114 / 164
迷路の途中で⑤
その日の演目は「弁天娘女男白浪 」だった。
本来は「白浪五人男」という長い芝居だが、その中で弁天小僧菊之助が主人公の場面が特に人気があり、独立したストーリーとして演じられることも多いのだと言う。
開演前に、遠藤が熱心に説明してくれた。
白波とは盗賊のことらしい。
清虎扮する菊之助が、それはそれは淑 やかな武家の令嬢に化け、呉服屋の浜松屋に家来を伴って訪れる。大店相手に難癖をつけ、ゆすりを働こうと言う魂胆らしい。
清虎の娘姿はとても可憐で、仕草といい声色といい、男だということを微塵も感じさせなかった。
しかし男だと見抜かれた途端、菊之助の態度は一変する。
開き直った菊之助は片肌を脱ぎ、振袖の裾を割ってあぐらをかいた。令嬢から悪党への豹変ぶりに、思わず息を呑む。
『知らざぁ言って聞かせやしょう』
その口上は、普段芝居を観ない陸でも耳にしたことがあった。
その後のスピード感溢れる殺陣は息つく暇もなく、とにかく痛快で胸がすく。
艶 やかな女の顔のまま、はだけた着物から覗く逞しい男の体。その酷く官能的な美しさに、畏怖の念すら抱いてしまう。
そうして芝居は幕を閉じ、今度は舞踊が始まった。
今日の清虎は花魁ではなく剣士の姿で、後ろで一つに束ねている黒い長髪が、剣を振るたびに揺れる。
まるでゲームやアニメの中から飛び出してきたような格好良さだ。
舞台上の剣舞に見惚れていた陸は、ふと清虎の額に目を留め、驚愕した。
まさか、と口元に手を当てる。
清虎の動きに合わせ優雅になびく、腰にまで届く白いハチマキ。
ありふれた、ただの小道具だ。それでもなぜか、その白いハチマキは自分の物だと確信することが出来た。まだ手元に置いてくれていたのかと思うと、胸が震える。今まで幾度、清虎と共に舞台に立ってきたのだろう。
胸の中で何度もその名を呼んだ。焦がれてやまない、愛しい人。夢でもいいから一目会いたいと願っていた。
離れ離れになったあの日からずっと。
「清虎……」
無意識に声に出していた。
自分の口から出たその特別な音が耳に届いた瞬間、もう無理だと悟る。
もう誤魔化せない。抑えられない。認めてしまおう。
清虎の側で生きて死にたい。
ともだちにシェアしよう!