悔しそうに絞り出す清虎の声を聞き、哲治は顔を上げた。声にならない声で、ごめんと唇が動く。
「でも、もうムリだ。お前じゃ、駄目だ」
清虎は哲治から離れ、陸を抱き起して店の外へ連れ出す。陸は戸をくぐる時、哲治を振り返りたい衝動に駆られたが、何とか堪えた。
決別の時だ。今振り返るのは余計に酷だろう。
暫く無言で歩いたが、先に口を開いたのは清虎だった。
「陸、すまん。哲治と二人きりで店に残してくんやなかった。俺がもっと冷静になっとったら……」
「いや、清虎は別に悪くないよ。俺も哲治がいつも通りだと思って油断してたし」
頬を押さえる陸を見て、清虎が眉を曇らせる。
「ちょっと、そこの公園寄ってこ。石段に座って待っとって」
清虎が、弁天堂に続く石段を指さした。今頃になって痛みと恐怖心が湧いてきた陸は、素直に公園内にある石段に腰を下ろす。家に戻る前に、少し気持ちを落ち着かせたい。
清虎は自販機でペットボトルの水を買い、それを陸に手渡した。
「口すすいだ方がええ」
「ありがとう」
受け取ったものの、手が震えて上手くキャップが外せない。それに気づいた清虎が、代わりにキャップを開けてくれた。
「ごめんな。もっと早よう店に戻れば良かった。グラスの割れた音が聞こえたような気ぃしたんやけど、気のせいかも知れんって、躊躇ってしもた。もういっぺん、何か床に落ちた音がしよったから、急いで戻ってん」
「ううん。助けに来てくれてありがとう。あのままだったら俺、どうなってたか」
哲治は本気で力を込めてはいなかった。ギリギリ呼吸は出来ていたが、それでも紙一重だったように思う。
清虎はぐしゃぐしゃ頭を掻き、ポケットから煙草を取り出した。
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